No.18 1999.01"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

私の好きな祭日

ロシア極東国立総合大学函館校 助教授 コーネワ・スヴェトラーナ

私は、学生の皆さんにお話をする機会をご親切に与えていただいたことを長々と書くつもりはありませんし、こういう機会を与えられず今まで待たされたことを苦々しく思ったり腹立たしく思ったりしたことを書くつもりもありません。また、頭の中で考えていたテーマも、長い間こういう機会を待っているうちに変わってしまったということや、その間に体験したり感じたりしたことを書くつもりもありません。私を信頼して任せてくれた畠山さんに感謝しつつ、私の好きな祭日のお話をはじめましょう。
ご存じのように、ロシアでは公式的な祝祭日はあまり多くありません。そして、私の好きな祝祭日となると、さらに少なくなります。はっきり言うとそれは2つだけ、つまり3月8日と新年です。
3月8日は国際婦人デーです。日本には残念ながらこういう祭日はありません。日本の女性はかわいそうです。でも、このことについて話をすると日本の男性は「何言ってるんだ。日本には何でもあるよ。同じ様なお祭りだってある。それは3月3日。」と答えます。でも、これは全く違うものです。3月3日は日本のカレンダーによると子供のためのお祭りで、大人の女性は全く関係ありません。ロシアではこのお祭りは全ての女性のためのものなのです。
この日あなたは、やさしい、面倒をよく見てくれる、親切な、すてきな男性からプレゼントや花を贈られて、自分自身がしあわせだとか必要とされていると感じることがどんなに気持ちのいいことか想像することができないでしょう。こんな風に振る舞うことのできる男性は、伝統をよく守る家庭に育ったか、このことについて学校で、例えば、私も経験しましたが、この日に同じクラスの女の子に初めてお祝いをしてあげたことがあって、すてきな思い出として心に残っているかだと私は思います。
あれは小学校でのことでした。リュドミーラ・マクシモヴナ先生はある時、女の子達に教室に入らないように言いました。私たちは休み時間が長くなったのが嬉しくて、廊下を思い切り走り出しました。教室の中で私たちのための準備がされているなどとは思いもしませんでした。そのあと教室に入るともっと嬉しいことが私たちを待っていました。各々の机の上には、数字の8が小さな花でかたどられているカードがあり、下のほうには「3月8日おめでとう!」と書いてありました。男の子達は女の子達に内緒でカードを作っていたのです。でも、いったいいつの間に?授業では皆同じ問題をやっているので、たぶん放課後でしょう。こんなお祝いをしてもらえるなんて、私には思いがけない素敵な出来事でした。贈られたカードをどこに飾っておいたらいいか、ずっとわかりませんでしたが、一度だけで心からこの日が好きになりました。
そして、もう一つの好きな祝祭日は新年です。子供の頃、私は本当に冬が大好きでした。冬になると子供達には、たくさんの遊びがありました。私たちが家にいるのは天気の悪い日だけで、放課後はいつも暗くなるまで外で遊んでいました。そりに乗ったり、スキーやスケートをしたり、雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり…。
 新年にはいつも家の中に大きくて天井にとどきそうな本物のもみの木がありました。前の日にお父さんが森に行って選んできたものです。そのとき家の中に充ちていた青々とした葉の香を今でも思い出します。私と妹はクラスでも一番幸せな子供でした。うちに遊びに来た友達はみんなうらやましがって、私の家のもみの木やおもちゃのこと、私のお父さんがタイガでトラや熊の足跡を見たことを、友達や両親に話すのでした。でも、たった一つ私たちの不満なことは、もみの木が部屋の隅にあったことです。友達とハラボットをしたり、木の下にあるジェットマロースからのプレゼントが見つけやすいように、部屋の真ん中にあればいいと思っていました。ついでに肝心のジェットマロースもいませんでした。
新年には学校でのヨールカ祭があります。その日には仮装パーティーがありました。この行事のおかげで、私のお母さんは衣装を縫うことにかけては、今いる仕立て屋さんにも未来の仕立て屋さんにも負けていませんでした。彼女が縫えないものは何?と聞かれたら、私は答えられません。それで想像がつくでしょう。私と妹は「3匹の熊」のお話のマーシャになったり、雪の結晶をイメージした服を着たり、雪の女王や魔女の格好をしたりしました。中でも一番印象に残っているのがシンデレラの衣装です。そのとき私は11歳でした。ちょうど新年の直前、お母さんはとても忙しかったので、衣装を着てパーティーに行くのは無理だと思っていました。お母さんが仕事から帰ってきて、私は他の女の子達がどんな格好をするとか、ある子は雪の女王の衣装を他でもない仕立て屋さんに頼んだという話をしました。お母さんは何も言わずに私の寸法を測り、私の長い髪を巻いて、寝るように言いました。目を覚ましたとき、私はびっくりしてしまいました。太陽に照らされたたくさんのスパンコールがついた、雪のように白い、ふわふわの、きれいなドレスがあったのです。でも一体これはどこから来たのだろう、何でできているのだろう。その時私は、この世には魔女がいて大晦日の夜には魔法が起きると信じていました。一つだけわからなかったのは、なぜ朝、ドレスの上に何にも遮られないで日が射していたのか、それに、窓にかかっていたレースのカーテンはどこに行ってしまったのか、ということでした。
もちろん今は全てが前とは違っています。昔の遊びもしなくなったし、あのときのような衣装もありません。ハラボットも函館校のヨールカ祭で必要に迫られて踊っているだけです。でも、無邪気で幸せだった子供の頃の思い出と同じように、新年が好きだという気持ちは変わらずに残っています。そして、その子供時代のことを私は息子によく話して聞かせます。