No.16 1998.07"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ロ日貿易経済関係について

ロ日鑑定コンサルティングセンター 所長 ソンツェフ・アナトーリー

1998年6月20日(土)、サン・リフレ函館で行われた講演会での内容をまとめ、皆さんに紹介したいと思います。

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ロシア極東国立総合大学函館校のイリイン校長とはモスクワ大学の大学院時代の同級生で、ともに言語学を学んだ。言語学を学ぶには心のつき合いが大事で、古い歴史=いざなぎの歴史から勉強を始めた。
大学院では3年間言語学を研究したが、同時に生きた日本語を学ぶため、日本語通訳のアルバイトもした。通訳から同時通訳へと発展し、日常会話ばかりでなく、技術関係の言葉やビジネスの基本を学んだ。
当時、私は外交官が大嫌いだった。外交官は二つの言葉だけを話せば仕事ができた。それは、「コメント」と「ノー」で「ノーコメント」しか話さないのが外交官だった。
この後、昭和63年にソ連の外交官として大阪に住むことになったが、情報社会が発展した日本にあってもロシアの情報がほとんどなく、私はロシアのことをより多くの人々に知って貰うため講演会などで話し続けた。ある講演会では6時間話し、翌日の新聞には「6時間にわたり話し続けたソ連の副領事」と書かれた。「ノー」と「コメント」しか話さない外交官ではなかった。
函館には4年前に高田屋嘉兵衛の像を見るために来たことがある。高田屋嘉兵衛の出身地である淡路島に嘉兵衛とゴローニンのロ日友好の像を建てることになり、函館の像を見に来た。
淡路島のロ日友好の像には、クリール列島=千島列島の四島から8トンの石を運んできた。
平成5年から7年までは、ウートロ(夜明け)というロ日情報誌も出していた。
ロ日関係はこれまで日本側は政経不可分を、ロシア側は政経分離を唱えてきたが、私は政治と経済は表裏一体、切り離せないものであり、政経不可分が論理的に正しいと考えている。
ロシアは現在活火山の状態で、野生的な状況であるが、いつまでも噴火が続くわけではない。日本のように平和で穏やかな休火山の時期が来る。「急がば回れ」である。
ソ連の崩壊によりロシアは開放されたわけだが、イリイン校長とともに大学院で学んでいた頃は、日本に行くことが夢であった。源氏物語や平家物語を読んでも日本に行ったことがなければ、日本を知ったことにはならない。
私たちは親日派と呼ばれるが、学生時代は日本のスパイと疑われた。日本にも親ロ派の人たちがいるが、これからは親日派のロシア人や親ロ派の日本人ではなく、国籍に関わらず新たな日ロ関係を築き上げる親日ロ派の時代である。
2年前からモスクワで広告代理店を経営しているが、スバルの車やブリジストンのタイヤのほか、家電製品のメーカーと仕事をしている。
日本とロシアとの経済関係をさらに進展させるため、昨年2月、ネムツォフ副首相とプリマコフ外相に日ロの経済関係を円滑に進める機関として「ロ日鑑定コンサルティングセンター」の開設を提言した。
1年かかったが、今年3月にネムツォフ副首相から開設に協力する旨の返事があり、5月27日に日本通のロシア人ビジネスマンや学者が集まり設立会議を開催した。その場で集まった皆さんから私にリーダーシップを取るようにとのことになった。現在は法人化の手続きを進めているところであり、本日の肩書きは少し先走った感もあるが、設立については既に了承を得ており、あとは書類上の手続きを行うだけである。
センターは非営利団体であり、政府と企業、ロシアと日本との潤滑油としての役割を果たしたいと考えている。
営利を目的にすると、ロシア人からも日本人からも、うさんくさく見られるので、非営利団体とした。
日本の企業が日ロ間のビジネスを行うための基礎的な情報を入手するには、複数のところから入手することが重要であり、我々のセンターだけでなく、ジェトロやロ東貿などからも情報を入手する必要があるが、ジェトロやロ東貿の取り組みは時間がかかる。
チェルノムィルジン前首相の給料は月5千ドル=約60万円、5年間で30万ドル=約4万円の給料だったが、アメリカの雑誌によると彼の財産は35億ドルといわれている。自分の財産を増やすことが彼の仕事であり、国民のための仕事をやらなかった。
現在のキリエンコ首相は35歳と若いが、既に多くの財産を持っており、彼は国民のための仕事をする余裕がある。ロシアは現在、お金がなくて困っているが、公務員は給料が安く賄賂を取らなければ生活ができない。なぜ給料が安いかというと税収が上がらないからだ。
先進国では利益の30~50%を税金として納めるが、ロシアの税率は98%である。さらにある種の特別な税を加えると110%になる。利益以上の税を納めなければならないのでは当然赤字である。このため、香港やキプロスのような税金の安い国に自分の企業を登記して、ロシアに税金を払わないようにしている。
政府は国民のための仕事をやらずに、今のロシアは国なき民と民なき国があるだけだ。 
モスクワはロシアの資本の8割が集中し、商業も発達しているが、ウラジオストクを含む極東地域は経済的に困難な状況にある。
ロシアの復活は地方からと考えている。大分県の平松知事が提唱し、北海道でも横路知事が進めた一村一品運動のように自力で地方が立ち上がる努力が必要だ。
日本の企業がロシアとの経済交流に進出するには、まず大使館やジェトロなどを通じて情報を得るというのが一般的ではあるが、我々のセンターもそれらの活動を支援できるように日本側の組織とロシア側の組織が車の両輪となって進めていきたいと考えている。
また、モスクワで開催されている見本市にはヨーロッパ各地から出展しているが、日本企業の出展が少ないので、見本市をビデオに撮影し、出展各社のインタビューも交えながら、日本語での解説を入れたビデオを作成し、日本企業に出展を要請するといったことも行いたいと考えている。
見本市にはBMWやアディダス、ネッスルなど多くの企業が参加し、商売的には成り立っている。リスクはあるが、ハイリスク・ハイリターンの冒険の精神で進出して欲しい。
四島については、いつまでも日ロ両国で綱引き=ロシアでは布団引っ張りというが=をしている時代ではない。例えばオホーツク海を日本とロシアの内海として管理するといったことからはじめてはいかがだろうか。
私の個人的な見解だが、来年の下院選挙後に土地の所有を認める土地法を制定することができれば四島の問題の解決の糸口になるのではないかと考えている。
四島の内、歯舞、色丹の二島は昭和31年に日ソ国交回復共同宣言で平和条約締結後に引き渡すことが明記されている。これは両国の国会で批准された唯一のものである。
以前のように絶対権力者がいるときは、その権力者が決断すれば変換も可能であったが、今は国会を通らなければ返還はできない。ゴルバチョフ大統領が最後のチャンスだったかもしれない。