No.115 2023.04"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

トロリーバス

ロシア極東連邦総合大学函館校 副校長 デルカーチ・フョードル

中学生の頃、故郷のイルクーツク中心部から街はずれにある新築の住宅街(ミクロライオン=マイクロ地区)に引っ越した。ソ連のミクロライオンのコンセプトとは、スーパー、病院、学校、幼稚園、各種サービスなどを住民が歩行できる程度の地区に配置した静かで住みやすい環境を作るというものであり、都会の周りに「キノコのように」速く同じ設計の住宅地が現れる状況であった。私の家族が住んでいたマイクロ地区は「ソールネチニイ」つまり「太陽いっぱい」という明るい名がついて、アパートのバルコニーから「イルクーツク海」と呼ばれる発電所の貯水池の美しい風景が広がっていた。が…、当時は未だ緑もなく、区内をどこ見ても全く同じ団地しかみえず、あちこちに…まあ、簡単に言えば、あの場所は大嫌いだった。しかも、幼馴染みの皆と別れたくなかったから「ここの学校へは絶対に行かない」と両親に言った。そのため毎朝、引っ越す前の学校への通学に、近所の学校へ登校する場合よりも1時間早く起きて、バス停に向かった。学校の授業は8時から、ギリギリでも間に合うように、遅くても7時10分に家を出なければならない。ロシアの午前7時はまだ暗いし、冬だと零下20度は普通のことである。またバスの本数も少なく、乗らなくてはいけないバスはいつもびっしり混んでいて、おまけに雪道で走る際のエンジン音が特にひどかった。
この経験から実は、今でも都市バスというものは苦手で、できるだけ乗らないことにしている。

そういう訳で私はとにかくバスが、バス停が嫌だった。暗くて寒いバス停でいつ来るか分からないバスを待つより、凍った貯水池を歩いて渡り(歩行10分、走ったら7分)、発電所のダムでトロリーバスに乗る方がずっとマシ!そう思っていた。なぜなら、トロリーバスは、本数も多いからか混んでもいないし、内部も明るくて、機械音も小さい。そして、なぜかバスに比べると清潔感がある。
大学に進学し、故郷を離れて数年後。電話で父親から「ここはもうトロリーバスもちゃんと走ってるぞ」と言われた瞬間、その意味はすぐに分かった。「もう、ここは街はずれじゃないよ」という意味だとね。60万人前後のロシア都市にとって、トロリーバスは地下鉄と同じような存在である。
 今のロシアは、大都会化が進み、乗用車の数は大幅に増え、段々「邪魔になった」と言われ、トロリーバスが町から姿を消して行く。例えば、真っ直ぐな道が少なく坂の多いウラジオストクは、殆どのトロリーバス線が消え、中心部から離れた場所に2本だけが残っている(12本が運転終了)。しかし、ロシア人にとってトロリーバスは街の原風景に欠かせないものであろう。シンガーソングライターのブラート・オクジャワが書いた「モスクワトロリーバスの歌」、伝説ロックバンド「KINO」の「東へ走るトロリーバス」やウラジオストクの「ムミートローリ」による「4番トロリーバス」(https://www.youtube.com/watch?v=muOB-aEmPDU)などの名曲は全てそこからくるものだ。だから、ロシア各地に「トロリーバスを殺さないで!」というスローガンで市民運動が始まっている。
 トロリーバスとは、屋根にトロリーポールが2本ついて、架線から電気(ロシアの場合、600ボルト)をもらって走る、路面電車でもないバスでもない乗り物のことだ。ロシアは勿論、旧ソ連の諸国に限らず、ポーランドやイタリアなどでも利用されている。日本は確か、富山県の2ヵ所にも走っているとか。それでも現代、世界でもっともトロリーバス線が最も長く(約9000㎞)、台数も一番多い国はロシアだ(7100台以上)。
トロリーバスが大都会で消える主な理由は、電線の維持管理の経費が高く、渋滞発生の頻度である。また、万一停電があった場合、市内のトロリーバスが完全に麻痺する恐れもある。しかし、トロリーバスは長所も多い。排気ガスを出さないし(空気汚染の低下は約8割)、音を殆ど立てない、そして乗用車に比べて交通事故率はマイナス50%(バス40%、路面電車130%)である。ところで、ロシアの公共交通手段の切符は、距離にかかわらず固定の価格である。ロシアの状況では交通省の統計によると、1時間当たりの乗車人数は100人以下であると、もっとも有利な交通手段は小型バスであり、同じく150~300人の場合は中型バス、330~650人は大型トロリーバス、600~1100人は特大トロリーバス、そして1100人以上の場合はなんと路面電車である。つまり、特大トロリーバスに相応しい人数を大型バスで運ぶ場合、経費が約15%増加する。
 しかし、トロリーバスの老朽化は問題だ。比較的に新しいものは現在、4割を超えていないし、内14%は20年以上の車で、30年間も走っているベテラン車も少なくない(5%)。14年以下のトロリーバス台数は19%に過ぎない。
トロリーバスを生存させるために、5年間以内に総台数の4割を新型に変えなければならない。さもないと、トロリーバス本体とともに電線などのインフラも無用になって、一度で失わられる都市財産は莫大な数値になる。また、停電の可能性も考慮して、バッテリーで走れるトロリーバスも必要であり、最近ペテルブルグなどでそれらを導入する動きが見られ、もちろん全て国産車である。
 最近チェリャービンスク市には、トロリーバス生産の全工程を行う大きな工場ができた。職員数400人で(700人まで増加予定)、年間生産力350~1200台であり、生産は既に開始されチェリャービンスク向けのトロリーバスを作っているそうだ。
また乗りたいね、トロリーバス。
(出典:ロシア連邦交通省HP)

写真:ウラジオストクのトロリーバス
(Author:Andshel、Hidden categories: CC-BY-SA-4.0CC BY-SA 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47039009)

卒業生からの寄稿

学生生活を振り返って想うこと
ロシア地域学科 今井 夏海

ここでの学校生活を振り返ってみると、1年生のころは普通の大学との違いがチラホラあり、それに対して違和感とまではいかないが違いを感じていました。例えば学生の人数が少ないため教室を広く使えたり、先生との距離が近かったりなどや、ロシアセンターという名前の部屋があり、そこで何か特別なことをする場所かと思えば発表する場でもあったが、普通に授業をしたりと普段使いをしていたというよくわからん場所だなと思っていました。また普通の食堂があると思えば、学生が授業を終えて帰った後には主に親子用に格安で食べられる子ども食堂になると知った時や大学の教師たちが親子や夫婦といった構成が多いという事実を知った時は驚きました。他には、ロシアの大学ということで行事もロシア関連のものばかりで、アカデミックリンクではロシアに関するものを制作し、ロシアから留学生がやって来て交流して、その彼らと共にАБВГ-dayで発表やロシアやロシア語に関するクイズを行ったり、マースレニッツァというロシアの祭りに日本要素も入った祭りやロシアの商品や食べ物を売ったりとする行事に参加して楽しみました。こうした日々の中で、ロシア語の単語やそれらの格変化をひいこらと何とか覚えて学校生活の1年目を過ごしました。
2年生になった時には学校生活に慣れ、授業にも余裕が出てきて楽になるかなと思っていたら、それは希望的観測でした。1年生に続き、2年生もまた沢山の単語があり、また格変化もまだまだ覚えたりないということで暗記漬けの生活が日々続きました。そして息抜きや楽しむ時間となるはずの行事は、コロナが流行しだしたため、ほとんど行うことができませんでした。仕方がないなと思いつつも、とても残念でした。
3年生の時もまた、相も変わらず暗記漬けの日々が続きました。そして、コロナは相変わらず流行していましたが落ち着きつつもあり、そのため行事関連のほとんどが前よりはできるようになりました。そしてロシアへの留学は3か月から1ヵ月と短くなりましたが行くことは出来ました。そして留学中は、トラブルもありましたが大体は平和で、ロシアを味わい、楽しむことができました。
4年生になり、毎年の4年生の時間割から授業の量も減ると期待していたら、確かに減ってはいましたが思ったほどではないなとちょっぴりがっかりしつつも今まで通り、へいこらと勉強を頑張る日々を送りました。しかし、コロナが少し落ち着いてきたこともあり、1年生以来のカフェと売店ありのマースレニッツァを行うことができ、とても楽しかったです。そうした日々の中で卒業論文や宿題を追い込み作業で行い、卒業試験に滑り込み合格を貰い、何とか卒業にこぎつけることができました。
これまでを振り返ると短く感じつつもやはり長かったと感慨深くも、哀愁を感じました。それほどまでに学生生活は日常生活の一部にすっかり馴染んだのだなと思いました。

学生生活を振り返って 
ロシア地域学科 中島 香理

私がこの大学で過ごした日々を振り返って思い出すのは、先生方の温かさ、函館で出会ったすべての方々の温かさなど、人とのつながりの濃さです。ただ、私自身の学校生活に点数をつけるとすると、それは、72点程だと思います。自信を持って100点だと言えないことは、残念なことで、毎回100%の授業をしてくださった先生方や学校生活をサポートしてくださった方々には大変申し訳ないと思っています。
それでもこの学校で過ごした4年間は、周囲の人間関係に恵まれていました。様々な人から色々な価値観を学ぶことが出来たのも函館校で過ごしたからこその経験です。この学校で過ごした時間は、私の貴重な財産となりました。今、思い浮かぶのは、先生、クラスメイト、事務局の方々の姿です。家族から離れての一人暮らしは、決して楽ではなかったですが、学校に行くと先生方、事務局の方、個性豊かなクラスメイトがいて、一人ではないということを実感し、安心しました。また、放課後に行われるコール八幡坂での活動は、授業に関係なく、様々な学年と交流することができ、とても楽しい時間でした。サークルに入ったばかりの頃は、歌うことに関して苦手意識がありましたが、サークルのメンバーやコール八幡坂を率いる鳥飼先生と歌っているうちに、全員で同じ曲を歌うことに喜びを感じるようになり、段々と歌うことが好きになりました。また、共に学んできた同級生にもとても感謝しています。試験前や発表前の苦しい時も、みんなも同じ境遇で戦っている、一人じゃないと思うだけで勇気づけられました。また、クラスメイトはそれぞれに自分の好きな分野や考えなどを持っていて、全員尊敬しています。私が行動をよく共にしていた友人は、誰に対しても変わらず気さくに接することができ、困っているクラスメイトを自ら進んで助けられるような人です。また、責任感もあり、一度引き受けたことは必ずやり遂げる強さを持っている点が素晴らしいと思っています。この場を借りて4年間、苦楽を共にし、様々な場面で助けていただいた同級生のみんなに感謝したいと思います。
函館校の教授方は、例外なく全員が時に厳しく、寛大で、心優しいです。ロシア語や能力を伸ばしたいと心から考える学生には、真摯に対応してくださり、学生の成功を心から喜んでくれます。様々な場面を経験してこられたからこそ、大抵のことでは動じない、器の広さに私自身何度も救われました。
事務局の方々にも、大変お世話になりました。学校生活を様々な面からサポートいただき、4年生に入ると、面接練習など就職相談にも熱心に対応していただきました。
卒業後は、海外で働く派遣員としての仕事を目指し、勉強を続けていきますが、社会人として働いていく中でも、函館校の事務局の皆さん、先生方、学生の方々との関わりから得た経験を心に留め、日々を大切に生きていきたいと思います。

数奇な4年間 
ロシア地域学科 中澤 純

ロシア極東大函館校は摩訶不思議な学校であった。函館、ロシア、分校。あまりにも大きすぎる個性の塊が私の心を押さえつけていた。八幡坂、かの観光地にそびえ立つ。バックボーンを知らない初見の視線を集めていた。当然、それは外見に限ることはなかった。授業システムや内容が根本から違ったのである。
単語を形態素レベルで分解し、語源と意味をあわせる。アマゾンの奥地でピダハンと過ごし、見知らぬ言語を1から研究するエヴェレットの如く、根本の言語とは、ロシア語とはなにかと見つめていたのだ。
語順の言語である英語と対照である格の言語ロシア語。明らかに異なる。だからこそ、言語の習得に必要な本質を捉えるのが大事だと、チョムスキー的な気づきを与えられたのだと感じた。
極東大にあるカリキュラムというのはロシア語だけではない。ロシアの歴史、文化など多種多様な教科があった。そういったロシアの背景を見ていくと、国民性、国の体質など様々なものが見えてくる。そうするとロシア語における本質やキーが隠されている。そう感じてならなかったのだ。
言語の基礎は約10万年前にはできていたと言われている。6000年前以降の言語の証拠にいたっては現存している。言語がコミュニケーションのためにできたのかそれとも何かの情報を交換したかったといったように諸説あるが、そこに言語の本質が隠されている。そんなようにロシア語を始め、言語を多面的に見る。そういったことが役に立っていったのだと思う。言語と文化はロシア語に限らず密接に絡み合っている。二つを見ることで包括的に「ロシア」というものを理解することができたのかもしれない。
ロシア極東大函館校は周知の通り、ウラジオストクにあるキャンパスが本学である。東洋研究においては群を抜いている。そんな大学の分校で4年間過ごしていたのだ。本学は東洋研究。こっちは逆。そんな奇々怪々な人生を送ることでロシアを学習するということの本質を少しは理解できたような気がする。

ロシア地域学科 安島 詩織

私はこの4年間の大学生活を過ごして、たくさんの素敵だと思えたことがありました。まずはこの函館という地で過ごしながら、ロシア語を学べたことです。
大学が八幡坂に位置することもあり、毎日坂を登って登校するのは、確かに大変ではありました。しかし、毎日適度な運動を強制させられることで、最低限の体力を養うことが出来、4年間を健康に、無事卒業をする事が出来ました。4年間という長い時間を使って、函館という街を人、文化、歴史、様々な面から学生という立場を持って深く知れた事は、今後の人生でも役に立つと思います。
また肝心のロシア語の授業は、どの先生方も優しく親身になって教えて下さり、誰一人として学生を見捨てることなく、何度でも分かるまで指導をして下さいました。
少人数であることもあるのでしょうが、学生一人一人のことをよく見てくださっていました。また、努力をしっかりと見て、評価に繋げて下さる姿勢や、それに伴う信頼感は、学業に励む上でとても大きさ支えになりました。頑張ることが無駄だと思ったことはこの4年間一度もありませんでした。ロシア人の先生達の「情」に助けられた事も一度や二度ではありません。ロシアを愛して深く追求されてらっしゃる日本人の先生方もそうです。先生方皆さんから日々、ロシア人の心を与えてもらって4年間を過ごせたことは幸福な事だったと感じます。
私たちの世代は、コロナでなかなか例年通りの行事であったり、経験を積むことができない面も多々あり、思う様にいかず悩むこともありました。入学時より楽しみにしていた留学も、例年よりも短期間となってしまい、残念な思いもありました。ですが、その分一日一日を無駄にすることが出来ず、毎日出来ることを全てやり尽くした留学はとても楽しかったし、毎日ウラジオストク市内を歩き回ったおかげで良いダイエットにもなりました。
4年間という長い時間、大変お世話になりました。これからもこの函館の地で、この大学で学んだことを忘れずに、日々一生懸命に生きていきたいと思います。

ロシア地域学科 佐竹 朔湧

人生には色々な選択肢がある。卒業が決まった今、この学校に進学する選択肢を選んで良かったなと自分で思っている。中学3年生の進路を5つに絞った時、高専に進むのか、A高校の普通科に進むか、少し難しいB高校の普通科に進むのか、あるいはC高校でレスリングをするのか、D高校で柔道を続けるのか迷った。優秀な成績を残したわけでもなく、平凡な人間だった私はスポーツより勉強を選んだ。しかも人と違う方向に進みたいと思い高専を選んだ。でもまた高専も向いてないと思って辞める選択肢を選び、憧れの地でもあった北海道に来た。
初めは、人数が少ない学校でつまらないなと思っていた。でも先生方の授業がとても面白くて、そして授業以上に先生方と色んな雑談をすることが好きだった。歴史、政治、宗教、文学、哲学、映画、音楽…とにかくなんでも先生方は知っていたし、僕の知識を褒めてくれた。この大学は休みが短いし、理系程ではないが文系にしては忙しいと思う。妹や地元の友達のように普通の大学に進んだ人が羨ましいと思う時もあったけれど、先生方との思い出は唯一無二であり、このような経験をした人間はなかなかいないのではないかと思う。新しいことを知る楽しさを先生方は思い出させてくれたと思う。おかげでたくさん本や新聞を読んで家でも勉強するようになった。
今のところ、日本とロシアの関係は冬の時代が来ている。しかしロシア人がみんな悪い人ではないということを私は知っている。テレビで活躍している軍事専門家の小泉悠先生の本『ロシア点描』の中に小泉先生と奥さんのエレーナさんがベビーカーを押している時に明らかに柄の悪い若者が助けてくれた心温まる話が載っていた。ロシア人は冷たい、悪者のイメージがあるかもしれない。以前は私もそう思っていた時期があった。でも実はロシア人はとても心優しく、温かい人々なのだ。
そしてそれは旧ソ連の国全てに言えることだと思う(エストニア、ラトビア、リトアニア、モルドバ、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタン、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア、ウズベク、タジク、キルギス、トルクメン)。ソ連は教科書や歴史の本で読むと、まさにかつてレーガン米大統領(僕はアメリカもイギリスも大好き)が言ったような“悪の帝国”だったかもしれない。でもそこに住む人々は決して悪者では無い。毎日ロシア語を学び、先生方と楽しく過ごす中で思ったことである。
人数が少ない分つまらないと思ったこともあったが、教職員の方はその分親身に一人一人を気にかけて向き合ってくださったのでありがたかった。
また、北海道はとても美しい所で、夏休みや冬休みを利用して、先輩や後輩と稚内や洞爺湖までドライブに行ったり、ニセコや夕張でスノボをしたりして、とても楽しかった。
4年間お世話になった人達と家族に感謝して4月からは社会人として頑張っていきたい。

ロシア語科 中村ヒューバー海

極東大学での生活を振り返えると楽しかったと思います。
新たな言語を勉強するだけでなく、その習得を通して今まで触れ合ったことのない文化の一斑を見る事ができ、異文化とふれあいたい気持ちが増しました。
ロシア語の学習を通して思ったことは、脳と筋肉は似ているということです。筋肉を鍛えるとき、一番力が付く運動、基礎の筋トレは大変で面倒くさいものです。脳にとって、勉強がそれです。勉強には、動詞の完了、不完了や詩の暗記のような反復的な運動もあれば、長文の通訳などの複雑な重量の労働があり、それらを使い分けることで成り立っていのだと感じました。
僕は元々、学業にはあまり熱心ではなく、学校には「合格できればいい」という態度で進級してきため、ここに入学して初めて真面目に「ちゃんと」勉強することが必要になり、勉強の仕方から始めなくてはならない点で苦労しました。しかし、その大変な事を諦めずに続けることができたのは、家族、友人たちのサポートのおかげだけではなく、ロシア語が面白かったからだと思います。多少極端な意見かもしれませんが、勉強して興味が湧かないものを無理してまで勉強するのは無駄だと思います。なぜなら興味もなく、嫌々ながら学習したものは、脳が無駄な情報とみなして記憶から消去しすぐに忘れるからだと思います。
この2年間は子どもから、いよいよ大人へなり始める人生の転換期でもあったと思います。この大事な期間を極東大学の先生方のもとで学習できてよかったと思います。
大学の卒業を持って大学での教育は終わりますが、この先も学習と新たな発見を続けたいなと思います。

卒業にあたって 
ロシア語科 岡元 菜弥波

私は入学前、やりたいことも目標もなく進路に迷っていた時、唯一、好奇心を持てたのが外国語の勉強でした。
「外国語の勉強なら頑張れそう」と思った私は市内にあった本校を選び、入学に至りました。
2年間という時間はとても短く、自分自身のロシア語のレベルはまだまだであると思います。しかし、私はこの2年間で多くの学びを得ました。
ロシア語能力0だった私は、ロシア語のアルファベットから初め、当時から今に至るまで毎日ロシア語で頭いっぱいの日々でした。毎日、授業では先生との会話は必須で、自信を持って話すという行為はとても大事なものでした。普段、弱気で消極的な私は、暗記や発表の場はとくに苦手でしたが、ロシア上達のために頑張りました。
本校での行事やイベント事でも、学生が積極的に参加する機会が多く、私は農業体験や、恒例行事への参加など様々なことに挑戦しました。そのおかげで学校生活に徐々に慣れ、緊張が解けるようになりました。
2年時のキルギス留学、自身のロシア語のレベルに不安が残るまま、迎えました。今までインプット状態にあった、ロシア語を、頭の中からなんとか引き出し、文章に仕立て上げ、自分の意思を表現するのに精一杯頑張りました。分からないことがあると周りの人や先輩たち、留学先の先生方が必ず助けてくれました。現地では人との出会いがあり、新たな世界の境地に触れ、多くの学びがありました。キルギスの人は、臆病な私とは逆に、自由で、開放的な人柄の方たちでした。少なからず私の人生にも影響があり、肩の重荷が取れたかのようにキルギスでは針の時計の進みなど気にすることもなく、過ごしていました。
2年間を振り返ると、大変なことや苦手だったこともありつつ、楽しかった思い出が記憶に残ります。勉学に励み、好きなことを学び、何より自分の居場所があるということが私には誇りでした。2年間に悔いはありません。この本校で学んだことを忘れず、これからまた新たに頑張りたいと思います。ありがとうございました。

ロシアまつり報告

美しき春を呼ぶ! 
事務局長 大渡 涼子

「美しき春を呼ぶ!」をテーマに、ロシア極東連邦総合大学函館校では、2月11日(土・祝)に第25回はこだてロシアまつりを開催しました。このまつりは、単なる学園祭という位置付けではなく、市民のみなさまに函館校とロシアを知り、親しみを持っていただきたい、という願いから始まったもので、その期待通り来場者は若者よりもむしろ高齢者や家族連れが目立ち、リピーターが多いのも特徴です。
来場者のお目当ては、学生がロシア人教員とともに作る本場のロシア料理を提供するカフェや、マトリョーシカなど民芸品を販売するキオスクですが、ほかにも民族衣装を着て写真を撮るコーナー、はじめてのロシア語教室、チェス、学生による体験発表、ロシアの専門家を招いての講演会、時には人形劇、さらには函館校の看板コーラスグループ「コール八幡坂」のコンサートなど、毎年多彩なメニューで行ってきました。
1998年に第1回を開催したころは、11月に実施していました。ちょうどウラジオストク本学で日本語を学ぶロシア人学生が函館校に留学している時期だったため、留学生とともに準備ができたのです。
2008~2012年の間は夏の屋外開催とし、駐車場にテントを並べ、北海道の開放的な空気の中、シャシリク屋台を出したり冷たいボルシチを提供したこともありました。2013年からは2月開催とし、マースレニッツァと同時に行っています。
マースレニッツァは冬を払い、春を呼ぶ、ロシアの土着の伝統儀式です。冬を表す体長2メートルほどの藁人形「モレーナ」を燃やし、太陽を模した丸いクレープ・ブリヌイを食べるのが習わしですが、函館校のそれにはオリジナルの寸劇やコール八幡坂の合唱などが加えられ、20分ほどのイベントとなります。
モレーナは2月に入ると、ロシア人教員の指導の下、毎年1年生が中心となって製作されます。稲わらを束ね、その束を荒縄でつなげ、竹で作った骨組みに巻き付けていきます。作業開始から3~4日で完成しますが、函館校のモレーナには最後に「冬」と書かれた紙のエプロンがつけられます。モレーナに火がくべられる前には、糸偏を書き足し、「終」にします。これで寒かった冬も“お終い”、モレーナは炎に包まれ、3分ほどで燃え尽き、観客は拍手で春の到来を喜びます。

昨年と一昨年はコロナ禍のため、大勢の人が一度に集まること、飲食や合唱に制限が加えられました。それでも何とかロシアまつりの伝統をつなごうと、この2年間は屋外でのマースレニッツァのみ開催してきました。そして、昨年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻。私たちを取り巻く状況は最悪のものとなり、ロシアに対する恐怖心から、学校にも非難の電話やメールが相次ぎました。ただ純粋に、ロシアの文化や歴史に興味を持ち、隣の国の言葉を学んでいるだけなのに。“ロシアのスパイを養成する学校”、“函館から今すぐ立ち退け”、言われない誹謗中傷に学生もロシア人教員たちも心を痛めました。この状況で今年のロシアまつりをどのように開催するか悩みましたが、今年開催しなければ、フル開催のロシアまつりを知っている4年生が卒業してしまい、その伝統が途切れてしまう危機にありました。なんとか伝統を後輩たちにつなぎたかったのです。
コロナ前の規模に近づけてやろう、そのために知恵を絞ろう。そう決心して年明けから準備に入りました。カフェは「ロールキャベツとリンゴピロシキ、スープのセット」のテイクアウトとピロシキ単品販売のみ。通常4時間開催しているまつりも今回は2時間半に短縮しました。午前中は屋外駐車場でマースレニッツァ、カフェとキオスク、午後は校舎内で民族衣装試着、ロシア語教室、キリル文字で名前を書き缶バッジを作るコーナー、クイズに挑戦、チェス、学生発表、合唱コンサートと、午前午後で会場を分けたため、学生は少なくとも2つの係を掛け持ちし、お客様が2時間半の間にすべてのプログラムを楽しめるよう、凝縮しました。
函館市内の日本語学校に留学しているハバロフスクやサンクトペテルブルグから来たロシア人学生も手伝い、現場を盛り上げてくれました。閉鎖された世の中で、彼らもこのようなイベントを待っていたのです。
準備をはじめ、街中にロシアまつりのポスターが貼られ、新聞で告知されると、市民からの問い合わせが寄せられました。ピロシキは買えますか?キオスクはやりますか?私たちは手ごたえを感じました。市民のみなさまも、ロシアまつりを心待ちにしてくれている!
当日、ロシアに対する悪感情から、いつものようにお客様が来てくれるか、また変な嫌がらせがないかなど懸念はありましたが、開場前から多くの市民のみなさまが待っていてくれました。例年以上に、市内は元より京都や東京、札幌からも卒業生が参加してくれ、この4月から入学予定の新入生の顔も多くみられました。
どの人も屋外でマースレニッツァを見て、午後からは校舎内でのプログラムを楽しまれた様子です。燃え盛るモレーナの火にあたりながら、「これがなければ春は始まらない」といった声をいくつも耳にしました。25回続けてきたこのまつりは、確実に函館市民に受け入れられている、そう強く感じました。
例年以上に積雪が多く、寒さが厳しかった函館ですが、みんなが待ち望む「美しき春」はすぐそこまで来ていると信じています。

(JICインフォメーション224号より転載)

ロシア地域学科3年 松井 りの

本格的な開催は三年ぶりとの事で、去年とは全く違う体験をすることが出来た。今回私が担当したのは、カフェ班の売店と、ロシアの民族衣装の着付け体験だった。カフェ班は当日に売店に立つ役割で、民族衣装は部屋の飾りつけから衣装の選別まで行った。
事前準備として民族衣装コーナーにする食堂の一角の飾りつけをした際に、ロシアやカザフスタンなどの民芸品も並べて展示することになった。図書室に様々な民芸品が飾られていることは知っていたが、手に取りしっかりと眺める機会がなかったので新鮮だった。
その中でも印象的だったのが豊かな色彩の木製食器の数々だ。黒を下地に、赤、黄、青、緑などの明るい色彩で草花が書かれたその食器は数も多く、種類も豊富で華やかだった。当日は着付け体験だけではなく民芸品の展示も好評だった。同級生の一人がバラライカの演奏をしてくれたこともあり、異国情緒あふれる空間を作ることが出来たように思う。お客様が民族衣装の着付け体験を通し、少しでもロシアに対し親しみや興味を持ってくださったのならば幸いだ。
ロシアまつり当日、開門すると沢山のお客様が店を訪れてくださった。カフェの商品は、ピロシキとロシア風のロールキャベツとスープだった。すぐに長蛇の列が出来、注文の混乱や混雑などもあり、非常に慌ただしく、息をつく暇もなかった。こんなにお客さんが来るのかと驚きと同時に、あっという間に完売させることが出来たのは非常に喜ばしかった。しかし、事前準備の際に想定が甘く、スムーズに商品のやり取りが出来なかったことは反省すべき点だと考えた。次回以降にカフェを運営する際は番号札を作成したり、並びやすいように列整理をしたり、混乱を招かないように落ち着いて接客する必要があると感じた。
反省点も多く、もっとこうしていれば、と後から悔いが残るところもあった開催だったが、自らの出来ることはやり切れたように思う。来年の開催時は今回の反省点を踏まえてよりよい祭りを作り上げられるよう心掛けたい。

ロシア地域学科3年 中村 百李

今年のロシアまつりでは3年ぶりにカフェをすることとなり、1年次では体験したことが無かったカフェ班で販売と、クイズ班に所属することとなり、とても楽しみにしていました。
今回、私はカフェ班の販売のリーダーを務めることになりました。ピロシキとロシア風ロールキャベツ、スープを販売しましたが、この商品をどのように売るのかなど準備不足もあり、直前に慌てて作業をすることとなってしまいました。ですが、班員と協力し合って無事に完売することができました。まつりが大勢の方で盛り上がり、その方たちと販売を通して接することができ、大変良い機会だと改めて感じました。
クイズ班ではアカデミックリンクで使用した資料を基にバイカルアザラシやキルギス、ウラジオストクに関するクイズを作成しました。来場者の方に、このクイズを通してロシアに親しみや関心を持ってもらえるように、難しすぎず、ヒントとなるようなパネルも作成するなど、協力して作成しました。その甲斐あって、来場者アンケートの集計結果を見ると満足度が高いことが分かり、嬉しく思いました。
今回は準備に取り掛かるのが遅くなってしまったので、次回はもっと早めに準備するなど改善したい部分もあります。今年のまつりの様子を見ていて、どの班も魅力的だなと感じたので来年もいろいろと体験してみたいなと思いました。

人事

「法学入門」の担当教員が代わります。2014年から9年間担当された荒木知恵弁護士に代わり、4月から若山優華弁護士が新たに着任します。荒木先生は授業に模擬裁判を取り入れるなど、難しい法学をわかりやすく教えてくださいました。新任の若山先生は学生とも年齢が近いフレッシュな先生です。
また、新たに非常勤講師としてプラーソル・アレクサンドル先生が、3年生前期の「ロシア経済」と「ロシア国家政治体制」の授業を担当します。プラーソル先生はウラジオストク本学で学位を取得された先生で、来日後は長く新潟大学等で教鞭を執られており、オンラインでの授業となります。

学務課お知らせ

校舎の利用時間
本校の校舎利用時間は平日8:30~17:00です。原則として平日以外は休校のため校舎内立ち入りはできません。利用時間外に校舎を利用したいときは、あらかじめ事務局に申し出てください。
校内掲示板(学生連絡)について
学生への連絡事項を校内掲示板に貼りだします。掲示板は、学生係、教務係、進路・就職、図書室、自治会・サークル活動、事務局の6種類ありますので、それぞれ見落としのないように確認してください。

出席率について
期末試験を受けるには各授業原則80%以上の出席率が必要です。
留年を防止するため、特に出席率が低い学生およびその保護者の方には文書で通知しています。

欠席について(7日未満の欠席)
授業を欠席する場合、就活・帰省等が理由で事前にわかっている時には、事務局で所定の用紙に必要事項を記入し、前日までに届け出てください。急な体調不良などでやむを得ず欠席する場合は、事務局まで電話やメールで連絡をお願いします。事務局はそのことを遅滞なく担当教員に伝えます。
欠席した場合は、放課後の補習時間を利用するなどして早期に授業の遅れを取り戻すことが必要です。
なお、7日以上欠席する場合は、事務局にて長期欠席の手続きをして下さい。

補習について
水曜日を除く平日の放課後は毎日ロシアセンターで補習を行います。補習担当教員の当番表は教務係掲示板に掲示しています。

成績通知について
本校では保証人との連携により、学生へのより適切な修学指導を行うことを目的として、学生の成績を保証人(学生の親権者等)の方々へ通知しています。
通知は、毎年4月頃に行う予定です。特段の理由により、保護者への成績通知を希望しない場合は事務局へ申し出てください。
また、学生の皆さんには成績通知書を配付します。前期の成績は、後期授業開始時の9月に配付します。また、後期の成績は翌年度の4月に配付を予定しています。
2~4年生は前年度の成績について事務局で配付しますので、下記期間内に受け取りにきてください。
4月10日(月)~4月14日(金)
なお、期間を過ぎましたら個人情報に関わるので廃棄します。再発行はしません。

JASSO奨学金

本校入学以前に日本学生支援機構奨学金を貸与されていた新入生および前年度で貸与を終了した2~4年生は奨学金返還期限の猶予を申請できます。希望者は4月14日(金)までにインターネットのスカラネットパーソナルから在学届を提出してください。在学届の提出方法は貸与終了時に交付された「返還のてびき」に記載しています。分からない場合は事務局へ来てください。

進学届の提出について(採用候補者)
大学等奨学生採用候補者は決定通知【進学先提出用】を4月7日(金)までに事務局へ提出してください。入学時特別増額貸与奨学金に係る書類提出の指定があれば一緒に提出してください。書類に不備がなければ学校の識別番号(ユーザIDとパスワード)を交付しますので進学届を4月14日(金)までにインターネットで提出してください。
初回振込日は5月16日(火)の予定です。

在学採用募集説明会(給付・貸与希望者)
4月14日(金)14:40から7番教室で奨学金申込の説明と申請書類を配付します。希望する学生は必ず出席してください。この日どうしても出席できない場合は、事前に事務局に申し出てください。
なお、募集する奨学金は給付奨学金と貸与奨学金の2種類があります。給付奨学金は、世帯の所得に基づく区分に応じて、学校の設置者(国公立・私立)及び通学形態(自宅通学・自宅外通学)などにより定まる月額が毎月振り込まれます。貸与奨学金は、学生本人が借りる制度です。卒業後は必ず返還をしなくてはなりません。未成年の学生は必ず保証人の方と相談してから、申し込みをしてください。

給付奨学生 在籍報告(2~4年生)
給付金奨学生は、「在籍報告」により在籍状況や生計維持者について、インターネット(スカラネットパーソナル)を通じて届け出る必要があります。休学中等により支給が止まっている方も対象です。未提出のまま提出(入力)期間が過ぎると、給付奨学金の支給が止まります。下記の期間内に必ず提出してください。
提出期間:4月14日(金)~24日(月)25:00まで

就職支援について

就職支援体制について
事務局では全学年を対象に、外部講師を招いてのセミナーやガイダンスを積極的に開催しています。事務局による個別相談は随時受け付け、学生が希望の職に就けるよう、支援を行っています。昨今はオンラインによる会社説明会や面接が増えるなど、就活方法は多様化しています。就職全般の悩みから、エントリーシートの書き方・面接の練習といった具体的なことまで、気軽に相談してください。
企業説明会の案内や求人票はキャリアサポートセンター前の掲示板に随時貼りだしますので、定期的に確認をお願いします。

△厚生労働省キャリア形成サポートセンター事業「ジョブ・カードを活用した就職ガイダンス」(2023年1月31日、2月2日実施)

留学奨学金海外インターンシップ
留学奨学金による海外インターンシップ(サンクトペテルブルク・モスクワ)は、現時点で今年度実施する予定はありません。今後動きがあればあらためてお知らせします。

ТРКИ講座
ТРКИ(テルキ)は語彙・文法、読解、作文、会話、リスニングの5つのパートからなる外国人ためのロシア語能力検定試験です。
試験は入門、基礎、1級~4級(数字が大きい方が難度が上)のレベル別となっており、ウラジオストク留学中にロシア語科2年生は1級を、ロシア地域学科3年生は2級の合格を目指します。
当講座では、学内模試を行うほか、各パートに合格するために必要な実践的な知識を学習します。開講日程は5月8日(月)~7月10日(月)の間の6回を予定しています。詳細は「学生係掲示板」にてお知らせします。

特別授業について
今年も特別授業を実施します。一般常識として必要な、時事問題や社会制度についての講義を予定しています。全学生の出席が必須です。

オープンキャンパス

今年度のオープンキャンパスは下記の日程で実施します。
日時:第1回 6月24日㈯14:00~15:30
   第2回 9月24日㈰ 9:30~11:00
   第3回 2024年1月20日㈯(オンラインのみ)10:00~11:30
1年生は模擬授業に出席します。また、学生自治会役員は学生の視点から学校生活の紹介を行います。
オープンキャンパスは自治会行事でもあります。自治会役員と1年生は全員出席しましょう。
そのほか、Zoomを利用したオンライン個別相談会は受験希望者に対し、
随時実施します。
オープンキャンパスのお申込みは、こちらからどうぞ。

お知らせ

2023年度 ロシア語市民講座 受講生募集
本校のロシア語市民講座は、受講生の学習期間やレベルにより入門、初級、中級、上級とコースを分けています。まったく初めてロシア語を学ぶ方のための入門コースの募集は、1年のうちで5月の開講時のみとなっておりますので、興味のある方は是非この機会にお問い合わせください。初回は、5月8日(月)、毎週月曜日開講(祝日の場合は翌火曜日)です。
申込締切4月24日(月)までです。詳細はこちらでご確認ください。

2023年度 公開文化講座
はこだてベリョースカクラブ 受講生募集
 本校のロシア人教授陣を中心に、交替で毎回違った角度から日本語でロシアについての話題を提供し、ロシアについて理解を深めていただくための公開文化講座です。
年7回開催し、初回は5月15日(月)15:00~16:00です。詳細についてはこちらをご覧ください。本校学生は無料で参加できます。申し込みの締め切りは4月28日(金)です。

△ベリョースカクラブ 2022年度の様子

函館日ロ親善協会からのお知らせ
1~3月の主な活動実績

〇 新型コロナウイルスや現在のロシアをめぐる状況から、交流事業等はできていない状況です。

係りより

8名の学生が函館校を卒業しました。コロナや世界情勢の影響もありましたが、その中で得た本校での学びについて素直な気持ちを綴ってくれています。新入生も諦めるのではなく、出来ることを自ら探し、いろんなことに挑戦していきましょう!(福尾)