極東の窓

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20世紀におけるロシアのジャズ歌手、レオニード・ウチョーソフ

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第4回目の講話内容です。
テーマ:「20世紀におけるロシアのジャズ歌手、レオニード・ウチョーソフ」
講 師:スレイメノヴァ・アイーダ(教授)
今日は、ソ連時代に愛された歌声を皆さんに聞いていただきたいと思います。ロシアのジャズを語る上で、外せないのが「レオニード・ウチョーソフ(1895-1982)」という人物です。
ロシアのジャズ史が始まったのは1920年代のことです。モスクワで行われたアマチュア演奏家によるコンサートがきっかけです。ジャズは、瞬く間に広がり、アレクサンドル・ツファスマン、アレクサンドル・ヴァルラーモフ、エディーロウネル等のジャズ・オーケストラが民衆の心をとらえ、彼らが演奏する曲は毎日のようにラジオから流れました。1930年にはこうしたラジオから流れる曲やレコード、あるいは生のバンドが演奏するジャズに合わせて人々は踊りました。
またこの当時、アメリカのジャズの名曲がレコードによって輸入されました。例えば、ディズニーのアニメーション『白雪姫』(1936)の挿入歌「いつか王子様が」をヴァルラーモフのオーケストラがアレンジした曲がヒットしました。
しかし、海外のジャズ・ミュージシャンはソ連で政治的関係から禁止されるようになります。地元のジャズ・バンドは多少生き残ることはできましたが、演奏活動の制限が設けられました。楽器のサックスはアメリカのジャズの象徴だったため、捨てられることもありました。
この1930年代に活躍し、今も人気があるのがレオニード・ウチョーソフです。サーカスの道化を経て、寸劇を入れたショーをやっていた彼は、パリやベルリンをめぐる中でジャズと出会い、演劇とジャズを合体させたグループ「テオ・ジャズ」を主催し、話題となりました。彼は映画の主演も務め人気を博しました。中でもウチョーソフが主演したジャズ・コメディー映画『陽気な連中』(1934)は、政府の見解も「アメリカ風のコメディー」ということで国としてはあまり良いイメージではなかったのですが、スターリンも気に入ってこっそり観に行っていたと伝えられています。
第二次世界大戦になると、軍隊の士気を高めるために、前線の慰問でも活躍しました。勝利の日(1945年5月9日)にはモスクワで演奏会も開きました。こうしてジャズは、国内で少しだけ盛り上がりを見せたのです。でもそれも一瞬でした。戦後、冷戦がはじまるとジャズ音楽はまた中傷されるようになります。
ジャズが大きくロシアで認められるようになったのは、1960年代です。新しいバンドが結成され、ジャズに関する本や映画がたくさん公開されました。そしてまた多くの市民が彼に夢中になったのです。
最後に、彼の作品を見て終わりましょう。
・«Одесси́т-Ми́шка» 「オデッサのミーシカ
・«Гоп со смы́ком» 「ホップー・ソ・スムィコム

・«ТЕА-ДЖАЗ» Утёсова 「TEAジャズ
・«Весёлые ребя́та» 「陽気な連中
・«СЕ́РДЦЕ»「
・Ста́рая пласти́нка 「古いレコード