極東の窓

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初代駐日ロシア領事ヨシフ・ゴシケーヴィチ(1814-75年)の若き日々

はこだてベリョースカクラブ

一般向け公開文化講座「はこだてベリョースカクラブ」今年度第5回目の講話内容です。

テーマ:初代駐日ロシア領事ヨシフ・ゴシケーヴィチ(1814-75年)の若き日々

講 師:倉田有佳(教授)

ヨシフ・ゴシケーヴィチ(1814-1875)の61年の人生の中で、初代駐日ロシア領事として函館に勤務したのは1858年から1865年までの約7年である。この間、ゴシケーヴィチは外務本省の訓令に従って日本人との友好に努め、領事館と病院を建設し、ロシア領事館は「北の文明開化」に寄与する存在となった。職務に怠慢な館員には、館長として外務本省に告発的な報告書を送った。こうした函館時代のゴシケーヴィチを真に理解するには、来函までの若き日々を知る必要がある。

1.ベラルーシでの青少年時代、2.サンクトペテルブルク神学アカデミー(大学)時代、3.第12次ロシア正教北京宣教団(学生として)、4.プチャーチン使節団の漢語通訳・秘書、5.初代駐日ロシア領事時代に花開いた語学の才と東洋での経験、と時系列に振り返っていくと、まずゴシケーヴィチの最大の特徴は語学の才で、少年時代から見出せた。国費の給付生として入学権利を得て進んだ首都の神学大学では、古典ギリシャ語・ラテン語・ドイツ語・英語・フランス語で優秀な成績を収め、特にすばらしい評価を得たのがヘブライ語だった。卒業後、1839年から第12次北京宣教団の「学生」として派遣されると、今度は東洋語(中国語・満洲語・モンゴル語・チベット語・朝鮮語)の習得に励む。1861年に北京にロシアの外交代表部が置かれるまで、北京宣教団は外務省が所轄し、ロシア政府の非公式代表団という国家的機能を担っていた。ただし、団員各自に課す任務の内容は外務省と宗務院で決定し、ゴシケーヴィチの課題は「農業」だった。米とジャガイモの栽培、養蚕業、白粉・紅・墨の製法、中国式計算法=そろばんに取り組み、こうした経験を通して東洋(言語、ものの見方・考え方)への理解が培われた。慣れぬ北京での生活環境の中で、「学生」の大多数は来る日も来る日も前任者のやってきたこと、特に辞書の編纂作業を引き継ぎ、語学の習得に励んだ。ゴシケーヴィチの同窓で「学生」として派遣されたゴルスキーのように、10年の任期をまっとうせずに肺結核で亡くなる者も出た。

中国から帰ったゴシケーヴィチは外務省に入省し、プチャーチンを全権代表とする訪日使節団に漢語通訳・秘書として参加する。下田で日露和親条約が締結されるのは西暦1855年2月7日のことだが、そこに至るまでにはクリミア戦争勃発の報に触れ、長崎での日露会談は中断、交渉再開の意を幕府に伝えてもらうために函館に寄港、下田で安政の東海大地震に遭遇、「ディアナ号」を失ったことで「戸田(へだ)号」建造、そして条約締結後は帰国途中に英国軍艦に拿捕、などと苦難の連続だった。だがいずれも無駄にはならなかった。日本での滞在経験や1856年3月にクリミア戦争が終結するまでの捕虜生活中に橘耕斎の協力を得て取り組んだ『和魯通言比考』は、初代駐日ロシア領事への道を拓いた。函館に着任したゴシケーヴィチを見た箱館奉行所の役人から「見たことのある人!」、と言われ、好調なスタートが切れた。10年もの中国滞在のおかげで、ゴシケーヴィチはヨーロッパ人には珍しく漢字を理解する日本語通訳者となり、プチャーチン提督のそばで日本各地を見聞した経験は、函館領事として日本人と種々の折衝を行う際に役立ったはずである。

聖職者の一族に生まれ育ち、神学大学を卒業し、第12次北京宣教団に推薦されるほどのゴシケーヴィチが、聖職者ではなく外交官の道を選んだのはなぜか?卒業論文のテーマ「痛悔機密の歴史的考察」が問題となり、卒業はできたものの、司祭(聖職者)の資格が得られなかったとの説もあるようだが、現時点でははっきりしない。私見ではあるが、神学大学時代のゴシケーヴィチら学生たちが関与したヘブライ語からロシア語への聖書翻訳・出版が大事件に発展した際、ゴシケーヴィチに解決の手を差し伸べたのが外務省で、そのおかげで危機が回避されたことと無関係ではないように思われる(詳細は下記参考文献を参照されたい)。函館でのゴシケーヴィチが初代領事として全力を尽くす姿は、若き日に受けた外務省への恩義に報いるかのようでもある。

いずれにせよ、ロシアから日本(函館)に派遣された最初の外交官は、東洋というものを理解していた教養人だった。領事館の館員たちに厳しかったのも、ゴシケーヴィチの歩んできた道を知れば納得いただけるのではないかと考える。

参考:倉田有佳「ゴシケーヴィチ―日露の縁を繋いだ初代駐日ロシア領事の若き日々」『続々 日露異色の群像30 : 文化・相互理解に尽くした人々』生活ジャーナル、2019年、27-41頁。