極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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ペテルブルク・モスクワ旅行記6

函館校

<6日目>
いよいよインターンシップ最後の日、今日はシェレメチェヴォ空港そばの東洋トランス社に伺う。ロシアCIS諸国に強みを持つ物流の会社だ。
ホテルから地下鉄でベラルースカヤ駅に移動し、鉄道駅のベラルーシ駅からアエロエクスプレスの赤い車両に乗る。二つの駅は隣り合っているので乗換えはスムーズだ。
列車は30分ごとに走っていて、空港までの所要時間はおよそ35分。ペテルブルクでの遅刻を繰り返さぬよう、早めにホテルを出た。
アエロエクスプレスのチケットは券売機でも買えるが、窓口で買おうと試みた。「10時発のシェレメチェヴォ空港行きをください」、しかし「その便はまだ早い、発売前だ」と断られてしまう。こういうところは意外と厳密。30分待合室で過ごし、ようやくチケットを手に入れることができた。

エクスプレスと言いながらも、全然エクスプレスではなかった。ベラルーシ駅を出発するとすぐにのどかな田園風景が広がり、ゆっくり走る鈍行列車の印象だ。

空港の改札には東洋トランスモスクワオフィスの日本人駐在員の方2名が迎えに来てくださり、車でオフィスに向かう。この会社は函館校の卒業生が過去何人も就職し、現在も1名がモスクワに駐在中。しかしちょうど日本に帰国中で卒業生には会えなかったので、ほかの社員の方に社内を案内していただく。会社概要の説明を受け、ヘルメットを被り倉庫を拝見。日本の飲料メーカーの自販機がずらりと並んでいる姿は壮観であった。モスクワで自販機を売るということは、それに入れる飲料も日本から輸出できるということ。学生たちは前日、マネージ広場で見かけた自販機で飲み物を買っていたので実感できたようだ。日本と同じ缶コーヒーやジュースをルーブルで買うと、日本語で「ありがとうございます」と自販機がしゃべる。

ふたたび空港まで送っていただいた後、アエロエクスプレスに乗り、今度は地下鉄パヴェレツカヤ駅に向かう。午後からは双日ロシア会社を訪問する。そこで私たちはまた道に迷ってしまった!地下鉄パヴェレツカヤ駅と鉄道パヴェレツキー駅は大きな道路をはさんで向かい合っているが、その二つを混同し、いただいた地図に従って進んだつもりがまったくの反対方向に行ってしまったのだ。ここでも人々は親切にロシア語で、時には英語で道を教えてくれた。大幅に遅れてようやく双日社に到着した。
ここでは日本から駐在している社員の方のお話を伺い、商社という大きな仕事の一部について教えていただいた。双日はスバル自動車の輸入卸販売代理店の仕事もしている。ペテルブルクでもモスクワでも、トヨタや日産の自動車をよく見かけた。マツダのテレビCMも見た。しかしスバル車は全然見かけなかったので質問してみたところ、スバリストという熱烈なファンがいて、モスクワのような都会よりも郊外の悪路で活躍しているのだとか。
お話の後で日本に留学した経験があるという若いロシア人スタッフ3人の方ともおしゃべりすることができ、おすすめの観光名所などを聞いた。
ひととおりの企業訪問はこれで終了。学生たちは慣れないスーツを着てがんばった。ホテルまでの帰路、地下鉄の中で私たちを中国人と勘違いしたロシア人男性に話しかけられた。その人は英語とドイツ語の通訳をしていて、中国語も勉強し始めたので興味を持って話しかけてくれたようだ。私たちがパルチザンスカヤ駅で降りると言ったら「あの駅にあるパルチザンの像の意味を知っているか?」と聞かれ、よく知らないと答えるとじゃあ教えてあげるよ、と一緒に降りてくれた。
第二次大戦中、土地の住民が武器を持って戦った。この人たちは兵士ではない、だから中には女性もいる。パルチザンは英雄なんだ、というようなことを汗をかきながら熱弁してくれた。たしかにプラトーク(ロシアのスカーフ)を被った女性の像もあり、みな強い意志を持って戦いに挑んでいるようなまなざしだ。その男性の家はまだ先の駅だそうで、ふたたび地下鉄に乗るために手を振って戻っていった。そこまでして教えてくれたことに感動する。

地下鉄構内は日本のように電光掲示板であちこち看板が出ているのと違い、表示も小さく数も少ない。車内のアナウンスも次の駅を一度しか言わないので、注意していないと降り遅れてしまう。ご用心。

ちなみにソ連時代に作られたモスクワの地下鉄駅は、美術館や宮殿にも例えられるほど豪華な装飾と彫刻が印象的である。私が見た数少ない中で気に入ったのはプローシャチ・レヴォリューツィ駅。アーチ状の通路が連なり、アーチごとにすべて違う彫像が置かれていて荘厳な雰囲気。街全体について、ペテルブルクがロマノフ王朝の面影を強く感じさせるのと対照的に、モスクワは共産主義の印象が色濃く残っていると感じた。

企業訪問も済んで気が楽になったので、夕食は各自自由とした。ホテルの周りにはロシアのファストフードチェーンのほか、サンドウィッチのサブウェイや観光客用の土産物店が並んでいる。土産物店の看板は大々的に中国語で書かれ、ほとんどが中国人客であった。
私もお土産を買おうとしたが、強引な中国人が山ほど買っているのでなかなか注文できない。大方の商品はショーケースに並べられているため、店員に頼まないと手に取ることもできない。お客が少ない店を見つけて、チョコレートや紅茶、グルジアワインなどを買い求める。
―グルジアワインはあるか?
―ある。赤か白か?
―赤。
―甘いのか、辛いのか?
―辛いの。
―じゃあ“ムクザニ”ね。
―ちょっと待って、そのきれいな瓶は?
―これはちょっと甘口の“フヴァンチカラ”。
―それもちょうだい。
こうして私は素焼きの美しいボトルに入ったグルジアワインの赤を手に入れた。この程度の会話でも買い物はできる。こちらががんばってロシア語で話すと、お店のお姉さんは親切に対応してくれるが、逆に割り込もうとする通訳なしの中国人には「待て!」と手厳しい。という訳で、勇気を出してロシア語で店員さんに話しかけることをおすすめします。

ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子