No.119 2024.04"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

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ロシア語を楽しむもう一つの方法

ロシア極東連邦総合大学函館校 准教授 イリイン・ロマン

「喉仏の友」をイメージすると、どんなことを想像しますか。まったくのでたらめでしょう。しかし、ロシア語には закадычный другという慣用句があります。 Другとは「友達」のこと、 закадычныйとは名詞の кадык(カディーク)「喉仏」からの形容詞で、за は「後ろ」という意味です。現在は、慣用句内のみで使われるようになっていますが、もともと、заливать за кадык 「喉仏の後ろにいっぱいに注ぐ」、つまり、「酒を飲むこと」という語源をもっていて、19世紀まで「飲み友達」を意味しました。現代語では「親友」という意味だけを持つイディオムになっていて、日本語の「茶飲み友達」という表現に相当するでしょう。
このように、ロシア語の慣用句を勉強するのならば言語のアスペクトだけでなく、歴史、文化、すなわちロシアという国を学ぶことができます。一石二鳥の学習になります(ロシア語にも同じ意味の慣用句があります。Убить два зайца одним выстрелом「一発で2羽のウサギを殺す」)。
本校の学生もロシア語の慣用表現に関心を持っているようです。Медведь на ухо наступил 「熊が耳を踏んだ」、つまり、「音痴」のこと、などのロシア語のいくつかの慣用表現を調べ、「諺と慣用句に見る日本とロシアの発想の違い」という題名をつけて、昨年行われた「HAKODATEアカデミックリンク」に参加しました。
慣用句は特別な言い方で特別な意味を持っていて、単語の意味のみで表現全体の意味を理解することは難しいです。ロシア語の多くの慣用句は文化と歴史を反映するので、本文ではロシアの歴史に関連するいくつかのものを紹介しましょう。
Как аршин проглотил「アルシンを飲み込んだようだ」。アルシンとは19世紀まで使われていたロシアの長さの単位です。約71cmの木の棒で、主に布を図るように用いられました。前を向いて、じっとして背筋を伸ばして立つこと。約71cmであったと言われる木の棒を飲み込んだら、緊張感をもち、真面目にピンと立つであろうという概念からきています。日本語の慣用句で最も近いのは、「固唾を呑む」ではないでしょうか。ここでの「固唾」は飲み込みにくい唾液を指し、緊張のあまり、唾液を飲むのを忘れている様子を表します。
Кричать во всю Ивановскую「イワノフスカヤ広場中叫ぶ」。17世紀にイヴァン大帝の鐘楼では、祭りになると全30となる鐘が強く響き渡っていたということからきているそうです。つまり、「注目を集めるようにとても大きな声を出すこと」を意味します。日本語には、慣用句ではなく四字熟語にはなりますが、「喧喧囂囂」というものがあり、多くの人々が口々にやかましく騒ぐという意味を持ちます。また、「うるさい」を漢字で書くと、「五月蠅い」と書きます。その語源は、ハエが梅雨時期になると活動的になりその音が非常にうるさいことからきているそうです。
Затрапезный вид「みっともない見た目」という表現はピョートル大帝の時代からの語源を持ちます。その時代、Затрапезников(ザドゥラペズニコフ)という工場主が貧乏人にシャツやワンピースを販売し、貴族は彼が作った服はパジャマ用のみに使っていたと言われています。ザドゥラペズニコフ屋で買った服はみっともないということから生まれ、現在もよく耳にします。見た目に関する日本の有名な諺は「人は見た目によらぬもの」でしょう。見た目で人を判断してはならないという意味合いをもって、ロシア語にも似たような諺があります。Встречают по одёжке, провожают по уму 「会うときは服装で判断するが、別れの際は人の知能を見る」。
本校の入学式では毎年新入生にХлеб-соль (フレップ・ソリ)「パンと塩」が差し出されます。もともと、尊敬するお客さんをもてなし、歓迎の意味がありましたが(現在も結婚式などの様々な式典で使われる)、Спасибо за хлеб-соль (スパシーバ ザ フレップ・ソリ)は慣用句になり、「ご馳走様でした」、「お招きいただき、ありがとうございました」別れる時の常套語として使われています。
В час по чайной ложке「一時間ごとに小さじ」。 食事に関する表現に見えますが、そうではありません。昔、薬剤師は薬瓶に薬を服用する時間などを書きました。1時間は長いですが、小さじ1杯は少ないため、この表現はぐずぐずすること、進み方が遅いのを連想させるようになりました。日本語の「牛歩」、「煮え切らない」という慣用句に当てはまるでしょう。
以上の慣用句やことわざは私たちの言語を豊かにし、長い考えを短くまとめてくれる便利なものです。ロシア語のネイティブである私でも、調べてみると語源が面白いものがあります。たとえば、上記の кадык(喉仏)はチュルク語族からロシア語に入り、もともと、「硬い」という意味を持っていました。トルコ語では “kati” といい、日本語の「カタイ」にも繋がりがあると思われています。また、ロシアの多くの慣用表現(特に諺が多い)の魅力としては語呂合わせのように韻を踏み、美しく感じられます。例えば、次の諺に脚韻があります。Ученье и труд всё перетрут(ウチェニエ イ トゥルートゥ フショピェレトゥルトゥ)。「学習と努力でどんなことでもできます」ということです。
石に立つ矢!

卒業生からの寄稿

ロシアを学ぶということ
ロシア地域学科 鈴木 貴大

ロシア極東連邦総合大学函館校の卒業を迎えて、私が今、思うことは「この学校に通うことができてよかった」ということだ。
もちろん、大変なことも多かった。私の学年は入学してすぐにコロナ禍が始まったために、学校行事等の規模が縮小したり、それ自体が無くなったりした。国内のコロナ感染者数が収まりをみせ、やっとロシアへ行けると胸を躍らせた矢先に特殊軍事作戦が始まった。
今思い返せば、それはかなり辛い経験だった。こんなにもロシアのことが好きなのに、神様は私に残酷な試練をお与えになっているとさえ考えていた。
しかし、こんな状況にあっても、ロシアを学ぶ進路をとって本当によかったと感じる。昔から家での勉強が好きではなかった私は、1年生のときにタチヤーナ先生やデルカーチ先生の授業についていくために泣くほど放課後に勉強した。そのおかげで、ある意味強い精神力がついたとも思うし、先生方と政治・文化・哲学・文学・歴史・映画などの様々なトピックで話す楽しさは、普通の大学に行っていたら得られないものとさえ感じる。
さらに、ロシアへ行くことは叶わなかったにしろ、3年時にはキルギスへ留学をして、中央アジアという新しい可能性を見つけることもできた。入学前のロシア語力がほぼゼロだった私が今では好きなロシアの曲を歌ったり、ロシア語でワールドニュースを聞いたり、留学先で出会った現地の学生や先生方とロシア語で電話したり、ロシアを知ることで世界を見る視野を広げることができたのもひとえに、ここ極東大の存在と先生方の熱心な教鞭のおかげである。
現在、日本とロシアの関係は非常に冷え込んでいる。そして、罪のないロシア文化などが貶されたり、ロシア人が謂れのない誹謗中傷を受けたりしていることも事実だ。だが、私は4年間という長くも短い期間で先生方の教えを受け、自身が感じ考えてきた経験を基に、それらが正しい行為だとは到底思えない。周りの人は私のことを「この時期は運が悪かった」と言うが、こういった時期にロシアについて学べたことは人生において非常に意味のあることだった。
最後に、この混沌とした情勢が一刻も早く終了し、いつの日か日本とロシアが再び手を取り合って共存する未来を切に願う。

学校生活を振り返って
ロシア地域学科 上野 真由

私にとってこの大学で過ごした4年間はとても長いものでした。
入学当初、ロシア語を全く知らなかった私にとって、すでに知識を持っていた同期と一緒に受ける授業はとてもレベルが高くついていくのがやっとでした。また、毎日授業がある上に課題やテストの量も多く、体力的にも精神的にも辛く感じることが多くありました。学習する内容も学年が上がるたびに難易度が上がり、4年後期になってようやくこなし方がわかったように感じます。
そんな中で就職活動をしたり、卒業論文を執筆するのはとても大変なことでした。授業を長く休むことはできないため、就活はできるだけオンラインでの対応が可能な企業を探したり、毎日の授業の準備と書類や面接の準備など、どちらも疎かにしないように取り組む必要がありました。
ただ、常にたくさんのことを並行して行うために、自分でスケジュールの管理をする能力や、最後までやり切る力が伸ばせたのではないかと思います。
学生生活で特に印象的だったのは、キルギスへの留学実習です。それまで海外へ行ったことがなかったため、渡航するまで不安を感じていたのですが、現地の人と話したり、キルギスの文化に触れたりすることはとても刺激的でおもしろいものでした。また、普段自分は、インフラが整った生活しやすい環境で過ごしていたんだと実感しました。ロシアへ行けなかったのは残念でしたが、なかなかできない経験ができたことはとても嬉しく思います。
苦しい時期も多い学生生活でしたが、これから社会人として働いていく中で、大変な4年間を乗り切ったという事実が、自分のことを支えてくれる日がいつか来るかもしれません。もちろん、辛い思いをすることがなければ、それが一番良いとは思いますが、難しい局面に遭遇しても大学で培った忍耐力や適応力を仕事にも活かしていきたいです。

学生生活を振り返って
ロシア地域学科 弓田 眞悟

私はロシア極東連邦総合大学函館校で、ロシア語を四年間学び、ついに卒業することになる。ただ、私は幼い頃からロシア自体に全く興味がなく、知識としてあったのは大きい怖い国、お酒を呑むのが好きな人が多いぐらいである。コミュニケーションもあまり好きではないからその道具となる語学自体も昔から好きではなかった。
私が好きなのは、もっぱら生き物である。彼らは人間のような醜い生き物と違い、キチンと本能というルールの中で生きている。私は彼らについて知るのが好きだ。でも日本の情報では限界がある。だから、私は彼らについてもっと知るために語学を学び始め、イギリスにも博物館目当てに留学し、語学に興味をもてた。
その後、以前在籍していた大学でロシアに生息する生き物についても知り、せっかくなら外国の学位がもらえ、ネイティブに教えてもらったほうがいいと思い極東大に入学した。理不尽なことや思想宗教が合わない人もいる中、生活費を稼ぐためのバイトと勉強を両立することはできたとは思う。
とりあえず、「早く卒業したい」という気持ちだけだった。ロシア語を学んでいたが、結局一度もロシアに行くことができずに卒業となるため、ウラジオストクにある水族館に行くことができなかったのが残念である。
残りをどのように暮らしていくか考えるために様々な趣味を始めたが、常にイライラするために実ったものはない。卒業論文においては、自分の興味が持てるものでよかったと思う。もし、生き物関係以外のものであったら、私は論文を仕上げる自信がなかったからだ。しかし、論文の仕上げる段階でコロナにかかってしまった。困難で、苦しかったが、精神的なストレスの方は減らすことができたため、よかったと思う。このように学校生活を過ごし、この春卒業する。
ロシア語を学んだ経験は、正直私は就活に生かすことができなかった。しかし、ロシアにおいてどんな生物がいるのかは詳しくなった。そして趣味の範囲を広げられるきっかけにはなった、と思いたい。
今後どうなるかわからないが、自分の好きに生きていこうと思う。そして、気が向いたらまた就活を始めてみようと思う。

極東大の生活を振り返って 
ロシア語科 佐藤 宏夢

私がこのロシア極東連邦総合大学函館校に入ったのは2021年のことでした。ロシア語自体はもともとある程度の基礎知識はあったので、始めの方は、だいぶ余裕を持って学習できていたのではないかと思います。
入学を決めたのは、もっと多くのロシア語の単語、文法、会話術を学んでみたいと思ったからです。
結果、ここで思っていた以上のロシア語の単語や幅広いロシア語の文法利用について学ぶことができたと思います。
またロシア語を通じてロシア文学の翻訳やその他の書籍の文法の理解そしてそれを翻訳する、などが少しはできるようになったのではないかと思います。
そして、学内外のイベントにも積極的に参加できたと思います。例えば、函館市内で行われるアカデミックリンクという合同研究発表会に参加するにあたり、函館の縄文文化をロシア語と共に紹介する資料を作りしました。また、本校で毎年行われる「はこだてロシアまつり(マースレニッツァ)」では、雪解けと春の到来を祝うイベントがあり、ダンスを披露することもありました。そのあとに行われた購買の仕事や民族衣装の着付けなどの担当に従事し、イベントを盛り上げ、学校に貢献できたと思います。これらのイベントに積極的に参加することによって自分の奥手な部分を少しは改善できたと感じます。
この学校に入学して、ロシア語以外でも多くのことを学べたと思います。もともとロシア語に興味がありましたが、そのほかにもロシアの歴史や地理関係なども興味があり、勉強をしたいと考えていました。そしてそれを一番感じたのはロシアの歴史の授業です。中でもロシアの宗教関係など、古代の暮らしに興味関心を引きました。ロシアにキリスト教が来る前の現地、民間宗教などの歴史があることを知ることができました。
もっと勉強したいという思いがありながらも、私はロシア地域学科からロシア語科に転科しました。理由は、ロシア語よりもロシアの歴史よりも、やりたいことができたからです。そして短期で卒業してやりたいことをやろうと考えたからです。これは、ロシア語よりも今自分がなりたい何かへ向かおうと決めたからです。つらい選択でしたが、実行することにしました。
しかし、自分は後悔していません。ロシア語はこの二、三年間でたたきこまれたので、これを基に、これからは自力で頑張ろうと決意しました。こんな自分を先生や友達、何より親が支えてくれ、私は転科をする決意ができました。
最後になりますが、こんな自分を卒業させてくれてありがとうございます。今までありがとうございました。

ロシア語科 福留 聖司

入学式の日をつい昨日のことのように思いだしますが、もう2年も経つのかと思うと感無量です。
2年前の2月、私は会社を辞めてロシア留学に向かう準備をしているところでした。そこに突然、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが飛び込み、アエロフロート航空からは予約していたウラジオストク行の便の運航中止の連絡があり、西側諸国によるロシアへの金融制裁の開始など悪いニュースが次々飛び込んできました。
当時、中東経由でのロシア渡航は可能だったものの、周囲の説得を受け結局留学は中止し、ここ函館校に突如入学することとなりました。
当初は「何でこんなことになったんだ!」という思いもあり、もし紛争が早期に終結したならば、函館校は中退してロシア留学に切り替えようかとも考えていましたが、この度卒業生の一員に名を連ねることとなりした。
特殊な経緯での入学ではありましたが、西側の教室からは函館湾、横津連峰、そして駒ヶ岳を、東側の教室からはハリストス正教会、元町カトリック教会、東本願寺函館別院を一望でき、旧青函連絡船・摩周丸の汽笛と教会の鐘が昼時を告げる幻想的な空間で2年間勉強できたことは、貴重な経験だと思っています。
文法が複雑なロシア語は、趣味程度でやっていてもなかなか使いこなせるようにはなりませんが、未だ不十分とはいえ簡単な会話程度は出来るようになったことは、諸先生方の御指導の賜物であり、感謝の念に堪えません。特に、ロシア語の単語を要素に分解して理解する教授法は、日本国内ではここ函館校のみでしか経験できないものだったと思います。
また、若い皆さんと机を並べ、二十数年ぶりに”学生”という立場を経験することとなりましたが、学業のほか課外活動、学校祭の準備を含めて一緒に活動できたことは実に楽しい思い出となりました。
回り道とはなったものの、これから初志通り”留学”に向かいロシア語の勉強を続けますが、函館校の日々を忘れず、ここで学んだことを糧として、一層精進してまいる所存です。

はこだて・たそがれ 
ロシア語科 リンダマン美亜

高校を卒業し、親元を離れて関東から北海道に越してから二年が経ちます。初めての一人暮らし、初めてのアルバイト、色々な「初めて」を学生になって経験しました。
最初の一年間は、アパートに帰っても迎えてくれる家族がいないことなどに慣れず、多くの面で余裕が無くなりました。生活面で余裕が無いと、勉強も捗らず、毎日授業についていくのが大変でした。同じ頃、兄は大学に通いながら、アルバイトの掛け持ちをしていると聞き、自分も勉強に勤しむことが出来ました。
アグリ八幡坂の活動に参加出来たのも有難いことです。それ以前から興味を持っていた農業に関する知識がより深まり、農業を通して先輩方や後輩たちとコミュニケーションをとる機会が増えました。
高校時代、部活に所属していなかったため、後輩との関わりがなく、この函館校で初めて頼りにしてもらえたように感じます。些細なことでも、聞かれたことには答えてあげたいという気持ちになったのはここ最近初めてのことで、自分が大人である実感が湧きました。そして、仲良くなった学生同士でケーキ作りなどの楽しい思い出も作ることが出来ました。
函館校ではポスターデザインなど、学生のクリエイティブな面を活かす機会も多く、私もクリアファイルのデザインが出来たことを大変嬉しく思います。ロシアまつりでは、手作りのフェルトソープも販売することが出来て、芸術的にも進歩する学生生活を送ることが出来ました。
この二年間で、留学の夢も実現され、なんと言っても貴重なロシア語を学ぶ場を与えられたことに感謝しています。始めたての頃は、どんな勉強よりも苦労しましたが、段々慣れてくると、楽しいものへと変化していき、まだまだロシア語とその国に関することを吸収していきたいと思うようになりました。そして、自分を経済的にも精神的にも支えてくれた親と祖父母には本当に感謝しています。挫けて卒業を諦めようとしたことは何度もありましたが、応援があったお陰で人生の節目をもう一つ迎えることが可能となりました。

卒業にあたって
ロシア語科 金城 柊人

私は入学前、やりたいことも目標もなく進路に迷っていた時、唯一、好奇心を持てたのが外国語の勉強でした。
「外国語の勉強なら頑張れそう」と思った私は市内にあった本校を選び、入学に至りました。
2年間という時間はとても短く、自分自身のロシア語のレベルはまだまだであると思います。しかし、私はこの2年間で多くの学びを得ました。
ロシア語能力0だった私は、ロシア語のアルファベットから初め、当時から今に至るまで毎日ロシア語で頭いっぱいの日々でした。毎日、授業では先生との会話は必須で、自信を持って話すという行為はとても大事なものでした。普段、弱気で消極的な私は、暗記や発表の場はとくに苦手でしたが、ロシア上達のために頑張りました。
本校での行事やイベント事でも、学生が積極的に参加する機会が多く、私は農業体験や、恒例行事への参加など様々なことに挑戦しました。そのおかげで学校生活に徐々に慣れ、緊張が解けるようになりました。
2年時のキルギス留学、自身のロシア語のレベルに不安が残るまま、迎えました。今までインプット状態にあった、ロシア語を、頭の中からなんとか引き出し、文章に仕立て上げ、自分の意思を表現するのに精一杯頑張りました。分からないことがあると周りの人や先輩たち、留学先の先生方が必ず助けてくれました。現地では人との出会いがあり、新たな世界の境地に触れ、多くの学びがありました。キルギスの人は、臆病な私とは逆に、自由で、開放的な人柄の方たちでした。少なからず私の人生にも影響があり、肩の重荷が取れたかのようにキルギスでは時計の針の進みなど気にすることもなく、過ごしていました。
2年間を振り返ると、大変なことや苦手だったこともありつつ、楽しかった思い出が記憶に残ります。勉学に励み、好きなことを学び、何より自分の居場所があるということが私には誇りでした。2年間に悔いはありません。この本校で学んだことを忘れず、これからまた新たに頑張りたいと思います。ありがとうございました。

ロシアまつり報告

第26回はこだてロシアまつり終了報告
学務課長 福尾 瞳

2月10日(土)に第26回はこだてロシアまつりが無事に開催されました。今回は4年ぶりにコロナ禍前の大規模なイベントとして行われ、函館市民や卒業生など、400人以上のお客様が来場し、大成功に終わりました。
しかし、ここにくるまでの準備は非常に大変でした。その主な理由は、在校生全員がコロナ禍前のロシアまつりの経験がないことです。過去の写真を見せながら学生たちにイメージを伝えることも行いましたが、それだけで全ては伝わりません。
以前は学生役員が中心となり実行委員会を組織し、教職員と共に準備を行っていましたが、経験のない在校生たちは何をすべきか、何から始めればよいかわからない状態でした。そこで、渡辺理事長の提案により、新たに代表委員会が組織され、学生3名、教職員3名の計6名が中心となり、まつりの準備に取り組みました。私も事務局代表として参加することになりました。
代表委員の学生3名は、過去の資料を参考にし、現在の学生たちができることを考え、意見を出し合い、実現可能かどうかを教職員と協議しました。その内容を今度は、委員ではない学生や教職員に伝え、役割分担をし、各班準備をしていきました。
準備はほぼ予定通り進行しましたが、未経験の学生たちは常に「これでいいのか」と疑問を抱いていたようです。前日の準備では、会場設営が進み、形になっていく中で、新たなアイデアが浮かび、試行錯誤を重ねたため作業は遅くまで続きました。
さて、まつり当日です。11時に開場し、冬を追い払い春を迎えるロシアの伝統的な儀式「マースレニッツァ」の寸劇が行われました。冬を象徴する2メートルのワラ人形「モレーナ」に学生が糸偏を書き足すことで冬が終わりを迎える様子が演じられ、来場者は春の到来を歓迎しました。11時半からは校舎内の会場もオープンし、ロシアカフェには長い行列ができ、体験コーナーやロシアやキルギスの民芸品を販売するキオスクのあるロシアセンターや、アグリ八幡坂 菜園休憩所も多くの人で賑わいました。学生が講師となって行った「はじめてのロシア語教室」は2回の開催とも定員を超える盛況ぶりでした。コール八幡坂のステージショーでは、ロシア語の歌を6曲披露し、会場全体が盛り上がりました。最後に行われたのは学生発表です。ロシア語詩の暗唱、人気漫画「ゴールデンカムイ」についての発表、昨年の8~9月、中央アジア・キルギスに留学した学生による発表を行いました。発表を聞いた来場者からは「どの発表も学生さんの熱意が感じられました」「とても良かった!学生さん、頑張っていましたね!」など好意的な感想が多く寄せられました。
終了後、学生からの感想でもありましたが、予想以上のお客様が来場し、学生・教職員一同、驚きと喜びでいっぱいでした。だからこそ、反省点も多くあり「準備にもう少し時間を割ければよかった」「連携をもっとうまくすればよかった」「お客さんへの説明を上手にできるように、再確認することがたくさんあった」という声が学生から挙げられました。
経験に勝るものはありません。学生たちの中で様々な学びや気づきがあったようです。教職員も学生とともに切磋琢磨し、来年のロシアまつりでは、今回の反省点等を反映させ、より良い形で実施したいと考えます。
以上、ご報告とともに、このまつりを様々な形で支えてくださった皆様に心より感謝申し上げます。

マースレニッツァを終えて 
ロシア地域学科3年 依田 純佳

今年のマースレニッツァは去年よりも大きな賑わいを見せた。去年は無かったキノコのブリヌィ(クレープ)の食券はカフェ開店前に売り切れ、開店と同時に多くの人が食堂へと入ってきた。私はずっとカフェの係に従事していたため、校内全体の様子は分からなかったが、聞いた話によれば、キオスクやクイズコーナーなど、どこも賑わっていたようだった。
太陽を象徴する丸いブリヌイには五穀豊穣の祈りが込められている。カフェの担当だった私は、初めてブリヌイ作りをする事となった。タチヤーナ先生とスレイメノヴァ先生の指導を受けながら生地を焼いたのだが、初めは中々上手くいかない。先生はいとも容易く生地を焼くというのに、実際に自分で焼いてみると生地が厚くなりすぎてしまう。かと言って薄くしようとすると、フライパンに流し入れた生地の量が少なく、変な形になってしまう。たかがクレープ作りだと高を括っていた数分前の自分を恥じた。しばらく作業をしていると次第にコツを掴めるようになり、焼き上げるブリヌイの生地も、ようやく様になっていった。マースレニッツァに欠かせないブリヌイ作りは、想像以上に大変なのだと思い知らされた。
ブリヌイと並んで特に人気だったメニューの一つは「サリャンカ」というスープだ。デルカーチ先生の指導の下、スープ担当の学生たちが先生と共に沢山の野菜を刻み、それを具として作ったものだ。サワークリームが添えられたコクのあるスープは寒い冬にピッタリで、おかわりをする人も少なくなかった。
私は他に、準備だけではあったが、アグリ八幡坂(休憩所)の係でもあった。それは休憩所並びに、腰を下ろして食事ができる場所として設けられた。準備では、看板の製作を手伝い、教室の壁に貼る写真を選んだ。今までアグリ八幡坂で活動してきた仲間や渡辺理事長先生と共に、思い出を振り返りながら。マースレニッツァ当日は、前述した通りカフェの仕事に就きっぱなしであり、様子を見ることができなかったが、お昼時には多くの人が訪れたと聞いた。また、休憩所ではスビョークラ(ビーツ)の試食も行っていた。それも中々好評であったようだ。
二度目のマースレニッツァを迎えて気付いた事は、常連の方が多いという事だ。ベリョースカクラブやロシア語市民講座などに参加している方々や、この祭りを楽しみにしてくれている方々など、多くの人々に支えられていることをひしひしと感じた。
また、今年のマースレニッツァは私にとって特別なものでもあった。私以外のクラスメイト全員が今年度で卒業するため、皆と過ごせる最後の祭りだったのだ。今まで共に学んできた、同じクラスの仲間達との最後の活動だった。こうして素敵な思い出を残すことができて良かった。

△賑わうカフェの様子

学務課お知らせ

校舎の利用時間
本校の校舎利用時間は平日8:30~17:00です。原則として平日以外は休校のため校舎内立ち入りはできません。利用時間外に校舎を利用したいときは、あらかじめ事務局に申し出てください。
校内掲示板(学生連絡)について
学生への連絡事項を校内掲示板に貼りだします。掲示板は、学生係、教務係、進路・就職、図書室、自治会・サークル活動、事務局の6種類ありますので、それぞれ見落としのないように確認してください。

出席率について
期末試験を受けるには各授業原則80%以上の出席率が必要です。
留年を防止するため、特に出席率が低い学生およびその保護者の方には文書で通知しています。

欠席について(7日未満の欠席)
授業を欠席する場合、就活・帰省等が理由で事前にわかっている時には、事務局で所定の用紙に必要事項を記入し、前日までに届け出てください。急な体調不良などでやむを得ず欠席する場合は、事務局まで電話やメールで連絡をお願いします。事務局はそのことを遅滞なく担当教員に伝えます。
欠席した場合は、放課後の補習時間を利用するなどして早期に授業の遅れを取り戻すことが必要です。
なお、7日以上欠席する場合は、事務局にて長期欠席の手続きをして下さい。

補習について
水曜日を除く平日の放課後は毎日ロシアセンターで補習を行います。補習担当教員の当番表は教務係掲示板に掲示しています。

成績通知について
本校では保証人との連携により、学生へのより適切な修学指導を行うことを目的として、学生の成績を保証人(学生の親権者等)の方々へ通知しています。
通知は、毎年4月頃に行う予定です。特段の理由により、保護者への成績通知を希望しない場合は事務局へ申し出てください。
また、学生の皆さんには成績通知書を配付します。前期の成績は、後期授業開始時の9月に配付します。また、後期の成績は翌年度の4月に配付を予定しています。
2~4年生は前年度の成績について事務局で配付しますので、下記期間内に受け取りにきてください。
4月8日(月)昼休み ~4月12日(金)
なお、期間を過ぎましたら個人情報に関わるので廃棄します。再発行はしません。

JASSO奨学金

本校入学以前に日本学生支援機構奨学金を貸与されていた新入生および前年度で貸与を終了した2~4年生は奨学金返還期限の猶予を申請できます。希望者は4月12日(金)までにインターネットのスカラネットパーソナルから在学届を提出してください。在学届の提出方法は貸与終了時に交付された「返還のてびき」に記載しています。分からない場合は事務局へ来てください。

進学届の提出について(採用候補者)
大学等奨学生採用候補者は決定通知【進学先提出用】を4月12日(金)までに事務局へ提出してください。入学時特別増額貸与奨学金に係る書類提出の指定があれば一緒に提出してください。書類に不備がなければ学校の識別番号(ユーザIDとパスワード)を交付しますので進学届を4月17日(水)までにインターネットで提出してください。
初回振込日は5月16日(木)の予定です。

在学採用募集説明会(給付・貸与希望者)
4月16日(火)14:40から7番教室で奨学金申込の説明と申請書類を配付します。希望する学生は必ず出席してください。この日どうしても出席できない場合は、事前に事務局に申し出てください。
なお、募集する奨学金は給付奨学金と貸与奨学金の2種類があります。給付奨学金は、世帯の所得に基づく区分に応じて、学校の設置者(国公立・私立)及び通学形態(自宅通学・自宅外通学)などにより定まる月額が毎月振り込まれます。また、今年度から新たに多子世帯支援が始まります。きょうだいが3人以上いる方は対象となる可能性がありますので、一度事務局へ相談に来てください。
貸与奨学金は、学生本人が借りる制度です。卒業後は必ず返還をしなくてはなりません。必ず保護者の方と相談してから、申し込みをしてください。

給付奨学生 在籍報告(2~4年生)
給付金奨学生は、「在籍報告」により在籍状況や生計維持者について、インターネット(スカラネットパーソナル)を通じて届け出る必要があります。休学中等により支給が止まっている方も対象です。未提出のまま提出(入力)期間が過ぎると、給付奨学金の支給が止まります。下記の期間内に必ず提出してください。
提出期間:4月15日(月)~24日(水)25:00まで

石館とみ奨学金

「石館とみ奨学金」は、人物・学業ともに優れ、かつ将来、社会奉仕の精神に基づく社会貢献を期待できる学生に対し奨学金を授与することにより、優秀なる人材の育成と教育効果の向上に資することを目的とし、本校での学資として給付される奨学金です。
6月24日(月)に開催予定の説明会で、制度概要と応募方法について説明しますので、奨学金を希望する学生は必ず参加してください。なお、この説明会については別途掲示板にてお知らせします。
申し込み締め切りや選考会は下記日程で行います。

  申込締切日   7月 9日(火)
  一次選考審査会 7月10日(水)
二次選考審査会 7月16日(火)

説明会と二次選考審査会には学生本人が出席しなければなりません。
採用は2名を上限とし、2名採用の場合は1名につき17万5千円を、1名採用の場合は35万円が支給されます。

就職支援について

就職支援体制について
事務局では全学年を対象に、外部講師を招いてのセミナーやガイダンスを積極的に開催しています。事務局による個別相談は随時受け付け、学生が希望の職に就けるよう、支援を行っています。昨今はオンラインによる会社説明会や面接が増えるなど、就活方法は多様化しています。就職全般の悩みから、エントリーシートの書き方・面接の練習といった具体的なことまで、気軽に相談してください。
企業説明会の案内や求人票はキャリアサポートセンター前の掲示板に随時貼りだしますので、定期的に確認をお願いします。

△北海道警察と第一管区海上保安部による「就職ガイダンス」(2023年10月19日実施)

留学奨学金海外インターンシップ
留学奨学金による海外インターンシップ(サンクトペテルブルク・モスクワ)は、現時点で今年度実施する予定はありません。今後動きがあればあらためてお知らせします。

ТРКИ講座
ТРКИ(テルキ)は語彙・文法、読解、作文、会話、リスニングの5つのパートからなる外国人ためのロシア語能力検定試験です。
試験は入門、基礎、1級~4級(数字が大きい方が難度が上)のレベル別となっており、在学中にロシア語科2年生は1級を、ロシア地域学科3年生は2級の合格を目標としています。
当講座では、学内模試を行うほか、各パートに合格するために必要な実践的な知識を学習します。開講日程は4月22日(月)~7月22日(月)の間の7回を予定しています。詳細は、掲示板にてお知らせします。

特別授業について
今年も特別授業を実施します。一般常識として必要な、時事問題や社会制度についての講義を予定しています。全学生の出席が必須です。

お知らせ

函館校開校30周年・函館日ロ親善協会設立35周年記念コンサートを開催します

函館校はこの4月、開校30周年を迎えました。これを記念し、これまでのご支援に感謝の意を表するため、市民のみなさまを無料招待する下記クラシック・コンサートを開催します。
函館市在住のピアニスト・高実希子さんとスウェーデンのイェーテボリオペラ管弦楽団 第2ヴァイオリン首席奏者・田代裕貴さんによるプログラムです。
5年前にも同様に、このお二人によるコンサートを函館市芸術ホールにて開催した際は、多くのお客様にご来場いただき、好評を得ました。今回会場は変わりますが、また素敵な演奏が期待されます。ベートーヴェンのヴァイオリンソナタは、ロシアの文豪トルストイがその曲から着想を得て、小説『クロイツェル・ソナタ』を書き上げたという逸話があります。この機会にぜひ、お越しください。

日時:2024年6月28日(金) 開場18:00 開演18:30
会場:函館市公民館(函館市青柳町12-17)
出演:ピアノ 高実希子
   ヴァイオリン 田代裕貴
   合唱 コール八幡坂
曲目:チャイコフスキー:
♪懐かしい土地の思い出 作品42

ベートーヴェン:
♪ヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル』
イ長調 作品47

入場:無料(ただし未就学児童入場不可)
申込:ロシア極東大学事務局までこちらのフォームまたは電話(0138-26-6523)にてお申し込みください。

2024年度ロシア語市民講座受講生募集

本校のロシア語市民講座は、受講生の学習期間やレベルにより入門、初級、中級、上級とコースを分けて1年を通して学習します。まったく初めてロシア語を学ぶ方のための入門コースの募集は、1年のうちで5月の開講時のみとなっておりますので、興味のある方は是非この機会にお問い合わせください。初回は、5月13日(月)、毎週月曜日開講(祝日の場合は翌火曜日)です。
申込締切4月30日(火)までです。
申込詳細はこちらからご確認ください。

2024年度公開文化講座 はこだてベリョースカクラブ受講生募集

本校のロシア人教授陣を中心に、交替で毎回違った角度から日本語でロシアについての話題を提供し、理解を深めていただく公開文化講座です。
今年度は、下記日程とテーマで実施予定です。年7回開催し、各回15:00~16:00の60分です。
申込の締め切りは5月2日(木)までです。詳細についてはこちらをご覧ください。
本校学生は無料で参加できます。

第1回 5月20日(月)  「ロシアのチンピラ文化」デルカーチ F.
第2回 6月10日(月)  「ロシアのバレエについて」イリイナ T.
第3回 7月 8日(月)  「E.レべデフ(1879-1937年):東洋学院卒・帝政時代最後の函館領事」  倉田 有佳
第4回 9月30日(月)  「ロシアの湯沸かし器『サモワール』について」 鳥飼 やよい
第5回 10月21日(月) 「ピオネール キャンプについて」イリイン R.
第6回 11月18日(月) 「マッド・サイエンティスト ~人と発見、ユーリー・クノロゾフ~」 スレイメノヴァ A.
第7回 12月16日(月) 「ロシア文化と日本文化の共通点」イリイン S.

△ベリョースカクラブ2023年度の様子

函館日ロ親善協会からのお知らせ
1~3月の主な活動実績

当協会は今年設立35周年を迎えます。現在、交流事業等はできていない状況ですが、6月28日(金)の記念コンサートにどうぞお越しください。

≪係りより≫

新年度が始まりました。函館校を旅立った卒業生も不安と期待を胸にそれぞれ新しい生活を歩み始めているのではないでしょうか。函館校もこの4月、大きな一歩を踏み出しました。開校30周年を迎えることができました。新入生も迎え、新たな顔ぶれで心機一転、在校生とともに一致団結して、この節目を皆で盛り上げていきましょう。(福尾)