学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.102 2020.1 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

2020年 少しの方向転換で前向きに
ロシア極東連邦総合大学函館校 学務課・教務学生係 福尾 瞳

 「2020」と聞くと、刷り込み現象で『東京オリンピック』を連想するようになりました。私の家族は、スポーツ観戦が趣味で、知らないスポーツでも『にわか』で観戦します。昨年のラグビーワールドカップも非常に盛り上がりました。今年の東京オリンピックも盛り上がること間違いなしです。どんなスポーツでも盛り上がるのは、選手たちの一生懸命さを見ることが家族全員好きだからでしょう。汗だくになって、一つのボールを追いかける姿や一秒、いや0.1秒の世界で前人未到の記録に挑戦する姿は、テレビ画面越しでも伝わってくる“何か”があります。
 その“何か”は、見ている人それぞれだと思いますが、私がいつもスポーツ選手に対して感心するのは、そのメンタリティです。スポーツ選手のほとんどは、勝っても負けても試合終了後のインタビューで必ずそこで何を得たか、何がダメで何が良かったか反省点を挙げ、次に生かすためにはどうすべきかを語ります。これは当たり前のようで、当たり前に普通の人は中々瞬時にはできないものです。
 なぜなら、良くない結果であれば落ち込みます。悔しいし、悲しい気持ちになります。投げ出したくなります。続けたくない!もう辞めてしまおう!と思うことがあると思います。けれどスポーツ選手は(引退を別として)、必ず次を見据えます。
 競技の結果だけではありません。最近だと昨年9月、世界陸上に出場直前で十種競技の右代啓祐選手が自分の結果ではなく、日本陸連等の不手際によって一時内定取り消しとなりました。その時、彼はSNSで「辛い」という言葉を発信していますが、続けて「絶対に自分に負けない様に、腐らない様に走り続けます。ただ、二度とこんな事起きて欲しく無いです。」とコメントしています。その後のインタビューでも「自分がそもそも標準記録を突破していればよかった」と話し、この騒動の発端を責める発言はありませんでした。
どんなことでも起きてしまったことは変えられないし、他人を責めない姿勢がすばらしいと思いました。他人をコントロールすることはできません。その他、どうしようもないことに対して不平・不満を言っても無駄なことです。右代選手のように、「腐らない」という発言のもと、その状況で自分のベストを尽くすこと、そして前向きに考えることが、スポーツ選手のメンタリティなのだな、と感じました。
 この強靭なメンタリティを築くためには、それまでの相応の努力が隠れているからなのですが、私たち一般人でもできる、ネガティブ思考からポジティブ思考に少し方向転換する方法があります。
 まず、何がそんなに自分を追い詰めているのか整理することです。紙でも、携帯電話のメモ帳機能でもなんでもいいので、思いつく単語を全部書き出します。そこから、5W1H(いつ・どこで・誰が・なぜ・どのように)を整理します。この整理する行動は、自分の思考の癖も見つけられます。そして、この整理する行動の中で最も重要なことは、自分で解決できることとできないことを区別することです。自分で解決できないと分かったら、諦める心も大事ですが、誰かを頼ってください。誰かの声に耳を傾けてください。友人や、両親や、先生でも誰でもいいです。それでもどうしようもないこともありますが、自分で解決できないことを一人で考え続けることは余計な負担でしかありません。
 悩み事は生きていく上でゼロになることはありません。けれど、向き合い方を少し変えるだけで意外と解決する道が開かれます。あとは、楽しい時は「楽しい!」と、嬉しい時は「嬉しい!」とプラスの言葉を口にしましょう。右代選手のように苦しい状況下で「腐らない」と宣言するのもありです。それだけでその言葉が魔法となり、腐らずに乗り越えることができたり、予想もしない良い結果がついてきたりするかもしれません。プラスの言葉は、気持ちを前向きにしてくれるだけじゃないのです。
 さて2020年、皆さんにとってどんな一年になるでしょうか。心の重荷が少しでも軽くなる一年になると幸いです。

学生からの投稿

プーシキン大学短期留学に参加して

ロシア地域学科2年 関口 颯

 私は8月末から9月末まで行われたプーシキン大学(モスクワ市)ロシア語短期留学プログラムに参加しました。函館校からは私を含め3人が参加しました。私の参加目的は1年半勉強して、どの程度現地で生活するのに通用するのかを知ることやロシア語検定試験(ТРКИ)のレベル1を受けることでした。
 寮に着いてすぐにMegaFon社のSIMカードを買いに行きました。2000円もかからず月18GB使え日本に比べてかなり安い上に、モスクワにあるWi-Fiは電話番号を要求されることが多いので電話番号も貰えるSIMはWi-Fiルーターと比べ便利でした。その翌日にはクラス分けの文法と会話のテストが行われ、5クラス(最もレベルの高いクラス)に分けられました。
 週が明けて授業が始まりました。授業では今まで自分があまり重点的に勉強してこなかった動詞の変化がよく出てきたり、知らない語彙もあり、難しく、ついていくのが大変でした。授業は1日3コマで、月曜日から木曜日に行われ、週末の3日間は一日中自由にモスクワを散策したり、少し遠出したりできました。
 その週末を使ってモスクワの美術館や公園、そして北極圏最大の都市ムルマンスクに行きました。ムルマンスクへは飛行機で行き、そこで世界最北のマクドナルド、原子力砕氷船レーニンやアリョーシャと呼ばれる大祖国戦争犠牲者の慰霊碑を見に行きました。モスクワでは赤の広場やGUM百貨店はもちろん、宮殿で有名なツァリツィノ公園や中央軍事博物館、全ロシア博覧センターなどに行きました。モスクワの街並みはとても美しく、長い距離を歩くのも楽しめました。私はロシアに興味を持ち始めてからずっと、ロシア語が書いてある服やロシア語配列のキーボードが欲しかったのですが、それも今回ようやく手に入れられました。
 滞在中モスクワでは様々なイベントがあったのですが、中でも印象に残っているのは9月7日から8日にあった「モスクワの日」です。この日はモスクワ中でライブなどが行われ、私はゴーリキー公園で行われたライブを見ました。ほとんどが知らない歌手だったのですが、その中でЮлия Савичева(ユリヤ・サヴィチェヴァ)だけは元々知っていたので彼女が登場した時は驚きました。
 1ヶ月モスクワで過ごし、いろいろな所へ行き街の中のロシア語に触れ、聞き取れないこともありましたが、思っていた以上に聞き取れて言っていることも理解できました。受けようと思っていたロシア語検定試験のレベル1も受験できて、無事合格しました。一年半ロシア語を学んできてある程度のレベルに到達できたということが確認でき、同時にモスクワを体験できてとても有意義な1ヶ月の留学となりました。

プーシキン大学短期留学で学んだこと

ロシア地域学科2年 伊藤 遼太郎

 私は今年度のロシア連邦教育科学省・ロシア連邦文化交流庁主催の「第9回プーシキン大学ロシア語短期留学プログラム」に参加しました。このプログラムには私達を含め約70名の日本人学生が参加していました。一カ月の間、大学隣接の寮で5人1部屋で生活をともにするのですが、家族以外と共同生活をしたことがない私にとってはこれがすごく新鮮でした。
 授業では、初日にテストを受けてレベル順に1から5クラスに分かれて授業を受けるもので、僕は上から2番目のレベル4のクラスに割り振られました。全員日本人の学生で15人前後のクラスでした。授業は全てロシア語で行われ、時々先生が何を言っているのかわからない時もありましたが、その時は周りのクラスメイトに助けてもらいながら、必死に受けました。しかし、普段私が通っている極東大函館校という小さなキャンパスと比べて、非常に多くの学生と交流しながら学ぶというものは、とても面白い経験でした。
 授業後は仲良くなったクラスメイトと共にモスクワの街を散歩し、話をしながら、あの看板はなんて書いてあるのだろうか、お店でクレジットカードを使うときはなんて言えば伝わるのだろうか等と考えていました。その場で分からなかった単語は、寮に戻ってから辞書を引き意味を調べ理解しました。
 学校は金土日が休日でした。最初の休日にはモスクワ郊外のジューコフスキー空港で開かれた航空ショーへ行き、そこで戦闘機のショーや歴代の軍用機の展示を見ました。ロシア製の飛行機を日本で見かけることはまずないので、ミリタリーの事に詳しくないながらもとても楽しめました。
 また、ある週末には3連休を利用して北極圏にあるムルマンスクという町に旅行に行きました。その町は第二次世界大戦中ドイツから猛烈な攻撃を受けほぼ壊滅状態にまで陥ったにも関わらず、最後まで降伏しなかったことを理由に国から「英雄都市」という称号を与えられています。現在は北極圏唯一の人口100万人都市としてとても栄えていました。町中至る所に「Город-герой Мурманск(英雄都市ムルマンスク)」の表記があり、戦争が終わり、時がたった今も皆が自分の町に誇りを持って住んでいるんだなと実感しました。名所としては原子力砕氷船「レーニン」や、ヴォルゴグラードにある「母なる祖国」像に次いでロシアで二番目に大きい「アリョーシャ像」などがあります。砕氷船は実際に見てみると想像していたよりも小さく特に変わったところもない船で、外観からはとても原子力で動いているとは思えませんでした。しかし中に入り原子力発電の制御室や原子炉を目の当たりにし、本当に原子力を使って動いていた事を実感し、さらに案内係の方から「原子力砕氷船は半永久的に活動できる」というメリットも学んだうえで、改めて原子力砕氷船について考えてみると、逃げ場のない船で原子炉が爆発したら乗組員たちは皆どうなるのだろうかという不安も多少感じました。
 アリョーシャ像は、銃を背負い、ドイツの方角を見て立っているとてつもなく巨大な兵士の像で、山の上にそびえ立っており、まるでムルマンスクの守り神のようだなと思いました。
 最後に、この留学を通して、勉強はもちろんの事、新しい仲間や日本では体験することのできないあらゆる面での違いを実感でき、そしてロシアのことが今までより一層好きになり、できるならばこのままロシアで暮らしたいと思うほど本当に充実した一カ月を送ることができました。このような機会を得られたことに感謝しつつ、これからもこの留学で得られたものを糧にロシア語を学んでいきます。

ウラジオストク留学体験記

ロシア語科2年 阿部 眞澄

 ウラジオストクで1ヶ月、寮生活をしながら、ロシア語学校の授業に参加して来ました。
 寮はルースキー島のウラジオストク本学のキャンパス内にあります。しかし私たちが通ったロシア語学校はバスで40分以上かかる市街地にありました。朝8時半開始の授業に間に合うように、バス停まで暗闇のキャンパス内を歩き、6時50分頃発のバスで通いました。
 ウラジオストクは市街とルースキー島、2つの顔を持つ街です。今回の留学でそのどちらも体験することができました。私は元来アカデミアの雰囲気が好きなこともあり、キャンパス内をよく歩きました。広大な敷地と自然に恵まれた静謐さ、心が休まりました。
 英語もさほど出来るわけではありませんが、日常会話で咄嗟に出るのは英単語、どうしても頭がロシア語を捻出してくれません。実力不足を再確認できました。机上の学問も大切だけれど、現地の人々と触れ合うことから、自然にロシア語のフレーズが身について来るのだと実感もしました。また同じクラスの中国人、韓国人の積極性に圧倒されました。見習わなければならないことです。3か国の学生が共同受講するわけですから、当然共通言語はロシア語のみ。ロシア語の学習に和訳という概念を入れないことが新鮮でした。
 ウラジオストクの魅力を知れたこと、勉強へのアプローチ法を考え直すきっかけを作れたことが、今回の留学の私の収穫です。
 通学は、特に朝は通勤時間帯と重なり大変でしたし、勉強に割ける時間が物理的に減り、支障ではありました。でも、バスの窓から見えた街の印象が深く心に残り、また同じバスに乗り合わせたロシア人達から彼等の日常生活の一端を垣間見ることもできて、ウラジオストクを知る意味では良い面もあったのかもしれないと今となっては思います。

ウラジオストク留学報告

ロシア語科2年 篠田 久美子

 ハバロフスク、サンクト・ペテルブルク、ウラジオストクと三度目のロシアだった。
 みんなと一緒だったし何の不安もなく出発した。ウラジオストクに着き学校の指示通り空港でタクシーを呼んでもらう。3台で6000ルーブルくらいだったが、後にぼったくられたと分かる。タクシーもぎゅうぎゅうで最悪だった。
 寮に着き、手続きを済ませ、いざ部屋へ。まあまあだった。想像していたよりも綺麗で、留学中に何度か他の寮の部屋にも入ったが、自分たちの部屋の方が若干広かったと思う。しかしところどころ汚く、洗面台については、どうやったらあんなに汚くなるのか今でも不思議だ。それに何度かゴキブリが出て朝から格闘した。日本のよりも何倍も小さいので徐々に慣れたが気持ち悪いし、恐怖でしかなかった。
 次の日、学校へ行った。名前は憶えていないが綺麗な教会近くのバス停で降りた。学校で唯一最悪だったのは、トイレに便座がなく、とても汚かったことだ。ロシアでは多くの場所でみられることなので、女性は絶対にウェットティッシュなどを持ち歩いた方が良い。
 ある日、授業はなかったが、本学へ行き、お金を払ったりサインをもらったりとても面倒な手続きがあった。列に並んでいても抜かされるし、受付の人が休憩から戻ってこないなどは当たり前だった。この手続きは最後にもあった。サインは必ずもらうことと、諦めず説明し続けることが重要だ。
 寮はルースキー島にあり、学校は街にあった。授業は人によって始まる時間が違うが、私は8時半からだったので、朝は5時半に起き7時前のバスに乗って学校へ行っていた。一日2コマだったのでお昼前には終わって、それからは自由だった。
 金曜日と土曜日は「会話クラブ」という、ロシア人と日本人が集まる会があり、カフェなどでお喋りした。みんな日本語がとても上手く、ほぼ日本語で話していた。当たり前だが、どこに行ってもいろんな意味で「ロシアだなあ」と感じた。
 私の留学実習は一カ月という短い期間だったが、終盤にさしかかってくると、早く帰りたくてしようがなかった。最後の週には日本から持ってきた味噌汁やレトルトが無くなってしまったのだ。ロシア料理は美味しいし、好きだが飽きが来る。しかしペリメニは別だ。毎日食べても飽きない。
 最後の日、一番お世話になった函館校の卒業生やその友人のロシア人たちと会った。彼らは日本語を学んでいるわけではなかったので意志疎通に苦労したが、この3人に出会えたことはこの留学で一番の宝物だと言える。またいつか会いたいと思う。

 少々愚痴も述べたが、その割にはめちゃくちゃ楽しんだ。いろんな場所へ行ったし、買い物もたくさんしたし、美味しいものもたくさん食べ、これまでの二度のロシア訪問ではできなかった体験もした。部屋に閉じこもっている人もいたけど、そんなのはもったいない。時間が許す限り一人でもたくさん出かけていろんな体験をしたほうがいい、と帰国した今では思う。金曜日の「会話クラブ」は絶対に行くべきだ。

ウラジオストク留学報告

ロシア語科2年 谷川 大樹

 今回のウラジオストクの語学留学は、私にとって生まれて初めての海外でした。ロシアへ行く寸前まで私は海外へ行くという感覚がなく、言語や日本とは違う生活の不安がありませんでした。『初めて海外に来た』という感覚が出てきたのは寮に着いてすぐのことで、行く学校がわからなかった時でした。ロシアに来て次の日には学校に行かなければならないのですが、私は説明会に欠席したため肝心の学校の場所がわからない、寮から学校までのバスの番号、時間全てがわからない状態でした。今自分は何もかも伝わらない場所にいると痛感しました。結局、昨年留学した4年生鈴木さんに日本にまで連絡し何とか事なきを得ました。
 次の日朝6時に起き、寮から学校まで1時間かかると分かり、6時40分のバスに乗りました。学校が始まる時間は8時半だったので余裕をもって行こうと4人で話したためでした。しかし朝は通勤ラッシュで渋滞しており、学校に着いたのは8時40分で、初日から遅刻するという結果に終わってしまいました。しかしそこの学校の方は理由を話すと快く受け入れてくださりとてもほっとしました。
 学校の授業は函館校で教わった事柄もあり、そして何よりも先生方がとても素晴らしく、わからない単語もロシア語で分かりやすく説明してくださり、とても楽しいひと時でした。
 しかし、あまりロシア語ができない私にとってロシア人との会話は気が引けてしまいなかなか話しかけづらかったのですが、週に2回行われるロシア人と日本人の交流会の「会話クラブ」で日本語を勉強するロシア人学生と出会いとても刺激をもらいました。そこでは函館校では教わらなかった若者言葉や若者たちの考えを聞き、また私からも日本について色々なことを話すことができました。
 今回の留学では最初こそ異国に戸惑いを持ったものの、すぐに慣れることができ、それはロシア人の方のやさしさやぬくもりのおかげで、非常にロシア語へのモチベーションが高まり、卒業まで頑張ろうと思いました。

ウラジオストク留学報告

ロシア語科2年 小畑 勇介

 ウラジオストクでの一カ月、行く前から期待に溢れていたが、その期待以上に充実したものとなった。ロシア語学校初日にはクラス分けテストがあり、自分のレベルにあうクラスに入ることができた、授業は午前に一日二コマ、水曜日だけ三コマ。授業内容は主に動詞の接頭辞についてほぼ毎日。そして何よりも楽しかった事はウラジオストクを色々な角度で見れたこと。そして多くの人々の助けがあったことに感謝したい。
 極東大の留学生ではインド人、イラン人と韓国人と交流ができた。イラン人の学生達は何度か市街地にある学校から寮まで一緒に車で帰り、シャワルマ(中東料理)までおごってくれた。同じ寮のインド人とは何度か校内のカフェで食事をし、韓国人のルームメイトは困った時に何度も助けてくれた。そしてロシア人の学生達は共用キッチンで話しをかけるとブリヌィというパンケーキを何枚も分けてくれたのである。他には日本語が流暢で日本が大好きなロシア人学生は市街地を案内してくれたり、一緒に散歩をした。
 学校外の友達では、6年前に日本で会ったウラジオストク在住のロシア人の友達と再会を果たした。なんとジョージア料理レストラン、ボウリング場、コンサートホールそして寮からの送り迎えまで、友達の分までも負担してくれ、そのもてなしに感動してしまった。
 また、オンラインチャットグループのロシア人の友達とも初対面することができ、イタリア料理レストランで食事をした、その場の会話で分かった事だが、彼らは極東大の卒業生だったのである。親切にも彼らも寮まで私を送ってくれた。
 函館校の学年レポート作成のために訪れたユダヤ教礼拝堂では、親切にもスコットと呼ばれる仮庵の祭りに私を招待してくれた。そこには品が良く格の高いビジネスマンが集まっており、豪華な食事が振る舞われたので少し緊張してしまった。驚くことにその場には極東大本学の経済学部の教授が同席していた。知識人の集まりという雰囲気で、とても良い勉強になった。
 一カ月という短期間で多くの人から学び、助けをもらい、とても充実した留学生活を送ることができた。
 ただ、ありがとう、Спасибоという言葉しか出てこない。

ウラジオストク留学報告

ロシア語科2年 麻生 いづみ

 私は一カ月間ウラジオストクに短期留学に行きました。とても充実した一カ月を過ごすことができました。
 学校では中国人、韓国人、日本人のクラスで文法と会話の授業を受けました。授業では同じレベルの学生たちのクラスなので特についていけなくなることもなく、楽しく受けることができました。大変だったのが、毎日の宿題です。多い時には3、4時間かかる日もありました。しかし学校が午前中で終わるので、学校終わりに街でご飯を食べて帰っても宿題をする時間はたっぷりあり、また色々なスーパーに行ったり、ロシア人におすすめされたレストランに行ったり、お土産を買ったり、散歩したり、たくさん観光することもできました。
 毎週金曜日と土曜日の夜には、ロシアの学生と留学に来ている日本の学生の交流会があり、そこで友達を作ることもできました。交流会で仲良くなった人たちと水族館に行ったり散歩したり、ご飯を食べに行ったりしました。
 また私は、高校生の時に1週間ホームステイしていた家庭にも遊びに行きました。3年ぶりの再会でしたが、ロシアの家庭料理を振舞ってもらうなど、当時と変わらず私を温かく迎えてくれました。そして日本語を勉強するクラスに招いてくれて、動物の名前、鳴き声や折り紙の折り方などを小学生くらいの子供たちに教えてきました。とても貴重な体験をすることができたので、これからも人との繋がりを大切にしようと思いました。
 寮生活は不便なことが多かったです。キッチンも上手く使えないし、洗濯機も使えない、夜遅くまで騒いでいる人がいたり、ゴキブリが出たりしました。しかし、なんとか楽しく過ごすことができました。
 この留学では、ロシアの日常に触れ、ロシアの生活を肌で感じることができたとても貴重な経験になりました。一カ月という短い期間でしたが、たくさんの友達もできたので、またウラジオストクに行きたいと思います。

АБВГ-Day優勝と北海道ロシア語弁論大会出場

ロシア地域学科2年 安井 燎大

 11月13日に学内で第12回АБВГ-Dayが開催された。一年生の時は先輩方の発表を見てレベルの差にショックを受けた。自分が思うような発表ができずに悔しい思いをし、今年こそはという思いで今回の発表に臨んだ。私は父親が漫画収集家だった影響で幼少期から手塚治虫の作品に慣れ親しんでいたため、自分が特に好きな作品でもある「火の鳥」について手塚治虫の生涯を交えながら発表することにした。手塚治虫が日本に与えたものはとても5分程度のスピーチで言いきれるものではなく、話の構成をつくるのに苦労した。
 当日は昨年よりも自信をもって本番に臨むことができ、それが功を奏したのか、総合一位の賞と総領事館賞を受賞することが出来た。様々な形で協力して戴いた先生方に感謝したい。極東大生にとって一年で一番忙しい時期の中での開催であるが、当日はどの学生もそれぞれの個性がよく出ていた発表を披露していた。ウラジオストク留学と重なるために来年度の参加ができないのが残念である。
 11月30日には在札幌ロシア連邦総領事館で開催された日本ユーラシア協会・サハリン州政府・北海道主催の第51回ロシア語弁論大会に参加した。先輩方の活躍を見てきた自分にはとてもプレッシャーの大きい大会であり、参加が決まった日の夜には弁論大会の夢を見てうなされることもあった。
 大会にはA・Bの2クラスあり、私はそのうち5分程度のスピーチ・質疑応答・課題詩の暗唱をもとに審査されるAクラスに参加した。テーマはАБВГ-Dayで発表したものと同じであったが、原稿はより発表に適するように修正した。
 発表に向けて一番の課題であったのが「話し方と抑揚」であった。今までロシア語を学んでいく中でないがしろにしてきた部分が大きな壁となった。自分では抑揚をつけているつもりでも、録音して聞いてみるとほとんどそれがわからない。発表までに間に合うのかと途方に暮れた。この発表に際して指導をして下さったデルカーチ先生に原稿を読んで戴き、それを録音して時間があればそれを聞いた。声色だけで状況や景色が伝わるデルカーチ先生の話し方には大きなショックを受けた。課題詩(私は4つの詩の中からコンスタンチン・バリモントのЭдельвейс(エーデルワイス)を選んだ)においても、デルカーチ先生の朗読は私が今まで知らなかったものであり、私のロシアの詩に対する認識を変えた。
 本番はやはり緊張した。当日は校長先生が応援に来てくださり、やさしい言葉で何度も励ましてくれたのが大きかった。発表では何度か不自然な間が空いたり質疑応答でまごついた部分もあったが、今の自分のベストを出せたように思う。その結果、今回は1位という結果を出すことができた。助けていただいた先生方、特にデルカーチ先生に感謝したい。日本語でも感情を込めて話すのが苦手な自分だが、当日詩を発表したあと、会場に居たあるロシア人の方が近づいてきて「君は詩の読み方がすごく良かった」と握手を求めてきた時には、ああ頑張って良かったなという気持ちになった。
 今後も自分の好きなことを勉強できる環境に感謝しながら、今回の一位に甘んじることなく励んでいきたい。

△<結果>1位 ロシア地域学科2年 安井 燎大
2位 ロシア地域学科2年 北村 光大

アカデミックリンクに参加して

ロシア語2年 大場 圭吾

 私たちは11月9日のアカデミックリンク(※)に参加しました。ブースとしての出展は3組、ステージ発表が1組で、私はチーム「極ペディア」の一員としてブースに加わりました。活動の内容としては、ロシア語版のWikipediaを翻訳し、日本語版の記事に加筆、ないしは記事を新規に作成しました。テーマはある程度自由に選び、幾人かのグループに分かれて作業を進めていきました。
 はじめに行ったのは翻訳作業でしたが、ここで早速様々な苦労がありました。テーマは潜水艦や航空産業、地下鉄やロシアの企業グループについてのもので、それぞれ専門用語が多く、辞書には記載のない略語も多くみられました。メンバーはその都度インターネットで検索したり、より多くの単語が載っている辞書を引いたりしてWikipediaの長文を訳していきました。私はウラジオストク本学へ9月から留学中だったため、現地で翻訳作業を行い、10月末に函館に戻ってきた際に先生に確認していただきました。
 ある程度翻訳が終わると先生に目を通していただいて確認後、アップロードの作業に入りました。こちらにも翻訳とは違った苦労がありました。Wikipediaでは、専用の特別なコードを打ち込んで記事を作成するので、コンピューターについての知識の薄いメンバーは当然だが、知識のあるメンバーも悩ませられることが多くありました。しかし、Wikipediaへの投稿経験のある先生の助けもあり、4つすべてのテーマが一応の完成をみました。この時は、今までの苦労もあり、自分のページがアップされ、形になったものを見ると感慨もひとしおでした。
 当日はそれまでの活動の内容、成果をブースで発表しました。内容についてはおおむね好評のようで、「なかなか興味深い」というお言葉をいただきましたが、「文字が小さくてみづらい」という指摘も受けました。ぜひ来年に活かしてほしいと思います。結果としては、Wikipediaの記事として形に残る成果、難解なロシア語の長文を翻訳したことによる経験値とが手に入り、結果だけでなく、過程にも意味のあるいい経験になったと思います。-Dayで発表したものと同じであったが、原稿はより発表に適するように修正した。
 ※アカデミックリンクは、函館市内8高等教育機関の学生が一堂に会し、普段研究している内容や成果などをポスター展示や実演などによって発表し合う合同研究発表会です。

アカデミックリンクに参加して

ロシア語1年 安島 詩織

 私は今回のアカデミックリンクにおいて一学年のチーム「Морской Город(モルスコイ・ゴロッド)」のリーダーとして参加をさせて頂きました。今回のアカデミックリンクに参加した事は、私達にとってとても良い経験だったと感じています。
 私がアカデミックリンクリンクを通して感じた事は二つあります。
 一つ目は、クラス全体の団結力が高まった、ということです。アカデミックリンクは私達一年生にとって、初めての決められた期限のある、途中で投げ出す事が出来ない大きな取り組みでした。誰か一人が期日を守らない、という事があれば当然、チーム全体に迷惑がかかります。そのため私達は、良い緊張感を持ちながら「アカデミックリンクの準備を終わらせる」という共通の目的に向かうことが出来ました。
 また、準備をする過程で、情報共有や連絡、確認等を通じてクラスメイトとコミュニケーションをする機会も増え、クラスメイトの事をより深く知る事も出来ました。-Dayで発表したものと同じであったが、原稿はより発表に適するように修正した。
 二つ目は、人を気遣う事の大切さです。私自身が作業に追われていた時、既に自分に任された作業が終わっていた人から「何か手伝える事はあるか」と聞かれることがありました。それにより私は、人を頼っても拒絶される事ない、大変な時は溜め込むことをせず、人を頼っても良いのだと感じ、その人の優しさや強さに深く感動しました。そして自分も「自分の作業が終われば良い」と思うのではなく、常に余裕を持って人を助けられる人でありたいと思いました。
 今回のアカデミックリンクはクラスの誰が欠けても完成しませんでした。一人一人が責任のある役割をしっかりと果たし、アカデミックリンクを無事終えられた事は私個人にとっても、クラス全体にとっても非常に良い経験になったと思います。そして私以外にも、それぞれに何か学ぶ、成長出来ることがあったなら、それはとても素敵な事だなと思います。

アカデミックリンクに参加して

ロシア地域学科1年 中澤 純

 「今年アカデミックリンクでは、こんな感じのやつをやってもらおうかな。」そんな言葉とともに渡された紙に書いてあった一つに、「グースリ」(ロシアの民族楽器)というワードがあった。このような学校に在籍していなかったら、一生聞くことのなかったであろう言葉だった。別に調べたいと思わなかったらわざわざそれを選ばなくてもいい。だが、その文字列に僕は惹かれた。
 夏休みに入ったある日、僕は頭を抱えた。日本語での資料はほとんどなかった。どこの記事もあるのはロシア語のみ。時間があったのならば膨大の文章の中、辞書を使い全てを翻訳する。しかし本番までの期日は決して長くなかった。結局夏休みは数少ない日本語の論文をまとめておき、抜き出す。そんな程度の事しかしなかった。
 またいつもの授業が始まり、僕は先生のところで、ウェブ・サイトにあるロシア語の文献を訳してもらうことにした。そこで起きた問題点というのがグースリの起源や変遷がはっきりしないということだった。
 普通、研究発表に変遷は必須項目だ。でも仕方がなかった。弦楽器というものは構造がシンプルなためか、定義が曖昧だし、なにしろ古いものは証拠が見つからない。歴史的な事を他のメンバーに頼んで、僕は確定的なことをやろうと思った。楽器そのものについてだ。グースリには種類があって、こんな音がでる。それはどの楽器にもある普遍的なものだ。そこからは、今日やらなければならないタスクが鮮明に浮かび、順調に進んだ。幸運なことに、他のメンバーは特に真面目で、僕以外の情報を足せば、所謂研究発表というものにきちんとなっていった。
 そうやって、当日に入って客人たちに説明していき、アカデミックリンクが終わった。終了後の余興での景品にアマゾン・ギフトで交通費相当額面が当たった。そんな日でもあった。

初めての通訳体験

ロシア地域学科2年 北村 光大

 私は今年の10月サハリンから来た柔道団の通訳をお手いしました。これは函館市の姉妹都市ユジノサハリンスク市との文化交流プログラムの一環なので、私は函館市役所のアテンド通訳として行ってきました。
 初日は、ユジノサハリンスクから柔道団を新千歳空港に迎えに行き函館まで連れてくる仕事でした。私は市役所の職員の人に同行し、柔道団の子供達が迷わぬよう案内をしたり、昼食を渡したりとサポートをしました。函館までの電車内では、皆疲れているのか寝ていて、私もリラックスしていました。
 函館に到着し、ホテルにチェックインした後、市内を少し散歩しました。函館駅近くの大門を散歩し大森神社に行きました。神社では子供達が狛犬や手水に興味を示したのですが、神社の参拝のしかたをロシア語で説明するのがとても難しかったです。夕食はとんかつ料理店「とんき」で食べ、ロシア人の子供達は箸の使い方に苦労していました。
 四日目、函館市の柔道連盟の人たち、函館市内の柔道をやっている中学生、ロシア柔道団で食事会を開き、私や函館校の学生がロシア人の子供たちと日本人の子供達の会話を通訳しました。
 最終日、柔道団を新千歳まで送りました。空港では時間に余裕がありお土産を買う時間もありましたが、皆疲れていたのかロビーに時間まで座っていました。柔道団を送った帰りの電車の中では緊張が解けたのか私は脱力しました。
 学校で留学生とロシア語で交流することとは違い、仕事として初めてロシア語を使ったのでとてもいい経験になりました。