学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.110 2022.1 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

「国境の街 ★ ノガレス」
ロシア極東連邦総合大学函館校准教授鳥飼 やよい

 私がかつて学生時代を過ごしたツーソンはアリゾナ州南部に位置し、そこからハイウェイをさらに2時間も南下すればメキシコ国境に行き着く。ノガレスは町の中心を国境が通り南北がアメリカとメキシコに分かれたツインシティである。メキシコへの南下の始発点として、あるいは日帰り旅行で訪れる身近な外国で観光地であるが、土産物屋が雑多に軒を連ねるメインストリートを一歩奥に入れば趣のある路地が昔のまま残るどこか懐かしい匂いがする大好きな町で、私もここへは何度か訪れた。
 アメリカ人はメキシコへノービザで入国できるが、メキシコ人はアメリカへはビザが必要だ。ツインシティなので通勤や通学に日常的に国境を行き来する人も多いのだが、歩いて国境を越える際は入国検査を受け検問所のターンスタイルを一人ずつ通り抜けることになる。日帰りでノガレスへ行く私たちはアメリカ側に車を置いて徒歩で国境を越えると、そこには同じく徒歩でアメリカへ入国しようとする沢山の荷物を抱えたメキシコ人が長い列を成していて、その横をアメリカからのトレーラーや自家用車がスイスイ通り抜けて行く。国境が海で仕切られた日本から来た私は、検問所から東西に、高さ約5mの国境のフェンスが土地の隆起に合わせて万里の長城のごとく目の続く限り延びて行く様の異様さとその威容に目を見張ったものである。
 私のような外国人でも米国の学生ビザを提示しさえすれば入国できるが、ある時、帰りの検問所でパスポートが無いことに気づいた。ノービザとはいえアメリカへの入国にはパスポートの提示が必要なのにうっかり忘れたのだ。列から離れた事務室に連れて行かれ、こうなれば一人ここに残り友人に部屋のカギを渡してパスポートを取りに戻ってもらうしかないと覚悟したところへ、私の学生ビザを照会していた入国管理官が原本に記載ミスを発見し(なぜか性別㊚となっていた)、訂正は煩雑で明らかにこちら側のミスだからと、急転直下、入国許可となった。相手の気の変わらぬうちにと急ぎ入国しことなきを得たが、おそらく私が日本人であることも大いに役に立ったであろう。
 ところで、二国に跨るノガレスは、アメリカ側は中心街の外には住宅地が広がり、丘の中腹から上は富裕層の住むエリアで、大きな家がゆったりと建つアメリカの普通の郊外の町であるが、一方メキシコ側では小高い山は貧困層の住宅が頂上までびっしりとひしめき合っている。ノガレス出身のメキシコ系アメリカ人のカルメンは火事でも消防車は登って行けないのだと教えてくれた。また、この町に靴屋がやけに多いのは、ここでは皆どこまでも歩いて行くから靴の踵の減りが早いのだと自虐を交えて言う。ある時、上着の裾を誰かが引っ張るので振り向くと、手作りらしい小さなお土産物を差し出す小さな女の子であった。物言わずに一心に私を見上げる黒い瞳と、それを見てドキリとした感覚は今も忘れない。
 ノガレスを見てこれがメキシコと思わないでほしいと言うのはメキシコシティから来たローサだ。メキシコはアメリカの隣国であるがゆえに国境地帯の貧困や不法移民の負のイメージが強いが、実は高度に発達した文化を擁する多様性の国なのだ。アステカ文明の遺跡やスペイン植民地時代の教会建築や石畳の街並み、中米の独特の風土を意匠した大胆な現代建築群、ディエゴ・リベラに代表される優れた現代美術、北米屈指の躍進する大都市メキシコシティ。一方で、テキーラやタコス等の独特の食文化や民族音楽、カラフルなフォークアートに擬態した土着文化とそこに暮らす種々様々な民族。これらが混然一体となり前進を続けるバイタリティ溢れる国がメキシコである。
 ここで国境に話を戻そう。アリゾナ州やテキサス州等の「国境州」は現在、バイデン政権の「オープンボーダーポリシー」と揶揄される国境政策の無策により、かつてない規模で移民が押し寄せている。多くは就職の機会やより良い生活を求める主に中米諸国からの経済移民で、2021年は11月までの間に昨年度の3倍の160万人以上が国境を越えており、うち約3分の一は不法移民とされる。通常は無事に越境した者は国境警備隊に接近し亡命を主張しアメリカに留まる手続きを受けるのだが、多数の移民の身元確認には膨大な時間がかかるため、多くが許可を待たずにアメリカ国内に消えてしまう。これが不法移民となるのだが、始めから不法入国を目指す者も後を絶たない。
 殆どがカルテルと呼ばれるメキシコの麻薬密売組織に一人5千ドルともいわれる通行料を支払っており、払えない者は入国後に執拗な取り立てに合うことになる。カルテルは多くの移民を越境させて、国境の警備と移民保護に忙殺され人員不足となる国境警備隊のスキをつくことで麻薬や武器の密輸を盛大に行うのである。実は低賃金の無許可の移民を雇用する側の米国経済界もオープンボーダーポリシーによって潤うため現政権は見逃しているのではという側面もある。
 アメリカ国民は本来移民の受け入れに寛容であるが、不法移民の大流入により労働の機会を奪われ、麻薬や武器や難民に偽装したテロリストや犯罪者の流入や不法移民による居住キャンプの設営による都市の荒廃等から国民の生活はまさに直接的に脅かされている。さらに、コロナ禍にあって職場や学校でのワクチン接種の有無による制限や差別の問題が高まる中で、国境でのコロナ対策を放置する政府への不満が次第に高まり、国境地帯は今まさに燃えているのだ。
 比較的に国情が安定したメキシコからの移民は現在ほとんど無いそうであるが、国境の国であるがゆえにクローズアップされ貧困のイメージだけが付きまとうのはメキシコであり、メキシコのカルテルが国境ビジネスで潤っているのも事実である。
 この空前の移民流入の状況に、まさにボーダー最前線にあるノガレスは果たしてどのような対応を迫られているだろうか。ツインシティとして国境をまたいで平和的に人々が往来し節度を持ち互いに助け合い暮らしていた町、パスポートを持たない日本人を寛容に取り扱ってくれた町、人々がお喋りをしながら笑いながら大きな荷物を抱えて検問所を行き来していたあの国境の町は、と日本にあって思うこの頃である。

学生からの投稿

ウラジオストク留学実習中間報告 ロシア語科2年 岡島 柊

 留学実習出発のため、まず函館空港から出発しました。函館空港に行くにあたっては、交通手段としてバス、タクシー、車などが挙げられますが、私は、同級生の笠井君と共に私の親の店で食事を摂った後、父の車で空港まで送ってもらいました。
 羽田-成田間の移動に際しては、Yahoo!乗換案内のアプリを使用し、最安価のルートを選択し、移動。
 成田空港からは、コロナで無料送迎バスが運休のため、タクシーを使用して近隣のビジネスホテルに到着、一泊し、翌日再度タクシーで空港まで行き、他メンバーと合流して、ウラジオストク行きの飛行機に搭乗しました。
 機内では、自身の住所やロシアに渡航する目的等を書く用紙が配られ、四年生の力を借りつつ記入することができました。ロシア入国前から早くも洗礼です。
 ウラジオストク到着後、すぐに第一のPCR検査、次にロシアのSIMカードを購入し、その後タクシーでルースキー島の大学構内にある隔離所に向かいました。
 ここでSIMカードについて注意なのですが、機種によっては上手く作動しなかったり、契約会社によって微妙に手順が異なったりと、トラブルが続きました。
 例えば、私はauと契約していますが、こちらは他社とは違い、SIMカードを入れて再起動した瞬間に作動するものではなく、その後どこかしらのWi-Fiに接続した上で、設定からSIMカードの状態を更新する必要があり、少々手間取りました。
 隔離所内はかなり清潔で、空調も整っていました。食事は三食提供されますが、時間にはかなりバラつきがありました。ちなみに、全三回の朝食に毎回出されたカーシャは、舌があまり合わない人が多かったようです。
 また、Wi-Fiがあるのでネット環境に不自由はありませんでした。元はホテルだった建物なだけあって、非常にストレスフリーなひと時を過ごせました。
 二日目に島内の病院で第二のPCR検査を受け、四日目に陰性結果が出て、その夜に街の寮へ向かいました。
 ここからが試練の始まりでした。
 寮は未だ改装中で、Wi-Fiは無く、生きたゴキブリが出ます。特に私と笠井君に当てられた617号室はゴキブリの出現率が高く、排水管の横と下から水が吹き出し、全体的に廃墟の如き不清潔さで、床は腐って柔らかくなっています。この間に至っては水を出しただけで蛇口が外れ、修理した関口先輩の手がドブの臭いに染まりました。初日にベッドで寝ようとしたら頭にゴキブリが登ってきたこともあって、すぐに布団を持って三年生男子の738号室に避難し、床に住まわせてもらいました。
 笠井君は、寝るのは617号室で構わないが、シャワーだけは絶対に使いたくないということで、その際だけ738号室に来ています。ただ、その738号室も、シャワーカーテンが無かったり、二段ベッドの上側の骨組みが折れて危うく下の佐竹君の顔に直撃しかけたりなど、イベントに事欠きません。
 気晴らしに街に出てみたところ、いつの間にか犬の糞を踏んでいたようで、それに気づかず部屋に戻ったせいで地獄を見ました。
 ウラジオストクは屋内も屋外も愉快なことがいっぱいです。


 授業は、単語や文法、テキスト等をロシア語で説明するというパターンが多く、ある程度の理論言語学や文法の用語を事前にロシア語で言えるようにしておかなければ、少々苦労します。しかし、それだけになかなか歯ごたえのある内容です。
 一つ問題点があるとすれば、軽い降雪の際に二度リモート授業があったことでしょうか。コロナウイルス関係ならまだしも、この程度の降雪でリモートになるのはどうなのだろうか?という不満、不安の声が一時上がりました。
 そのほか各種手続きに際しては、四年生の方々のおかげでほぼ滞りなく済ますことができました。
 留学も峠を越え、あとはひたすら机に向かうだけです。ここから先の三週間は一体何が起こるのでしょうか。期待と恐れが入り混じっています。

ロシア地域学科3年 中島 香理

 私がウラジオストクに到着して、2週間以上が経過しました。はじめの一週間はPCR検査や隔離寮から街の寮への移動、買い物など色々とバタバタとしていてあまり心に余裕がありませんでしたが、最近ようやく落ち着いてきてこちらの生活にも慣れてきました。


 ウラジオストクの街の中で、私は特に夕方から夜にかけての時間、金角湾大橋から眺める街の景色が気に入っています。ここでの生活は毎日が新鮮なことばかりで、とても楽しいです。私のクラスは函館校からの学生だけで構成されていて、日々新たな単語や表現を学んでいます。今まで授業で深く触れたことがないような内容にも触れ、日々自主学習の穴を痛感しています。ロシア語のみの会話なので、自分の伝えたいことが語彙不足でロシア語で上手く伝えられないことが多々あり、私自身授業について行くことに必死ですが、クラスメイトが積極的に発言しているのを見ると「自分も負けていられない」と日々刺激を受けています。
 私が今暮らしいている街の寮は3人部屋です。幸いルームメイト2人の事はよく知っていて、あまりお互いに気を遣うことなく生活できていると思います。放課後や休みの日は一緒に買い物に行きます。学校で月に一回程行われるロシアクラブというロシア文化を体験するイベントにも参加し、生でロシアの伝統に触れる機会にも恵まれました。
 今のところ生活に大きな問題はありませんが、少し不便なこともあります。
 私達の寮の部屋からは、虫の死骸がいくつか見つかっていて、バスルームも清潔とは言い難く、寮も古いためか若干部屋が傾いています。日本人にはあまり馴れない環境だと思います。初日はバスルームを使う恐怖と建物が崩壊する恐怖から何もせず、すぐにベッドに入りました。しかし、時間が経つにつれて建物は案外崩れない事が分かってきて、掃除道具を買って出来る範囲で掃除をしたので、ようやく住みやすい環境になってきたと思います。
 また、慣れない環境への疲れからか街の寮に到着して暫くしてからルームメイトが熱を出しました。PCR検査は陰性の結果だったのでコロナではないはずでしたが、念のために医者に診てもらおうと夜10時頃、管理人さんに頼んで救急車を呼んでもらいました。先輩も駆けつけてくださり、皆で救急車の到着を待っていましたが、暫くしてもなかなか来る気配がありませんでした。夜中の1時半頃になって流石にもう来ないだろうということで皆各々部屋へ戻ろうとしていた矢先、遠くから足音が聞こえてきて救急隊員と思われる女性が2人やってきました。それから彼女達がルームメイトに問診をして、診断書をもらい翌日指定の病院へ行くよう指示されました。
 今回は本人の体調もそれ程悪くなく緊急事態ではなかったので良かったですが、もしも重篤な患者であれば死に至ることもあるのではないかと心配になりました。ロシアクオリティを感じた瞬間でした。しかし緊急事態ではない場合に救急車を呼ばれる救急隊員の負担を鑑みれば、勿論緊急時は別の話ですが、少しはロシアから学べる点があるのではないかとも感じました。ただ、3時間半は流石に待ちくたびれました。
 2週間ほど経過したあたりから私自身も大分ここの暮らしに馴染めてきたと感じてきています。今では街の寮の方が街へのアクセスが良く、学校にはとても近いので、早起きが苦手な私には最適な環境と言えるかもしれません。
 まだ外国人留学生や日本語学科の学生との交流の機会があまりないので、これから機会があれば積極的に参加したいと思っています。
 ※ウラジオストク本学留学実習中間報告は、2021年12月6日時点のものです。

アカデミックリンク~縄文プロジェクトに参加して~ ロシア地域学科3年 中澤 純

 夏になり、アカデミックリンクの季節になってきたとき、昨年に引き続き、多分wikipediaになるだろうとロシア語のwikipediaを漁っていたが、あまり良い題材がなかったため、同時にやると発表されていた縄文プロジェクトに参加することにした。
 北海道・北東北の縄文遺跡群が世界遺産に登録された。そしてその内容と縄文文化についての紙芝居があり、各外国語に訳して広めるというのがそのプロジェクトだそうだ。ついでにそれをアカデミックリンクで発表するということになっていたが、メンバーは、最初は自分を含め二人だけであった。
 まず、訳をするところから始まったが、ロシアにはほとんどない概念のようなものをどう訳すのかということに四苦八苦していた。例えば、日本のホームセンターにぴったり当てはまる単語がなく、「マーケット」と単語をより抽象的にすることで無理やりあたらずとも遠からずという結果にしていた。他にもこの紙芝居の主人公の一人に「カックー」というものが登場する。どうやら中空土偶が「カックー」と呼ばれているようだ。その紙芝居の中に「カックー」だけに「カックいい」という言葉遊びが存在する。ロシア語でいうКак+副詞の用法がちょうど当てはまったのでなんとかなったものの直訳ではどうしても表せないものもあるので気をつけてはいた。


 そうこう訳したあと、函館市縄文文化交流センターや遺跡に皆で行ったのである。紅葉真っ盛りの快晴であった。まずセンターに行くと、縄文土器、中空土偶、翡翠その他の発掘品が飾られていた。縄文時代というものは草創期から晩期まで6つに時代が分かれているらしい。それをわかった上で縄文の土器が飾られているのを見た。その土器は時系列に並んでいたのである。
 大きさは後半になるにつれて、土器の用途が個人のためになってきたのか、土器のサイズが少しずつ小さくなっていった。しかし、デザインや大きさの違いはあれど、根本のものは変わっていないことがわかった。
 その後もセンターの学芸員から色々な話を聞いた。そうすると、黒曜石やアスファルトなど函館では採れないものが出土していたというのだ。どういうことか。そう、縄文人は交易で“もの”を手に入れていたというのだ。もうすでに文化というものを十分に築いていたということなのだ。他にも石で翡翠に穴を開けていたらしい。それをするには膨大な時間がかかるらしく、実際に再現しようとすると数十時間かかったようなのだ。そういった色々な文化が数千年以上変わらず続いていたというのが縄文の特徴と言えるのではないだろうか。その後大船の竪穴建物跡を見に行った。住居があった跡が一部重なり合っていたことから、その地帯で長い時間が経っていたこと、ずっと同じような文化圏がそこにあったことがわかった。
 そしてその後はアカデミックリンク用のプレゼンポスター準備に取り掛かり始めたが、プレゼンのコンセプトが上手く決まらず右往左往していた。そんな中、ロシアにも似たような遺跡のようなものがあることがわかった。同じく2021年に世界遺産に登録され、ちょうど良かった。それは、オネガ湖と白海のペトログリフというものらしい。ペトログリフというのは岩に書かれている絵のことである。縄文と違い、出土品が直接縄文人の生活を表すものではなかったが、岩絵自体に、当時の宗教観や生活感が書かれていたのであった。そしてその2つを対比させることで縄文のアカデミックリンク用のポスターが出来上がったのであった。


 今回は皆が同じことをやるというより、適材適所。それぞれ得意な分野に手を出すことでうまくやれたなと思った。