学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.101 2019.10 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ウラジオストク2019夏
ロシア極東連邦総合大学函館校 准教授 イリイナ・タチャーナ

 8月、それは台風シーズンです。ウラジオストクの天気は函館と同じようなものです。今年の夏、私は新しいルートでウラジオストクに向かうことにしました。「ウラル航空」が札幌(新千歳空港)からウラジオストクに航空路を開設したのです。私は以前と比べて安いエアチケットを買いました。帰りのチケットは1万円でした。
 札幌の空港には中国人観光客が大勢いました。多くの人たちがモバイルフォンの通訳機能を使って運航情報を知ろうとしていました。なぜかうまくゆかず、空港職員は、行くべき方向に手を振るだけでした。
 ウラジオストク便の待合室は中国人だらけで、自分が日本に居るという気がしませんでした。後になってわかったことには、大半の中国人はウラジオストク経由で中国に向かうのです。
 幸い台風のはざまにあったため、ウラジオストクには定刻通り到着しました。街に向かう道中、最新の店や美しい広告が目に飛び込みました。
 ほとんど毎日が雨で、時々、部屋のバルコニーからこれまで見たこともないような熱帯性の豪雨をびっくりしながら見ていました。こうしたスコールの後には、太陽が顔をのぞかせることがよくありました。
 悪天候にも関わらず、街はお祭りのようでした。中央広場には食料品のマーケットが立ち、野外舞台ではアーティストが演じていました。海岸通りはいつも人で一杯でした。人々は傘をさしながら散歩し、アイスクリームを食べたり、カフェでビールを飲んだりしていました。泳いでいる人もいましたが、台風のせいで海水はそれほどきれいではありませんでした。
 海沿いの歩道を歩いてエゲリシェルド半島にある日本総領事館に向かいました。街の中心部に戻るため、23ルーブル支払ってバスを利用しました。運賃は一律で、距離によって変わることはありません。
 9月には東方経済フォーラムが開催され、プーチン大統領と日本の安部晋三首相が出席しました。マレーシアのマハティール首相が93歳であることに皆が驚きました。あるジャーナリストはプーチン大統領に、あなたにはこの先まだまだ長い時間がある、と冗談めかしく話すと、プーチンは、マレーシアの首相の年までは持ちこたえないだろう、と答えていました。
 フォーラム開催中から終了後には、天気は少し良くなり、友人たちから「ナデージダ号」で3日間海へ行こうと誘われました。このヨットは、毎年函館と青森の「青函ヨットレース」に参加しています。ヨットは、希少な木、イチイを使ってポーランドで造られた木造船です。ミノノソク湾まで5時間帆走し、そこで錨を下ろしました。私は毎日ヨットから魚釣りをしました。二日目には1時間で3匹のラッド(コイ科の小魚)を釣りました。私が魚を油で揚げ、皆で満足して食べました。ソーセージで魚を釣り上げたのは、釣り餌がなかったからです。
 毎日泳ぎ、食事を用意し、デッキの上に長い時間座り、食べてはビールを飲み、おしゃべりしました。時々チェスや他の遊びをしました。愉快で楽しかったです。
 帰りの便では、ウラジオストク空港で札幌便の搭乗カウンターをなかなか見つけることができませんでした。そこには誰一人いなかったからです。残りの乗客は、中国からウラジオストクにトランジットで札幌へ向かうので、搭乗手続きは不要なためだとわかりました。カウンターには私一人でした。これはとても珍しいことでした。
 飛行機は定刻通り飛び立ち、空港到着後は列車で3時間半かけて無事函館に到着しました。この日は、東京からの飛行機は台風のため函館に到着しませんでした。私は札幌経由の新しいルートのおかげで難を逃れたことを嬉しく思いました。行き来はより早く、そして楽になり、ウラジオストクへの旅はより魅力的で興味深いものとなりました。

学生からの投稿

「北方四島交流事業」報告

ロシア地域学科2年 関口 颯

 私は今年の5月24日から27日に実施された今年度2度目の北方四島交流訪問事業で色丹島に行かせていただきました。本事業は北方四島在住ロシア人との交流を通して北方領土問題の解決の環境を作るために行われています。
 前日には根室で事前研修を行い、訪問の意義や注意点についての話がありました。そしてその翌日に根室を発ち、同日の船内では、元島民2世の方の講話やロシア語講座がありました。国後島古釜布の沖で入域手続きを行った後、色丹島穴澗沖で停泊しました。
 25日に上陸し хлеб и соль (フレップ・ソリ/パンと塩)で迎えられ、文化会館で歓迎式と交流会がありました。歓迎会では色丹島の方々が歌や踊りを披露しました。中には聞いたことのある曲もあり、楽しむことができました。交流会ではロシア語で話せる機会があり、これが自分にとって初めての先生以外のロシア人との会話でした。
 その後、ホームビジットがあり、そこで昼食をいただきました。シチーやメドヴィク(写真)がとても美味しかったです。ホームビジットでは最初の方は通訳の方が別の家庭に行っていましたが、訪れた家庭の方は日本語が解る方でロシア語を学び始めて2年目の私の未熟なロシア語でも話をしたり、簡単な通訳ができました。

 翌26日には新設の水産加工工場や消防署、学校、幼稚園、スポーツ施設を見学しました。その工場は7月からの稼働が予定されており、イワシやタラなどの加工を行うようです。学校や幼稚園の見学は、先生に案内していただき、特に幼稚園の先生の説明はかなり聞き取りやすく感じました。詳しくは分かりませんでしたが幼稚園では発音矯正が行われているようで、私も受けてみたいと思いました。
 島内の移動は車でしたが、道路は港付近以外主要な道路も舗装されておらず、その日は天気が良かったこともあり、車の走った後には遠くからでも車が走っていたことが判るほどに砂埃が舞っていました。
 この訪問事業中に北方四島についての話を聞くことができたり、島の様子を見ることができましたが、中でも印象に残っているのは元島民の方の平均年齢が84歳になったり島の形が侵食で変わってしまったりして段々と訪問が難しくなっていっていることです。さらに島内にある建物の色や店の様子、ロシア語の標識や戦勝記念日の看板などを見て、ここにはもう既にロシア人の生活が築かれているように見えたことも印象に残っています。
 見学のときなどでロシア語の説明を聞き取れないことも多くありましたが、耳を普段から慣らしておくことや語彙を増やすことの重要性を再確認し、これからの学習でその2点を重視していくべきだとわかりました。
 私はこの訪問事業に参加できてとても良かったと思います。訪問することの難しい北方四島に行った私は、これから一層北方四島について関心を持ち、今回の訪問で知った北方四島の現状を伝えていかなくてはならないのだと強く思いました。

函館市インターンシップに参加して

ロシア地域学科2年 小池 凜

 私は、将来就きたい職業が具体的にまだ決まっていないため、イメージをつけるために何らかのインターンシップに参加したいと思っていました。
 今回、函館市役所のインターンシップに参加したのは、民間企業と違って、商品の販売や対面でのサービス提供が少ない市役所がどのような業務をしているか気になったためです。その中でも、教育に興味があったので、教育委員会を希望した結果、配属していただくことになりました。
 業務としては事務作業が多く、小・中学校の通学状況調査の集計表づくりなどをしました。その過程で、函館市の小・中学校では、空き教室を減らしたり、部活動を行いやすくするため、学校統合という選択をしているのだと知りました。一方で、統合後に校区が広がったことによる通学のしづらさ、それによるスクールバスの導入、またどのくらいの通学距離からスクールバスに乗車できるのかなどの課題を様々抱えていました。
 ほかにも、学校図書館を一般の方に開放するための取り組みについて、職員の方に同行して見学させていただきました。私が小学生の頃、すでに札幌の学校ではデータで本を管理していましたが、函館市では最近までデータ化していなかったことを知り、驚きました。データ化する際にも、パソコンやインターネット環境を整える必要があったり、本に貼るバーコードなどもそろえる必要があり、費用がとてもかかります。それらの整備費用だけでなく、本自体も何十冊、何百冊も買うとお金がかかるため、函館市としてどのくらいの気概で取り組んでいくのか問われる事業だなと思いました。
 人口減少に伴う函館市の停滞化を考えると、教育委員会のみで取り組むのではなく、市全体で取り組むべき課題ではないかと思いました。そして、「人口の減少を止める=出生率を上げる」のではなく「これ以上函館から人口を流出させない」という視点を持つことが函館市活性化のポイントだと思いました。
 最後に、4日にわたって温かい指導をしていただきました、教育委員会学校教育部の皆さんにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

ロシア地域学科1年 境田 ひなた

 私は8月19日から22日の4日間、函館市役所環境部のインターンシップに参加しました。市役所のインターンシップに参加する際に提出する書類には、観光部、子ども未来部、港湾空港部を第3希望までとして出していました。環境部に決まった時、正直環境部になることは想定外で、あまり興味のある分野でもなく辞退ということも考えました。それから1日沢山考えた結果、せっかくのチャンスだと思い参加を決意しました。
 1日目は環境推進課で蛍光管等調査回収施設別回収量内訳、古着引渡業務日報のデータをエクセルに打ち込み、函館市内のスーパーや公共施設に設置された資源回収ボックスの巡回を行いました。
 2日目は環境総務課で搬送実績未入力一覧、搬送集計表の確認、「はこだてノーマイカーデー2019」の準備の補助を行いました。
 3日目も環境総務課で前日の続きで「はこだてノーマイカーデー2019」の準備の補助、告知をしに保健センターに行きました。
 4日間のインターンシップを終えて大きく心に残っていることが2つあります。一点目は環境部の徹底した節電で、二点目はゴミの分別マナーの現状です。まず一点目については、庁舎の廊下の電気はついておらず、大きな荷物を持っている人以外は全員階段を利用し、昼休みは室内に人がいても電気を消すなど、よく考えたら当たり前のことですが、日頃それができていない私は自分の甘さを感じました。これからは環境部のように節電を徹底させていきたいと思います。
 二点目としては、4日目のリサイクルセンターに見学しに行った時のことです。ペットボトルが沢山回収されていて、その中にペットボトルのキャップがついたまま、フィルムが貼られたまま、中身が入ったままのものもありました。目を凝らして探してみると、かなり沢山の数がありました。普段は見る機会がなく、その時初めて見て、こんなにもマナーが守れていない人や分別の仕方を知らない人がいることに驚きました。これからは周りで間違えた分別をしている人がいたら注意をしていきたいと思います。
 はじめは環境部に選ばれたことに悲しさがありました。しかし今は、生活に密着した環境部で4日間インターンシップに参加することができたことで、参加しなければわからなかった体験ばかりで、貴重な経験をさせていただいたと、函館市役所環境部の職員の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

コール八幡坂に参加して

ロシア地域学科1年 中澤 純

 私はある日同級生から、これからコール八幡坂の活動が始まると聞き、興味本位で見学しに行った。そこでは、部員たちが歌う前の発声練習をしていた。発声前のルーティンの内容のなかには、なかなか他ではない内容があったのが印象に残ったのを覚えている。
 発声練習が終わり、メンバーの歌が始まった。曲目は「はこだて賛歌」という函館を称える曲をロシア語にしたものであった。生まれも育ちも東京であった私はいまいち反応が薄かった。しかし後に毎朝近所で曲がながれているのに気づいた。観光地でもあり、地元密着の地域の繋がりの大きく、新鮮な気持ちになった。曲を聞いてみると函館市民のための曲ということで、学校の校歌の如く皆が歌いやすいようなメロディーになっている印象を受けた。さらにロシア語の歌詞は、言語の特性上アクセントが書いてあれば、基本的に発音上の例外がほとんどなく、これは歌えると思い歌っていると、「もう入部してるでしょ?」、と鳥飼先生に半ば既成事実のように言われた。
 次の曲はпрекрасное далёкоという名前の曲であった。ソ連の80年代の子供向け映画のテーマらしい。最初の「はこだて賛歌」は日本語の曲を無理やりロシア語に置き換えたものだったのに対して、これは最初からロシア語で作られているので、別の理由で歌いやすいと感じた。
 それから毎週火・金曜日に練習があり、記念コンサート“「極東の窓」から”の本番に向けて練習していった。練習の中で見つかったサークル全体の課題点としてあったのは、低音パートと高音パートのバランスであった。女子が人数上少なめだったのが理由で、私は女性パートのオクターヴ下を歌うこととなった。低音パートも歌えるが、どちらかといえばそちらの方が得意であったのが幸いであった。メンバーの動きや歌唱法のメソッドが行きあたりばったりであったが、そのまま練習を続け本番が始まった。
 練習の時は自分達が歌うだけではどのくらい響くことになるかわからなかったが、3大ピアノの中でも特に大ホールに向いているSteinway & Sonsの大ホール用グランドピアノの響きに、ホールの音響設備が良いのもあり、本番の歌は大ホールにも広がっていたことであろう。

函館の下に

ロシア地域学科1年 小栗 大和

 誰に向けた物であるのかという自問に対する答えが明確であるという事は、何時であっても物を完成させるために欠かせない要素である様で、目前にした函館市民へ今まさに届けんとした「はこだて賛歌」は、強烈な使命感を伴ってより一層純粋な形で歌えたと感じている。
 極東大は函館の一部であり、私は極東大の一人であり、ここに居る者は皆函館の下にあり、私は函館の為に歌っているのだと、歌う最中私が感じた事は、コンサートが極東大から函館への恩返しの形の一つである事を思えば当然の事ではあるのだが、しかしながら私にとって感慨深いものであった。訳を述べれば、帰属意識を持つ事、孤立しない事、いずれも全うな人生に欠かせない事でありながらも、不甲斐ない話、私はその様に在るのが難しい性分で、自分らしく在れる場所を求めるあまりに孤立し、望んで磨いた技術は悉く人の気を惹かないのが当たり前になっていたはずが、ここに来て、他でもないコール八幡坂の一員として、身に着けたロシア語の歌を人に届けている。長年孤独に麻痺していた私には、自然体でありながらも人と共に人の為にあれるコール八幡坂での時間がとても温かく居心地が良く思えた。それ故に、コンサートでの経験は私にとって貴重な思い出であり、また函館に自分の居場所がある事に今も変わらず喜びを感じている。
 僭越ながら記念缶バッジのデザインでも力を添えさせて頂いた。同期生が後日も私がデザインした物を飾り続けているのを見れば、極東大での日々は私にとってやはり居心地が良い。


△7種類作製した25周年記念缶バッチ