学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.109 2021.10 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

「縄文文化とロシア人の私見」
ロシア極東連邦総合大学函館校教授スレイメノヴァ・アイーダ

 2021年7月27日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」はユネスコ世界文化遺産として登録された。豊かな上代文化の存在について、函館、道南、青森県の博物館、そして史跡を訪問したことがあるが、今回の世界文化遺産の登録を受けて、縄文文化の意義をもっと深く理解したいと思う。
 2016-2017年に、函館の魅惑を感じるために、街の中のほか、恵山や南茅部などを旅行した。南茅部にある函館市縄文文化交流センターでは、史跡垣ノ島、大船遺跡について展示品を見た。感動した。特に気に入ったのは、縄文文化をより深く理解できるために作られたセンター、展示施設、体験コース、縄文文化を身近に感じさせるグッズ(例えば、可愛いどぐう館長、PRキャラクター)のようなインフラストラクチャーであった。
 その後、道南の縄文だけではなく、青森県の三内丸山遺跡(青森市)、是川石器時代遺跡(八戸市)を訪問した。山内丸山遺跡へは、ロシア人の友人と一緒に旅行したことがある。函館、青森、八戸、どれも遺跡そのものだけではなく、展示された遺跡の部分、遺跡の発見史、遺跡の研究者、遺跡の周りに住んでいる地元の人たちとの関係、彼らの関心・応援も心を動かした。そのとき、私は「え、すべては観光開拓のためではないのか」と考えたが、…「ロシアではそういうことはないが、ロシアでもそのような施設、グッズなどを作った方がいいかな!」等と思った。

 実は、ロシアの極東、沿海州地方にも上代文化の重要さについて多くの人が真剣に考えている。縄文文化とよく似た植生環境と適応形態をもつ新石器時代後半のザイサノフカ文化、クロウノフカ※1遺跡、チョールタヴィ=ヴァロータ洞穴遺跡は様々な研究者によって論争が起こっている。私の極東連邦大学の同級生たちもこの検討プロジェクトに参加している。また私も縄文文化と弥生文化の違いについて歴史・民俗学の授業で悩んだことがあった。ロシアの遺跡にも土器が発見され、アムール川地方の土器は日本の土器と同じ紀元前13-12000年だったし、縄文文化の遺跡に似ている縄張りの模様もある1が、日本の土偶よりそんなに有名ではない。ロシアの博物館もインフラストラクチャーについて関心を示していなかったので、観光客たちは、ザイサノフカ、クロウノフカ、チョールタヴィ=ヴァロータという地名について分からないままだと思う。沿海州地方の人たちは、女真(または女直、ロシア語ではジュルジェーニ文化, Чжурдже́ни)の文化の遺跡について何度も聞いている。幼い頃、「ゴールデン女」という女神の金メッキ像がウラジオストクに近いピダン山の周辺のどこか隠されているという有名な噂があった。同級生たちは、この発見できなかったこの「ゴールデン女」を探しに行こうと思った。でも、上代時代の遺跡については想像できなかった。そして、適当なプロパガンダも足りていなかったと思う。最近のウラジオストクのミュージアムの事務員は、新体制をとって、講義、セミナー等の仕事をはじめ、グッズ販売、コンクール、クエスト、博物館祭りのようなイベントを行っているが、ロシアの上代文化遺跡は民間にあまり知られていない。特に、北日本の縄文文化の研究、一般の観光者向けの講義、体験、見学と比べると、比較もできない。



 ロシア人は、勿論、歴史に関心があるが、縄文のように遠い歴史に憧れはないと思う。この関心の不足には、次の理由がある。ロシアでは、日本人が縄文文化を普及させる活動のようなものは足りていないと考える。沿海州地方では、少数民族の文化(アイヌのような民族文化)への関心はあるが、この民族の代表者はまだ密林の中で暮らしているし、彼らの手工芸品(服装、人形、木製の家庭装飾等)は、ウラジオストクの住民の中ではある程度の人気がある。このような文化は想像できる文化で、分かりやすい文化であるが、縄文文化のような上代文化の物は手で触れないし、市場で買えないし、マスコット・チラシを見る形では想像できない。しかし、考古学の研究者だけは日本の縄文文化とロシアの上代文化を比較し、理解している。
 今年、縄文文化を普及させるための紙芝居の翻訳活動に本校も参加する。これによって学生も縄文文化の説明ができるようになるが、函館での縄文文化というのは何だろう?と考えてしまう。私には適当な知識はまだ足りていなくて、博物館・遺跡の見学を旅行ではなく、真剣にしなければならないと思う。
 この翻訳活動の参加を検討するとき、ある面白い発見があった。それは、最初に発見された縄文遺跡の場所は私が住んでいる宝来町に近い場所にあり、函館山の山麓であることだ。市立博物館のパンプレットでは、「昭和4年に東北帝国大学の山内清男や伊東信雄が発掘調査を実施した際、出土した土器が従来にない新型式であったことから「住吉町式土器」と命名され」という遺跡についての説明がある。※2
 不思議な縄文の土器や土偶は自分の住んでいる近い場所から発見されたことを知ったので、函館の地下には、まだこのような遺跡は隠れているのではないだろうか?と思った。函館を訪問するロシア人の観光客にとってもこの発見は面白く感じることだろう。もちろん、ロシア人の観光客は、函館で縄文を知る旅の中心施設となる函館市縄文文化交流センター、史跡垣ノ島遺跡、史跡大船遺跡を訪ねて、市立博物館でも縄文文化の説明を聞くことは重要であるし、高田屋嘉兵衛、石川啄木という有名人だけではなく、昔々の人々が函館地方で暮らしていたことは、とても魅惑的なことになるだろう。

※1 ロシア科学アカデミーシベリア支部考古学研究所、メドヴェージェフ・ヴィターリーの説明、縄文時代土器について https://archaeology.nsc.ru/chto-gotovili-v-gorshkah-zhiteli-priamurya-v-epohu-neolita/
※2 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/135528

学生からの投稿

АБВГ-Dayの発表について ロシア地域学科1年 後藤 愛佳

 7月14日に言語まつり「АБВГ-Day」が開催された。今年度は1年生の暗唱の部と2年生以上の発表の部に分かれて、日頃のロシア語学習の成果を披露した。
 1年生の私が暗唱する詩を決めたのは6月中旬頃だった。着々と準備を進めている同級生の姿を見て焦る気持ちを抑えながら、本格的な準備に取り掛かったのは7月に入ってからだった。詩の内容を分かりやすく伝えるためにスライドを作り、何度も音読し、その後も暗唱の練習を繰り返した。АБВГ-Dayの2週間後には初めての期末試験を控えており、勉強への不安と発表の準備に追われて、気持ちも張り詰め大変であった。
 私は、チェブラーシカで馴染みのあるエドゥアルド・ウスペンスキー作のЖирафы(キリン)という詩を選んだ。大きなキリン達がバスケットを持って街中をゆったりと歩くという不思議な情景が描かれた詩である。そんなに長い詩ではないけれど、そこに描かれた世界観が非常に美しく、その情景が伝わるよう、本番ではゆっくりと暗唱するように心がけた。


 自身の発表の際には緊張したが、学習成果の披露は終始和やかな雰囲気で行われた。長い詩を暗唱している同級生を見て素直に感心した。先輩方の発表は丁寧で、内容も手の込んでいるものばかりであり非常に興味深いものであった。バラエティに富んだ個性的な発表は、見ていてとても楽しかった。先輩方の発表を見習って、来年度は自身が関心のある題材について発表をしたいと思う。
 全員の発表が終わり結果を待っている間、まさか自分が入賞できるとは思っていなかったので、1位で名前を呼ばれた時は非常に驚いたし、賞状をいただけてとても嬉しかった。今回の経験は、今まで以上に学習に気持ちを注ぎ、成果を出していく上で大きな励みとなった。
 最後に、Жирафыという美しい詩を題材として提案してくださり、休み時間や放課後も練習に付き合ってくださったスレイメノヴァ先生に改めて感謝を申し上げたい。

АБВГ-Day ロシア地域学科3年 中澤 純

 今年のАБВГ-Dayは例年と違い、夏開催だった。さらには暗唱部門と自由部門といった二部制という特殊ルールとなった。今回に関しては時間をうまく取れず、テーマ決めにもたついてしまった。が、アカデミックリンクその他とかぶらなかったというのは後々の明確なメリットであったと思う。
 最初にテーマにしようと考えた没案たちは、何れもクラシック音楽についてであった。世界三大のフォーレ、モーツァルト、ヴェルディやDies iræで有名なレクイエム。三大ソナタで有名なソナタ形式、またソナチネについて等。かなりの候補が出てきたが、どれも、序奏・提示部・展開部といった構成が複雑で客観的に説明することが難しいと考え現代のポップスにジャンルを変えることにした。テクノ御三家やVISUAL SHOCKから始まるV系の歴史と最盛期、シンセサイザーの歴史等の候補を出し、軽くすべての原稿を書いてみたところ、客観的情報を出しやすいのがシンセサイザーの歴史だと考えこれを採用した。去年は90年代CDバブルについてであったので曲名やアルバム、シングル名がロシア語訳しづらかったりしたが、固有名詞的な複雑さはなかったが、機械用語、音楽用語、日本の芸能界の用語等をどう説明するかを手間取っていた。そもそも三大や四大〇〇、第1次〇〇ブームといった時代や種類の区分けは日本人が多く使う手法だが、その多くは他の国々では使われていないことから、そこらへんの日本での区分けをどうロシア語で説明するかと言うのがかなりの課題点であった。他にも結果ドイツ語、イタリア語や英語を介して訳したところはかなり面白いと思えた。当日も言語学的学術的なものや大衆的なものまで、多数種類があり、後日色々調べたりして、門外漢であった情報が増えたのは大きかった。

アグリ八幡坂の活動を通して ロシア地域学科1年 三田井 芙美

 8月11日にボルシチの試食会がありました。農業プロジェクト「アグリ八幡坂」で収穫した野菜を使って作られ、学生はもちろん、教職員の方々も参加しました。プロジェクトが始まったきっかけは、渡辺理事長の提案でした。夏に収穫して、皆で料理して食べよう!という目標で、畑の場所もすぐ近くということもあり、参加しました。
 活動は主に雑草抜きと収穫作業で、5月の中頃の最初の活動では種まきと苗植え、最後(8月)に調理でした。
 畑の土を耕すときは耕運機、草刈りの時は草刈り機を使うこともあり、めったにない体験をすることができました。草刈り機を使うときは、教会入口付近の雑草を、使い方を教わりながら皆で交代で刈ったので、特に印象に残っています。これらの様子を撮影チームが写真に撮ることもあり、大学のHPに写真が掲載された時は思わず声が出る程驚きました。
 緊急事態宣言で活動が中止になった時は、畑はどうなるのかと不安になりました。たまに畑の様子を見に行ったりすることもありましたが、野菜たちは変わらず青々としていて、植物の強さを感じました。
 最後の試食会ではタチヤーナ先生の監督の下、ボルシチを作りました。これまでの活動で撮られた写真を食堂のテレビで順に流し、和やかな雰囲気で終えることができたと思います。

アグリ八幡坂の活動を通して ロシア地域学科1年 専徒 直葵

 5月より函館ハリストス正教会の敷地内で始まった農業プロジェクト「アグリ八幡坂」の活動は、8月11日に行われたボルシチ試食会をもって一旦の区切りがつきました。
 活動開始から数日で緊急事態宣言が出され、一時は今後まともに活動できるのか不安になったこともありましたが、学生たちが学年の垣根をこえて協力し感染防止に努めつつ作業に取り組み、無事収穫まで終えることができました。
 農業機械の操作や畑の管理など、初めて体験することばかりなのにも関わらず、怪我もなく活動できたのは、渡辺善行理事長の適切なご指導あってのことと考えます。ビーツやじゃがいも、きゅうりなど10種類ほどの野菜を1から育て、収穫した野菜を調理してお昼に食堂で提供してもらったり、みんなで分け合って持ち帰ったりしたことは、究極の地産地消と言えるでしょう。こういった経験をすることで食への関心が高まり、生産者の事情などを少しは窺い知ることができたのではないでしょうか。アグリ八幡坂の一連の活動でとても有意義な時間を過ごせたと思います。


 ボルシチ試食会では、イリイナ・タチヤーナ准教授のご指導のもと、教員と学生が協力してボルシチを調理しました。アグリ八幡坂の活動で収穫したスビョークラ(ビーツ)をふんだんに使用して、とてもおいしい本場の味のボルシチができました。また、大渡事務局長が自家製のパンをたくさん作ってきて下さり、それをボルシチといっしょに食べることでよりおいしく頂くことができました。
 今回のボルシチ試食会までの一連の活動は、多くの人が協力し合った結果大成功に終わったと思います。加えて、作物を育てることで様々な知見を得ることができました。アグリ八幡坂の活動は今後も継続する予定と聞いています。今後どんな作物が育てるのか、またどんなイベントができるの今から楽しみです。

アグリ八幡坂~ボルシチ試食会~ ロシア地域学科2年 鈴木 貴大

 私はアグリ八幡坂というプロジェクトに参加しています。これは学生たちが校舎近辺にあるハリストス教会の土地を借りて畑を耕し、作物を作るプロジェクトです。アグリ=agriculture=農業です。今年の5月から始まったこのプロジェクトですが、最初は耕運機を使って畑を耕し、鍬を持って畝を作った後、ナスやパプリカ、きゅうり、枝豆、ローズマリーなど様々な苗を植えました。そして忘れてはならないのが、ロシアで広く料理に使われているビーツです。
 今回私は自分たちで育てたビーツを使い、タチヤーナ先生の指導の元、夏休みにボルシチを作りました。日本でビーツは、一般のスーパーなどでは売っておらず、例え売っていたとしても水煮されたものしかないので、自分たちで育てた生のビーツを使ってボルシチを作れたことはとても貴重な体験でした。他にもじゃがいもや人参などのビーツと一緒に育てた野菜も使いました。私はビーツを切る作業を担当したのですが、まな板や手が真っ赤になり、切り終わった後もなかなか落ちず、少し焦りました。またビーツの切り方も一度縦に切ってから並べて斜めに切るという独特な方法で、食感などロシアの家庭の味を再現できたと思います。
 全ての野菜を切り終わった後は、大鍋でそれらを炒め、鶏肉を入れて煮込み、最後にタチヤーナ先生が作ってきてくださったサワークリームと香草を添えて出来上がりです。粒の黒胡椒を使うはずが、手違いで粉末になってしまった等の些細なトラブルはありましたが、それでもとても美味しいボルシチを作る事ができました。


 他にも大渡さんが作ってきてくださったライ麦パンは、粗挽きや細挽きなど様々な種類があり、ピクルスもボルシチととても良く合いました。試食会には学生はもちろん、先生方や領事の方が食堂に訪れ、アグリ八幡坂の活動の様子を記録したビデオを上映しながら食べました。
 私は現在一人暮らしなので、普段自炊をしますが、ロシア料理はあまり作ったことがなかったので、新鮮な思い出となりました。特に自分たちで作った野菜を使ったことは、農業という現代に生きる中で触れることの少ない人間らしさを思い出させてくれました。後期からはまた新しい野菜を育てるとのことなので、次回は何を育てるのかとても楽しみにしています。