No.40 2004.07"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

長い長い夢

ロシア極東国立総合大学函館校 元学生係 畠山 美奈子

1994年4月11日、私はロシア極東国立総合大学函館校の入学式に新入生として出席していた。あれから10年、こんなに長くこの学校とのかかわりが続くとは思ってもみなかった。
この学校に入学する前、私はOLとして働いていた。仕事はいつも忙しく、休日出勤もしばしばで自分の時間などなく、たまの休みといえば家で寝ているだけだった。趣味で通い始めたロシア語講座も、週に一度の時間が取れず、やめたも同然だった。
ある日ロシア語の先生から電話があった。「遅れた分の勉強を見てあげるから、いつでも遊びにおいで。」
数日後、先生の自宅を訪ねると、あるパンフレットを見せられた。
「函館にロシアの大学ができるらしい。これからはロシア語を勉強する人が増えていくんだろうか。どんな人が入学するんだろう。おもしろそうだから見てごらん。」
大学でロシア語を勉強するなんて、うらやましいと思いながらも、自分には全く縁のない夢のような話だとそのときは感じていた。
でも、夢のような話が現実になった。私はロシア極東国立総合大学函館校の学生になった。ロシア語だけで行われる授業や、ロシアの大学のシステムに戸惑ったりしながらも、丸一日全て自由な時間で、毎日勉強のことだけを考えていてもよい生活が始まった。
1日に3~4コマの授業、放課後は先生がロシアの歌や踊りを教えてくださる。学校の帰り道には友人の家に集まって今日の授業の復習をし、家に帰ってからは宿題や予習をする。そして、ロシア語を使ってのアルバイト、私にとって初めての海外旅行だった留学実習。100%ロシア漬けの2年間は夢のようにあっという間に、過ぎていった。
卒業を控えて就職活動が始まり、ロシア勤務の会社の試験に落ちた私は、もうこれで夢見る時間は終わって現実に戻らなければいけないのだと思い始めていた。結局就職が決まらないまま卒業し、アルバイト生活をしていた私に、事務員が退職予定だから後任として来ないかと前校長が声をかけてくれた。ロシア関係の仕事を希望していた私には夢のようなお誘いだった。
そしてまた夢のような生活が始まった。もちろん、事務の仕事は傍から見るほど甘くはなかった。前任者との能力の差に悩み、やってもやっても終わりのない仕事に追われ、学生の悩みにどう答えてあげればよいのかわからず落ち込む毎日。けれど、働けるという喜びとその仕事がロシアに関わるものだということが私を幸せにした。
 やっと自分なりのやり方を見つけ仕事にも慣れ、同僚に支えられ楽しく仕事をするうちに、気がつくと7年6ヶ月が経っていた。
ずっと続くと思っていたこんな生活が終わるときがやってきた。ここで過ごした時間は私の人生において本当に大切なものだったし、一緒に働いている皆さんと別れるなんて考えられなかった。だから、退職を決心するのに、仕事を始めたとき以上に悩み苦しんだ。
新しい職員が入れば、新しい視点で仕事に取り組み、この学校を新しい方向に向かわせることができるはず。時にはそれも必要なこと。最後には自分にそう言い聞かせて、夢のような生活に別れを告げることにした。
10年も楽しい夢を見せてくれてありがとう。夢が覚めてもここで皆さんと過ごしたことは決して忘れない。この長い長い夢は、きっとこれから始まる厳しい現実の生活の支えになってくれるに違いないと思う。

人事

3月25日付けで新しく柴田知恵さんが学生課学生係として着任、田畑次長が2年間の研修期間を終え、函館市役所に戻られたことを前号でお知らせいたしました。
この度、畠山美奈子さんが6月30日付で退職いたしました。畠山さんは、本校に平成8年12月21日に着任、以来7年6ヶ月の長きにわたり、学生係として、授業が円滑に進むよう先生方と常に緊密な連携を保つとともに、一人一人の学生に心を配り、日常の生活相談から就職指導と幅広い仕事をしてくれました。本当にお疲れ様でした。
また、田畑次長の後任には、函館市企画部より小笠原聡さんが、4月9日付で着任しました。前任者同様どうぞ宜しくお願いいたします。

特別授業のお知らせ

今年度、中央から講師を招聘し「特別授業」を実施します。必ず出席するように。 
 ○ 授業科目 
      ゼミナール/「日ロ貿易論」
 ○ 講  師
      本校客員教授 杉本侃 氏
   (前日本経団連日本ロシア経済委員会事務局長)
 ○ 授業日時
      平成16年7月8日(木)14:40~16:20
 ○ 場  所
      第6教室

前期試験

前期試験日程
今年度の前期試験を下記の通り実施します。ザチョット週間は通常の時間割どおり行われますが、エグザメンの日程については掲示板で確認してください。
<ザチョット>7月20日(火)~7月26日(月)
<エグザメン>7月27日(火)~8月 6日(金)


ザチョットナヤ・クニーシュカ
前期試験中は必ずザチョットナヤ・クニーシュカを携帯し、担当教員からサインをもらってください。なお、1年生には試験初日までに配付します。

留学実習説明会

出発前最後の説明会
9月にウラジオストクへ留学するロシア地域学科3年生を対象とした第3回留学実習説明会を7月21日(水)に行います。時間と場所は掲示板で確認してください。 
今回は出発前最後の説明会になります。第2回説明会で渡した「留学のしおり」をよく読んで、疑問や不安な点があればこの説明会で確認してください。

学生課よりお知らせ

夏季休業
今年度の夏季休業は、8月9日(月)から9月15日(水)までです。休業中も平日は事務局や図書室などの利用は可能ですが、8月11、12、13日の3日間は事務局も休業となりますので留意してください。なお、後期授業は9月16日(木)からです。

短信

「ロシア語市民講座」始まる
今年度の「ロシア語市民講座」(前期)が、5月10日(月)から本校で開講されています。前期講座は、全12回。毎週(月)18:30からの90分間です。
今回は、上級コースを除く3コースが開講しました。受講生は、合計16名。10代の学生から70代の社会人まで、様々な年齢の方々が、熱心に受講されています。
各コースを担当しているのは、本校の3人の先生方で、中級コースはデルカーチ先生、初級コースはイリイン校長、入門コースはロマン先生です。
各コースの受講生のみなさんは、目標とするレベルを目指して、毎週がんばっています。
なお、前期講座終了後、9月からは中期講座が始まります。ロシア語に興味のある方、受講希望やお問い合わせ等は、お気軽に事務局までご連絡ください。

 
「ベリョースカクラブ」開講
今年度の「ベリョースカクラブ」が5月17日(月)に開講しました。
この講座は、市民にロシア文化や歴史等を学んでいただくことを目的に6年前に開講したもので、今年は15名の参加者でスタートしました。
開講式後1回目の講座が開かれ、本校でロシア語やロシア文化史などを教えるデルカ-チ・フョードル講師が、「イルクーツク」と題して、自身の出身地、イルクーツクについてスライドを交えながらお話をしました。
2回目は、6月21日(月)に行われ、イリイナ・タチアナ助教授の解説によりロシアの喜劇を観賞しました。上映された映画は、ロシアで最も有名なコメディ「作戦〝ы〝」で、参加者全員ロシアの喜劇を堪能しました。 
なお、今年度は、あと5回の講座を予定しています。

墓地清掃終わる
今年度のロシア人墓地の清掃活動を6月19日(土)に実施しました。
今年も、在札幌ロシア連邦総領事館から10名が参加し、本校教職員と市役所職員とともに雑草を刈り、用意した花を植え、門扉のペンキ塗りをするなどして墓地内をきれいにしました。

イリインカップチェス大会開催
イリインカップ争奪チェス大会が6月19日(土)本校で行われました。
この大会は、本校のイリイン・セルゲイ校長の名前にちなんだ冠大会で、函館チェスクラブ高佐一義主宰の発案で始まり、今年で5回目。
幼稚園児から50代まで男女合わせて40人が参加。5人1組でチーム対抗戦が行われ、頭脳をフル回転させながら盤上で激しい攻防を繰り広げました。各チームの力が接近し白熱のゲームが繰り広げられた結果、旭岡・付属小中混成チームが函館大学チームに競り勝ち初優勝を果たしました。

開校10周年記念式典のご案内
函館市とウラジオストク市との姉妹都市提携を契機に、平成6年に極東国立総合大学の日本分校として産声を上げた本校は、本年、開校11年目を迎えることができました。
 本校では、下記により開校10周年を記念する式典を挙行することとなりました。なお、式典終了後、「極東国立総合大学芸術団による公演」を予定しております。
 学生は、ぜひ出席するようにしてください。   

○ 日 時  平成16年9月2日(木)
     ・記念式典 16:00
     ・記念公演 17:00

○ 会 場  函館国際ホテル  
        函館市大手町5-10

学生からの投稿~留学を終えて~

ロシア語科2年 山田理沙

4月1日から1ヶ月間、ウラジオストクに短期留学してきました。実に疲れた1ヶ月でした。特に、Русская школа(ルースカヤ シュコーラ)での授業は、とても辛かったです。当然のことですが、授業は全てロシア語で行われ、理解できない単語がたくさんあり、先生が、何を言っているのかわからないことが度々でした。わからない単語があれば聞き取ってメモをし、授業が終わった後に辞書で調べたりしました。授業中に辞書を引く時間的余裕がありませんでしたので。さらに、ほぼ毎日、山のような宿題が出され、その宿題にも知らない単語が目白押しで苦労しました。
また、毎日午後には市内観光やイベントがあり、時間のやりくりをじょうずにできず、夜遅くまで勉強していました。これほど勉強したことは今まで一度もありませんでした。しかし、この辛い日々のお陰もあって、ロシア語の理解が高まったことを実感できるようになりました。
寮での生活も気に入っていたので、帰国が近づくにつれて帰りたくないという気持ちになりました。留学を経て今まで知らなかったことを知ることができたり、
日本の学校で学んだことが現地に来てよく理解できたりと、とてもためになった、有意義な1ヶ月だったと思います。    
また機会があれば行きたいです。

学生からの投稿~本校に入学して~

ロシア語科1年 畠山ミカ(ユジノサハリンスク市出身)

この学校に入学しまだ2ヶ月、知らないことが多く不安もありますが、楽しく勉強しています。これからの生活の中で勉強だけではなく、一人暮らしの寂しさ、辛さに耐えながら大人へと成長していきたいと思っています。先生方の優しさと勉強の楽しさが支えです。英語は特に頑張らなくてはと自分に言い聞かせています。この学校に入学してよかったと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

ロシア地域学科1年 塩見亮太(藤沢市出身)

私は、とにかくロシア語を勉強したいという一心で本校に入学した。ロシア語を勉強しだして3ヶ月経ち、今は身につけたロシア語をどのような方法で活用すべきかを真剣に考えている。
将来への思案は、これからも続くでしょうが、ここを卒業したらロシアの大学で学びたいと考えている。言葉はそれを使う人々の文化そのものだと思うので、実際に現地で文化を学ぶ必要性を感じるからです。将来への展望を持ちながら、まずは、ここでの勉強をしっかりやりたいと考えている。

ロシア語科1年 豊留大和(指宿市出身)

ロシア語を本気で勉強してマスターしようとしている志の高い学生が多いので、私にはとても良い刺激となっています。
2年間という短い時間の中でロシア語を覚えるのは、想像以上に大変なことだと思いますが、この学校に入学したからには一生懸命勉強して、ロシア語をマスターして卒業したいと思います。

ロシア語科1年 白戸裕里絵(函館市出身)

隣国なのにあまり知られていない国ロシア。興味・関心はもっていたが、ほとんど学ぶチャンスのなかったロシア語。それだけに、ロシアの文化や風俗・習慣をロシア語を通して勉強したいと思い、この学校に入学しました。
実際に勉強を始めて難しさに戸惑うこともありますが、日本とロシアの共通点などを知ることができたりするのでやりがいを感じています。また、高校の頃から好きだった英語の勉強を続けることができることも嬉しいです。これからも頑張って勉強していきたいと思います。

ロシア地域学科1年 富樫周子(秋田市出身)

ロシアが好き! 私は、この理由だけで本校を選びました。先生方はひとりを除いて他は全てロシア人で、授業内容はほとんどロシアのことばかり。インターネットで本校を見つけた時、ここしかないと思いました。
最初は、全てが初めて体験することなので戸惑いや不安もありましたが、最近はだんだん慣れてきました。授業は難しいです。でも、好きなことなので学ぶのは楽しいです。4年間頑張って勉強して、たくさんロシアに触れていきたいと思います。

特別寄稿

函館日ロ親善協会の15年を振り返って
函館日ロ親善協会副会長 (株)五島軒社長 若山 直

日本とソ連の親善交流、これが1989年6月「函館日ソ親善協会」設立当時の目的だった。函館市には各種国際親善交流団体が30ほどもあるが、その中で毎年総会に国を代表して総領事などが参加してくれる団体は当協会のみである。このことが日本とロシアの緊密な関係を物語っている。しかし、北方領土返還問題というトゲは日本の皮膚に突き刺さったままであり、双方の政権が代わる度に決着が期待されながら進展は乏しかった。永久にこのままでないか、という思いが道民の意識の底にはある。しかし、戦後半世紀、もう交流団体を組織する潮時だ、という気運が双方に持ち上がってきた時期があった。それはソビエト社会主義連邦共和国、通称“ソ連”に、ペレストロイカの風が吹き始めた時期だった。準備はいろいろあったが、無事協会は設立され、翌年、1990年6月、函館市は交流団を組織し、ウラジオストクを訪問することとなった。私は副団長として参加した。「空路・海路の開設、貿易振興と文化の相互交流」が目的であり、「姉妹都市提携」の下準備もあった。マスコミが「極東最大の軍事・要塞都市ウラジオのベールが開けられる」と、大きく報道したことが当時の状況を物語っている。計画は画期的なことだったのだ。手元に、帰国後発行した「記録集」がある。団長だった当協会会長、藤谷作太郎さん、ウラジオ市長あて書簡の差出人だった、木戸浦函館市長さんは共に故人となってしまった。市議で参加した金田さんは、道議を飛び越して代議士になった。相手国のソ連自体、革命により、かってのロシアに舞い戻り、資本主義経済への道を歩み始めている。協会には現在、ロシア人祖母を持つカチュシャこと吉田和子女史やロシア史研究者、各会派の市議会議員や企業経営者など、職業も職種も多彩な顔触れがいる。極東国立総合大学の分校が函館に根をおろし、その大学に隣接して総領事館函館事務所が置かれ、ビザ発給も行われている。問題は山積しているが、私の数代前の祖父母達のことを考えれば日進月歩だ。母方の祖先、船大工の棟梁だった続豊次は、アメリカ・ペリー艦隊の翌年来航したフランス・インドシナ艦隊シビル号の設計図を解読し、スクーナー型帆船「箱館丸」を造船している。彼はこの船に、幕命を受けた函館奉行を乗せ、ウラジオストクを訪問した。もう150年も昔のことだ。彼は数ヶ月ウラジオストクに滞在したが、その目に写ったウラジオストクは「ヨーロッパの匂いを感じさせる瀟洒な町」であったという。この町からその後多くのロシア人が公に、また密かに、函館に渡航して来た。ソビエト社会主義の先達、マルクスと派を競った革命家バクーニン、ロシア正教会神父ニコライなど応挙に暇がない。もしニコライ神父が函館戦争で五稜郭が落城した際、五島列島出身の長崎通じ、五島英吉を匿ってくれなければ、曽祖父若山惣太郎が五島軒を創業することもなかったろう。父、若山徳次郎は、このニコライの弟子白岩徳太郎にロシア語を習っている。五島軒に今も残る献立、ボルシチやザクスキ、クラビヤーカサーモンなどは、帝政ロシア亡き後のソ連から失われてしまった献立だが、それは、ソ連時代の70余年間、宗教が抹殺された間も日本のロシア正教会の鐘が絶えることなく鳴り響いていたのと同じことなのだ。ロシア正教が復活し、日本訪問が実現した時、アレクシー大司教はまず神田のニコライ堂を、次に皇居を、3番目に創業の地函館ハリストス正教会でミサをあげた。このようにロシアと日本は長い歴史を共有する隣国である。相互の発展のためには、かってニコライ神父が述べたように「愛と勇気と忍耐」が必要だと思う。新たなる親善協会の発展のため、今後も宜しくお願い申しあげます。

函館日ロ親善協会からのお知らせ
4~6月までの協会の主な活動実績

4月21日(水) 
◆ 役員会開催 
16年度定期総会議案について協議。
5月12日(金)
◆ 平成16年度定期総会開催
(函館国際ホテル)
15年度事業報告及び収支決算、
16年度事業計画及び収支予算案等について協議。
総会終了後、5月をもって在札幌ロシア連邦総領事館を離任するサプリン総領事夫妻をお招きし、今までの功績を称えると共に、今後の活躍を祈念し懇親会を開催。
6月8日(火)
◆ ユジノサハリンスク市公式訪問団を  迎え昼食交流会を開催(五島軒本店)
ラスプトニャク副市長を団長とする総勢5名の公式訪問団が来函。
当協会の主催で、倉崎会長以下7名の役員が出席し、昼食懇談会を開催。
懇談では、協会の歴史や活動内容等を説明、互いに質問が飛び交い、記念撮影を行うなど終始和やかな雰囲気の中、懇談を終えることができました。
最後に、ラスプトニャク副市長は、「今後も函館との交流をもっともっと深めていきたい」と挨拶し、一行は次の目的地へ向かいました。

≪係りから≫

「ミリオン・ズビョースト」40号をお届けします。今回は、特別寄稿として函館日ロ親善協会の若山直副会長より玉稿を頂戴いたしました。ありがとうございます。この「ミリオン・ズビョースト」は、函館日ロ親善協会の会報も兼ねておりますので、今後は、会員さんの声や事業内容の紹介などを載せていきたいと考えております。
また、学生の声も紹介させていただきました。協力ありがとうございます。
次号は10月発行の予定です。原稿の締め切りは9月21日です。皆さんからの投稿を待っています。よろしくお願いします。(小笠原)