No.2 1995.01"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

洋上の初日の出

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局長 河原 昭三

1995年元旦は快晴に恵まれ、雪を頂に麗峰富士がくっきりと、初春に相応しい姿を現しています。
いま、私は伊豆大島のチャート(海図)を前にして、若かりし頃の初春クルージングを想い出しています…。
慌しい出港準備も完了し、あとは船出を待つばかりとなった。食糧品・アルコール・清水の点検に忙しい食当(食事当番)の傍らで、天気図を解析している私に怪しい差し入れがあった。当時貴重品と言われたレミーマルタンであるから、ますます今回の初日の出クルージングが楽しいものになりそうな予感がする。毎年、私が顧問している慶応クルージングクラブOBの愛艇ブルーリボン号(全長8.4mヨール型クルーザーヨット)で、学生・OB共々年末年始を楽しむ洋上で、初日の出詣でのニューイヤークルージングを楽しむのが恒例の行事でした。
12月31日20:00、北の追風を受けて針路を南にとり、ホームポートヨコハマを後にする。東京湾口を過ぎ、外洋に出ると波も高まり、帆に受ける風も少し強くなるが、吾がブルーリボン号は伊豆大島に向けて快適な航海を続けている(針路SSW、風速9m/sec,NNE)。
1 月1日04:00、大島の北東9浬(カイリ)の沖合いに到達するが、06:10頃から少しずつ空が明るくなり始める。天気図の予想通り初日の出が拝めそうである。06:45、竜王埼E3浬沖にて、ややピンクがかったオレンジ色の太陽が少しずつ洋上に顔を現しはじめたその瞬間、人間の力の及ばぬ自然の造り出す光景に思わず手を合わせてしまう程の感動を覚えます。因みに日の出時の太陽は空気中に塵が少ないためピンクを加えた色ですが、日没時の太陽は空気の塵が多いため、オレンジに朱を加えた色になります。
ご来光を拝んだ後、歌で有名な大島・波浮港に入港、お神酒で乾杯、正月料理で船上新年会の宴が始まる。船乗りは酒好きが多いが、ヨットマンもご多聞に漏れず、呑み助が多いものです。そして、艇内で作る料理も意外と美味にして、やはりクルージング最大の楽しみは食べる、飲むである。そしてインスタント食品のない時代ですからすべて手作りとなるため、それぞれヨットの名物料理があって、時にはその料理につられて乗り組む若いクルーもいます。
翌2日も快晴に恵まれクルージング日和であったから、予定通り大島より更に21浬程南にある伊豆式根島にコンパスを合わせ、波浮港を出港する。南に下がるにつれ気温がやや高くなり、正月休みで漁船の影も見当たらず、デッキでビールを飲みながらの飲酒航海であるが、陸上では全く想像もつかないのんびりした正月を満喫しながら5時間後には式根島の野伏港に錨を下ろすことになりました。夕方、式根島名物の海水温泉(満潮になると良い湯温となる)で2日間の航海の疲れをほぐした後、船内で貴重品のレミーマルタンの封を切る。酒の肴にはご当地名産の“くさやの干物”と知人の漁師のオヤジさんから戴いたしまあじの刺身、伊勢えびの浜辺焼に舌鼓をうちながら話に花を咲かせ、夜の更けるのも忘れ飲み続けてしまいましたが、不思議と海の上で飲むお酒に二日酔いはありませんでした。
艇の揺れで目を覚まし海を見ると、昨日より風がやや強く、したがって波も立ちはじめました。昨夜22:00の漁業気象では四国沖に発生した低気圧が北東に進んでいることを確認したので多分その影響ではないかと思われ、低気圧の通過を待つか、その前に東京湾内に入るため予定より1日早めて帰港するか相談の結果後者を択び、3日08:00抜錨帰港の途につく。やはり予想通りNWの風が徐々に強まり、14:00頃大島と三浦半島の中間点では風速15m /sec,NW.波高4mと完全な時化になってしまった。大事をとって早目にジプセール(前帆)をスムーズに替え、メインセール(主帆)をリーフ(縮帆)し、ミズンセール(後帆)はそのままでクローズホールドで極度のヒール(傾斜)を避けながら、ひたすら東京湾口に向けて走り続ける。合羽を通して下から波を受けるため全身ずぶ濡れとなり、往路のノンビリ航海と異なり復路は風と波との格闘でしたが、やっとの思いで19:00に東京湾口に無事辿り着くことが出来ました。3日24:00母港ヨコハマに係留し、整理をすませ、みんなで乾杯と今回のクルージングの反省会を開く。このクルージングで我々は、人間は何かの機会に想像の出来ない感動を受けることは多々ありますが、人間は大自然の営みの中で生かされていることを思い知らされ、そして大自然は人間に対し決して妥協はしないが、時には優しく接し、その原点を教えてくれます。
学ぶこともまた自然と同様、妥協を許さぬ厳しい面と、努力に報いる優しい面のあることを忘れてはならないと思います。
あれほど厳しい目にあった海ですが、日が経つにつれて再び海に出たくなる若かりし頃の洋上での正月を断片的に思い出し、私の青春時代のヒトコマを紹介させていただきました。
“学生並びに教職員一同の1995年における安全にして幸運なる航海を祈ります。”