No.21 1999.10"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ロシア語と出会って

ロシア極東国立総合大学函館校 図書係 吉崎 侑

朝、図書室の前の廊下を大柄なロシア人の先生方が堂々と歩いて行かれます。部屋の中の私に気付かれると必ずどなたも「ドーブラエウートラ(おはようございます)」とか「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)」ととびきりの笑顔で声をかけてくださいます。
ここに勤めて一年半以上経った今でも、その瞬間私はついドギマギして「おはようございます。」と言ってしまっては「しまった!」と後悔します。「私もロシア語で言うんだった。よし、明日こそはズドラーストヴィチェと返そう。そうだ、カークヂェラ(ご機嫌いかが?)もつけて言ってみよう。」と決心してはみるものの、そんな次の日に限ってドアが閉まったままだったり、先生方同士のお話が盛り上がっていて、私との出会いはないまま行き過ぎてしまわれるのですから運命は私に親切ではない様です。
ここロシア大学の図書室に勤めさせていただいて、初めて知ったロシア語の何とも言えない美しい響き。英語以外の外国語を身近に聞くというドキドキするような体験と共に初めて目にした三十三もあるロシア文字の何という不思議な形。私は勤めはじめて何日も経たぬうちにロシア語に何となく魅せられてしまいました。
ロシア語の原書の題名や著者名をリストアップするのも私の仕事と知った私は、これはチャンス!とばかりに迷いもせずロシア語市民講座入門コースにチャレンジしたのですから、かなりのおっちょこちょいと言われても仕方のないことです。しかも心密かに、半年もしたら少しロシア語が話せるかも等と甘い考えを持っていたのですから。しかし、そこは「身の程知らず」の言葉を痛感するハメに。還暦を過ぎた脳細胞に暗記力と記憶力は残り少ないこと位、一寸考えるだけで判ろうというものです。その上、高齢の両親の介護という重い現実が待っていて、入門コースは半年で挫折の憂き目に会いました。
教員時代、子供達にはいつも「頑張ることが大切。頑張れば必ず良い結果があらわれる。」と励ました私でしたが、頑張るだけでは駄目なこともあるんだということをいやという程知りました。
けれど、半年間とても楽しく教えてくださったバランスカヤ先生のお陰で、不思議な形のアルファベットはかろうじて読んだり書いたりできるようになりました。ただ、どんなに読んでみても書いてみても、その単語が一体どんな意味の言葉なのか殆ど判らないのはとっても哀しいものです。時折和露辞典は紐解きますが、今いちもどかしいばかりです。
という様なわけで、私のロシア語の学力は今もって、幾つかの単語と簡単な挨拶程度にとどまっています。
しかし、ロシアの本の著者名に、トルストイ、ドストエフスキー、プーシキン、ゴーゴリ等読めた時、私は何故か直接それらの偉大な作家に会えたような不思議な感動を覚えます。わけはよく判りませんが、多分それらの作家が実際に書いた文字を読めたという感動なのでしょう。そんなわけで私は図書室で過ごせる時間をとても大切に思っているのです。そして、ロシア語で書かれた作品の一冊でも、そのまま読んでみたいという途方もない夢もちょっぴり持つことがありますが、私の年齢では永劫叶う筈もない事が残念でなりません。

寄稿

『ムミー・トローリー』函館の1週間
ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 山名 康恵

「ムミー・トローリ」が函館を去ったと同時に夏が終わり、函館はすでに秋を迎え、新しい活動に動き出している。肌寒い風が吹く中、雨が冷たく変わっていく中、心のどこかで暖かなメロディーが聴こえてきそうだ。
ロシアのトップスターであるロックグループ「ムミー・トローリ」が、先日初来日し、極東大学函館校5周年記念のイベントをかねて「日ロック」コンサートが金森ホールで開催された。13日の歓迎会を皮切りに、「ムミー1週間」が始まった。14日は「宇宙塵」でのライブ。ここはロシアかぁ?と思えるほどの盛り上がり。ライブ後は「ムミー・トローリ」とおでん?!を食べるという賑いがあった。「日ロック」コンサート前日の15日には、極東大学函館校に来校し、リハーサルを行った。リハーサルの合間でも彼らは親しく私たちに接してくれていた。ボーカルのラグテンコ・イリヤはウラジオストク出身であり、極東大学とのつながりは今回の来日に大きく関係している。
16日、「ムミー・トローリ」日本初のコンサート。ロシアのロックが函館の街で、そして私達の極東大学で、人を熱く酔わせた。これまで、これほどまでも函館が熱くなり、学校を学生を熱くしたものがあるだろうか。ふと、そう思いもしながら…、「ムミー・トローリ」はコンサート会場の全てを一人占めしていた。人を惹きつける無限の力に彼らの才能の一面を見出せずにはいられない。彼らの音楽と彼らの人柄に、誰しもが身近に感じ取れたことは確かだと思う。ロシアにいてさえ会うチャンスがない人々がいる。「ムミー・トローリ」、そう、彼らに私達は出会うことが出来た。それはロシアでもなくウラジオストクでもなく、ここ函館での一頁…。「ムミー・トローリ」、彼らとの時間はほんの数日間…。学生とのさまざまな交流の中、見せてくれた彼らの笑顔は、また何時の日か会えることを約束してくれているかのようだ。
そして、再会の期待と同じように、函館校出身のバンドとして「アチケーエフ」の今後の活躍を期待する。「ムミー・トローリ」に出会ったあとすぐに留学へ旅立った彼らは、ウラジオストクでまた大きく飛躍して函館に帰ってくることだろう。
音楽というものは言葉を超えて人の心に伝わる。ウラジオストクの人々が、ロシアの人々が、函館の人々が、極東大学の人々が、函館校の人々が、そして自分自身の心が「ムミー・トローリ」の音楽を通して一つになれる。そんな思いは、「ムミー・トローリ」に解け合っているときの今回の活動の実現を通して見えてきている。
「ムミー・トローリ」の来日に関わった数多くの人々の力に、そして「ムミー・トローリ」のメンバー一人一人に、ありがとうと心から…。