No.25 2000.10"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

がんばりましょう

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大渡 涼子

7月より、経理担当として事務局の一員となりました。ロシアとはあまりかかわりのない生活をし、ロシア語も全く話せない私ですが、この学校とは少しばかり縁があり、ここで働くことになりました。よろしくお願いいたします。
私は学校で仕事をするのは初めてのことで、それに加えて日本人よりロシア人の方が多い職員室には最初、大変戸惑いました。何よりまず、先生方のお名前を覚えるのに一苦労でした。
そんな私を案じてか、極東大に就職することになった時、前の職場の人達から最も多くかけられた言葉、それは「がんばれよ」、「がんばってね」、という励ましの言葉でした。それはもう、多くの人にこの言葉をいただきました。
けれど不遜なことに、あまりにたくさんの人から言われると、ありがたみもなくなるもので、私もつい、「はい、がんばります!」などと調子よく答えてしまい、この言葉は意味の伴わない、ただの挨拶となってしまったのです。
そんな中でただひとり、私に「あまりがんばり過ぎないように」という言葉をかけてくれた人がおり、実はこの人の言葉が、一番心に残ったのです。
そこで感じたのが、この「がんばれ」という言葉は非常に便利な言葉であるだけに、多用するものではないということです。相手に何か言葉をかけたい、けど、さほど踏み込んだことを言う必要もない、そんな時にこの「がんばれ」という言葉は大変都合がよいのです。
軽い気持ちで言っているのに、それなりに聞こえてしまう、だから簡単に使ってしまう。もっと心を込めて使わなければ、言葉の意味は薄れていくのだとあらためて思いました。
言葉を学んでいる学生のみなさんには、私の考えていることが少しは理解していただけるでしょうか。
そして、そんなことも含めて、私が今思うこと。
みんなでこの学校の発展のために「がんばりましょう!」

留学同行記

ウラジオストク・ショートステイ・インプレッションズ
鳥飼やよい助教授

9月18日からの3泊4日のウラジオストク・ショートステイ・カマンディロフカを終えて函館に帰った。
ここを初めて訪れたのは1995年夏。函館校第1期生18名の1ヶ月留学を引率して行った時のこと。ソ連崩壊後4年目とはいえ一般の日本人が当時のロシア、ことにウラジオへ行くのは珍しかった頃。第1期生の第1回留学のこととて、学生に配った生活マニュアルは護身術マニュアルと化し、ナマ水は口にしない、昼間でも一人歩きは避けろ、税関では注意しろ等々。これを読んで旅の準備をしていた学生達はさぞかし武者震いしたに違いない。
ところで、この時の私のウラジオの印象はなぜかぼんやりしている。前評判に毒されたウラジオの醸し出すオーラに、着いた時からすでに絡めとられていたか。本当のところどうだったんだろう、あの時のウラジオは…?
そして数年が経つ。雰囲気が徐々に変わる。そして違和感が忍び込む。
思えばウラジオ留学も1995年の第1期生から回を重ねることはや8回。学生をロシアに送り出すことがもはやルーティンと化した事務局の対応は随分と手馴れている。またロシアに旅立つ学生も帰ってくる学生も、どこの何がおいしいだの、どこの店が安いだの妙に屈託なげ。そんな楽しげな学生や事務局の様子に一人違和感を覚え続けていたのが私だ。5年前のウラジオ体験が私を呪縛している。ロシアって、ウラジオってそんな軽々としたものなの?と。
そして2000年9月、ウラジオに立つ。
ウラジオは確かに変わっていた。店員の愛想のよさをいちいち珍しがる必要はもうない。空港から街に向かう幹線道路にはドライブインやガソリンスタンド、外国製品の英語の看板が並ぶ。車道にはこぎれいな外国車が走り、街を歩けばカフェが軒を並べ、スーパーの陳列棚の商品はベリー・インターナショナル。お金を支払ってクビタンツィアを貰い、また列に並びなおして商品を受け取る形態も鳴りを潜め、直接支払い制がはばを利かす。
ロシアが確かに柔和だ。ウラジオが随分簡単になった。これは本当だった。ウラジオの呪縛は消えた。同時に違和感のわけも分かった。なるほど、これなら今どきの学生、ソ連時代を今と比較しようにもできない若い世代の学生にとっては、今のウラジオはひょいと隣の国にでも来たような(確かに隣には違いないが…)気になるのも無理はない。変に構えていた私のほうが変な奴だったのだ。
だがしかし、モダーンなガソリンスタンドの建つその横には、自家製牛乳を売るおばちゃん達が日がな一日立ち、アメリカンなカフェの横には昔ながらの立ち食いチェブレーキの売店が並び、立ち食いびとが闊歩する。インターナショナルなスーパーの前ではロシアお得意のよろず屋キオスクが商売繁盛。通りには5年前と同じ恐怖の幅寄せ車や、割り込み車、二重駐車や蛇行車が。そしてそれら無法運転に負けじと立ち向かう歩行者であふれ返る歩道と横断歩道。大学寮裏の海岸通りには、5年前と同じ場所に、5年前と同じ直径50センチの大穴が口を開けている。郵便局では、列の前方で割り込みのことで声を上げ、ののしり合う老婆と若い娘がいると思えば、後ろには私を外国人と見て、頼みもしないのに肩越しに小包の伝票の書き方を教えてくれようとするお節介好きな中年女性がいる。
ソ連とロシア、過去と未来、善と悪を全て抱き取りその全てをのみ込もうとする今のウラジオ。なんともごたごたと人間臭くも力強い街。この街では誰もが自分の命は自分で守る。老いも若きも強きも弱きも男も女も。2度の体験を経て今のウラジオが立体的に見えてきた。
さて、3年生の吉崎花野子さんはこれから12月までの3ヶ月にわたり、生まれて初めての一人暮らしをロシアで経験しようとしている。ロシアは自分で自分の身を守る国であると同時に深い深い包容力を持つ国。車椅子で行く花野子さんは、ウラジオで多分いいことと悪いことの両方を経験することになる。でも「悪しき安全第一主義国・日本」ではなかなかできない経験に違いない。どんな経験も人生の肥やしとなる。是非ウラジオ3ヶ月留学を全うしてもらいたい。
また、これから初めてロシアに行こうとする学生や職員の皆さん。私の言うことを信じないで、今自分の抱いているロシアに対する愛情なり疑問なり違和感なり勘違いなりをそのまま持っていって、ウラジオを実際に見て経験して自分なりの結論を出してね。いろいろと面白い街であることには違いないのだから。

人事

コルビナ先生が帰国
7月21日付でコルビナ・リュドミーラ先生が退職しました。コルビナ先生は平成10年4月から本校の教壇に立ち、熱心な授業が好評でした。先生は古巣の極東国立総合大学で東洋大学日本語学部の副学部長に戻ったので、ウラジオストクへ行けばお会いできます。
また事務局の山名康恵さんが7月20日付で退職し、替わって大渡涼子さんが7月21日付で本校職員として採用されました。山名さんは故郷・旭川へ。

ロシアまつり

11月11日に第3回開催
恒例の「はこだてロシアまつり」は今年で3回目。11月11日(土曜日)に予定されています。学生と教職員が協力して組織する実行委員会は9月28日に初会合を開き、今回実施するイベントの概要や役割分担などを決めたほか、これから毎週1回は各部門の代表者が集まり、細かい点を煮詰めながら準備を進めることにしました。
ちょうどこの頃、本校に留学して日本語を学んでいるウラジオストク本学の学生にも、祭りに参加して楽しんでもらいます。
 今回は、「ステージ」「ロシア料理レストラン」「写真展」「バザール」「ロシア語講座」を行います。
ステージでは、民族衣装を身に着けてのロシア民謡合唱や踊りの披露をはじめ、学生バンド「Очкеев」の演奏やクイズなどを予定しています。
ロシア料理レストランは今回、学生食堂を「雪原をひた走るシベリア鉄道の食堂車」に見立ててテーブルなどを飾り付け、BGMにも曲の間に列車の音を取り込んでムードを盛りあげます。メニューはボルシチ、ペリメニ、シャシュリクなど。
写真展も一工夫。春にウラジオストクへ留学した人たちが中心となり、心にも焼き付いている留学中のスナップやお土産、現地の資料、記念品などを、本人の解説付きで紹介するプランが練られています。
バザーも例年、さまざまな珍品、逸品が並ぶので、今年もどんな掘り出し物が出てくるのか楽しみです。
ただ昨年の反省から、出店は開かないことになりました。

留学生

今回は男性4人女性2人
10月30日にウラジオストクの極東国立総合大学から、次の6人の留学生がやってきます。
 Макарова Екатерина Владимировна(18)
 Федорова Алена Вениаминовна(19)
 Подакин Руслан Евгеньевич(18)
 Дронов Олег Валерьевич(19)
 Рыбка Роман Александрович(19)
 Ерастов Константин Александрович(19)
6人はいずれも東洋大学日本語科の3-4年生で、極東大学の学内選考を経て、留学生支援実行委員会の援助のもとに来日し、11月25日に函館をたつまでの間、本校で日本文化や日本語の研修を行うほか、市民の家庭でホームステイも経験します。学生の皆さんは積極的に話し掛け、友達になってください。ウラジオストクへ留学した時は頼りになるはずです。

留学説明会

12月5日に第1回説明会
来春、ウラジオストクへ留学するロシア語科1年生を対象とした第1回留学実習説明会を12月5日(火曜日)に開きます。
留学手続きを進めるため、パスポートを持っていない学生は必ず、平成13年1月末までに取得しておいてください。発給されるまでには申請から約2週間かかるので、申請は早めに。
パスポートは住民票を置いてある都道府県が発給しますが、函館で取得する場合は渡島支庁総務課(函館市美原4丁目6番16号、℡0138-47-9000)に窓口があります。
申請用紙は本校事務局にも用意してあります。

就職

依然、厳しい状況が続く
今年は好転するかに見えた就職戦線ですが、依然として厳しい状況が続いており、ロシア語科、ロシア言語文学科とも卒業予定者は苦戦を強いられています。事務局でも情報収集に努めていますが、さほど実効は上がっていないのが実情です。
ロシア金融危機に伴う日本企業の現地撤退と、大手企業のリストラによってロシア担当者を含む中高年が労働市場んいあふれていることが、新卒者の就職を圧迫しているという分析もあります。
しかし、日ロ双方の経済状況好転に伴い、さまざまな分野で急速に、日ロをつなぐ企業活動や交流が新たに生まれていることも事実です。

講演会

サプリン総領事が講演
函館市とユジノサハリンスク市の姉妹都市提携3周年を記念したサプリン・ワシーリー駐札幌ロシア連邦総領事の講演会「日ロ交流の発展をめざして」が9月27日、函館市若松町の北洋ビルで開かれ、市民ら約60人がロシアの現状などについて耳を傾けました。
サプリン総領事は、現在のロシアではプーチン大統領を代表とする「新世代」の政治家が、「強いロシア復活」のために、社会主義時代の良い面は継承しながら市場経済・民主主義に移行しようと、議会制度や税制改革など国家機構の整備を進める一方、西はヨーロッパ、南はイスラム諸国、東はアジアと接する「ユーラジア大国」として、積極的で多面的な外交政策を展開していると説明。
さらにプーチン大統領がアジア政策の中で、いかに日本を大事と考えているかは2度の訪日に表れているとし、「北方領土問題については、日ロ両国でクラスノヤルスク合意の解釈が異なり、解決へのアプローチの論理が間違っていた。歴史的には、双方に被害者と加害者という両面がある。ともに協力して解決するよう方法論を変えるべき」としたうえで、エネルギー開発やアジアとヨーロッパを結ぶ輸送路整備など、両国が協力する分野は多い-と強調していました。

短信

ロシア人墓地を整備
懸案だったロシア人墓地の整備が進んでいます。プーチン大統領の訪日を機に、ロシア外務省が日本国内に所在する墓地などの改修費を予算付けして実現しました。
墓地内には日本人のロシア正教徒も眠っていますが、ロシア人の墓について、傾いている墓石を起こしたり、傷んだ台座を修復したほか、各墓石に刻まれた碑文を写したステンレス製のプレートを立てました。
中央部にあるシュウエツ家の大きな墓堂は、まず教職員が協力してセメントで外壁の損傷を直したあと、入り口にドアを取り付け、天窓にもプラスチック板をはめ込んで、白いペンキで化粧直しをしました。
墓地の外周に巡らせてある鉄柵、鉄扉も新しくなり、参道には砂利を敷き直したほか、沿道には四季の花が咲き乱れる花壇も設けました。

本校に日ロ親善協会事務局
函館日ロ親善協会の事務局が、これまで置かれていた函館商工会議所から本校に移りました。
同協会は1989年6月、旧ソ連末期のゴルバチョフ政権が行ったペレストロイカとグラスノスチという政策転換を踏まえ、市内150社が参加して函館日ソ親善協会として発足。ウラジオストク、ユジノサハリンスク両市を中心とするロシアと函館市の交流を支えてきました。
会長は、学校法人函館国際学園監事の倉崎六利さん(真鉄工業社長)。今年の活動は、チャーター便「ウラジオストク市創建140周年記念友好親善の翼」への参画や、函館ハーフマラソンに参加したウラジオ、ユジノの選手歓迎会などを開催したほか、サプリン総領事の函館講演会も本校と親善協会が共催しました。
現在、新入会員を募集しています。年会費は個人3,000円以上、法人10,000円以上。問い合わせ、入会申し込みは本校事務局へどうぞ。

≪係りより≫

学報「ミリオン・ズビョースト」を担当してこれで2回目。今回は大渡さんの巻頭エッセイに加えて、鳥飼先生の留学同行記も掲載しました。
学生の皆さんも、載せてほしい記事があったら、遠慮なく申し出てください。
インターネットのホームページはまだまだ手を加える余地がありますが、デルカーチ先生が現在、大幅に変更するプランを練っています。乞うご期待。(宮永)