No.8 1996.07"Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

Хотите‐верьте, хотите‐нет 信じようが信じまいが…

ロシア極東国立総合大学函館校 教授 フジヤートフ・タギール

H.私はよくここの学生に「あなたは家で勉強してないですね。あなたはいつも宿題を忘れますね。あなたは…」と言ってしまうの。私の娘だったら「うんざりよ」と言うでしょうね。こういう類のことを月並みな言い方で毎度毎度繰り返しちゃいけないということはわかっているのだけど。でもこれが、私達教師の職業病なのよね。どうあるべきなのかしら。どうしたら可愛いけど聞き分けのない学生達を説得できるのかしら。

T.もっと柔軟にずる賢く立ち回ってみたら?良いお手本で引きつけるのさ。

H.どうやって?

T.例えばウラジオストク本学での君の学生がどういうふうに学んでいるかをそれとなく話すんだよ。もちろん本物ではなくて理想的な学生像をね。きっと信じるよ。

H.うまくいくとは思えないわ。私は正直で情にもろい人間なのよ。プロが必要よ。やってみせてちょうだい。

T.詐欺師のようにこう言えるよ(教師はこうでなくては!)。極東大学東洋学部の学生は私の長い教育歴の中で見る最も優秀な学生です、とね。まず最初に彼らは恐ろしい入学試験を突破しなければならない。昔の悪しき時代にはこの上に党とKGBの審査が加わったものだが、今は高額の授業料だ。第二に彼らは修学の最初から自分達が特殊であると感じる。日本語、中国語、或いは韓国語を習っていることを自慢するような者が多くいるだろうか。第三に彼らはすぐに一人立ちして“世の中”へと出ていく。つまり働き始めるのだ。しかも将来の専門、つまり通訳としてだ。2、3年生の学生が授業をほったらかして「お客様との仕事なんです」と弁解するのには頭にきたものだが、後になってみて、これはむしろ良いことではないかと思ったよ。学生がこういう生活に浸るのがより早く、より深ければ、それだけ早く専門家と呼べるようになるからだ。証言するけど4年生ではすでに、語学を知っている上司が恥をかかないために黙り込んでしまうような高いレベルで仕事をしていた学生も知っているよ。

H.それに私たちの大学では日本語も並行して覚えてしまう中国語専門の学生もいるわね。そしてその後日本語通訳として働いたり。そういえばこの間、新潟空港で日本での仕事から帰る途中の教え子二人(中国語科)に出くわしたわ。

T.僕の意見を続けるけど、東洋学部の学生の早い成長を促しているのは、学習課程が毎日頭を働かせなきゃならないような緊張の連続だからとも言えるんじゃないかな。語学の授業(日本語-週12~14時間、英語-週6時間)のことを言ってるんじゃないんだ。実際、1年生でさえ毎教科につきレポートを書く必要があるだろう(娘は1年生だが、レポートを4、5部、あわせて60~70ページ分書いた)。2、3年生や4年生に至っては各主要科目につき更にコースワークとして30枚ほど書かなくちゃいけない。それから、60~80枚の卒業論文だ。しかも、この論文は基本的に自分自身の翻訳をもとに作り上げられる。

H.そうね、例えば私は中国の詩人の作品について卒論を書いたけど、その作品はロシアでは全然知られていないし、ロシア語に訳されたものもなかったから全て自分でやらなくちゃいけなかったわ。で、今は自分の学生達に全く知られていない作品を訳させているの。やってみて下さい。志を高く持って、自分自身の「Я(私)」を見せて下さい、とね。

T.当然宿題も毎日課せられるね。もちろんそれをやらなかったり、コースワークや卒論作成に励まないということもあり得るだろうが、これはもう各自の目標と野心にかかっていることだ。もし、コースワークが書かれなければ、大学はただその学生を除籍しておしまい、ということだってある。野心に関して言えば、東洋学部生はこの点では決して控えめ過ぎるということはないね。僕の見たところ、自分の前に置く目標を高くするほど、人生でより多くのものを得られると感じるよ。

H.ずいぶん厳しいことを言うのね。学習する上で重要なのは闘争心や情熱や野心だと思っているわけ?

T.大方はそうだよ。それがなきゃやっていけないよ。僕を言い負かしてみるかい?

H.そういうつもりじゃないのよ。ただ言いたかったのは東洋学部生が仕事や勉強一本やりで生きてるわけじゃないってこと。去年の東洋学部生の催し(当然学生自身が準備する)には大学全体が集まったけど、とても面白かったわ。

T.そう、いつもそうだったね。僕達が学生の頃どんな出し物をしたか覚えているかい?教師達と一緒に唄ったり、劇を演じたり、ジョークを飛ばしたり…。

H.さすがあなたはプロね!これだけ並べ立てればすぐに信じてくれるでしょうよ。

T.信じてくれようがくれまいが、今度同じようなことを書くときにはもう、僕が今ここで教えている学生のこととして書くだろうと確信しているよ。彼らが劣っているはずはないさ。