極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

米原万里の朝食

 昨年秋、山形県川西町にある「遅筆堂文庫」という図書館の方からお電話をいただいた。念のため申し上げると、遅筆堂とは直木賞作家・井上ひさし氏のことであり、井上氏の夫人は米原万里さんの実妹、井上ユリさんである。米原万里展を開催するにあたり、資料を集めているが、米原さんが函館で講演したときの新聞記事があったら送ってほしい、ということであったので、早速お送りした。
 米原万里さんが亡くなって、もうすぐ3年になる。米原万里は言わずと知れた、ロシア語界のスーパー・スターである。私は、その米原さんと朝ごはんをご一緒したことがある。これは相当な自慢である。ロシア語を学ぶ函館校の学生には、米原さんのファンが多い。米原さんのお話を聞きたい、是非学生に聞かせたい、という思いから、様々な方の協力を得て、2002年11月6日、函館での講演会が実現した。
 米原さんは、鎌倉の自宅から寝台列車に乗って函館にやってきた。早朝6時半に着いた北斗星の駅のホームまで、事務局数人でお迎えに上がった。当時、週刊文春で書評コーナーを担当していた米原さんは、南京大虐殺について書かれた本を取り上げたために脅迫を受け、飛行機に乗るのが怖いのでJRで行きます、とのことであったのだ。
 列車を降りた米原さんはすぐに公衆電話で、鎌倉の自宅に連絡をとった。お母さんと猫たちの様子を心配してのことだ。愛情深い人柄が垣間見えた。
 その足で朝市の食堂に移動し、みんなで朝ごはんを食べた。米原さんが食べたのは、確か銀だら定食だったと記憶している。そして、函館に来たのだから、是非イカ刺しを召し上がってください!とすすめたところ、どれもおいしいと言って食べてくださった。
 講演会は「ロシア人に学ぶ小咄の作り方」というテーマで、金森ホールを会場に約250人の聴衆を集めて行われた。正直、ロシア語を学ぶ学生たちに聞かせるためには、通訳の作法や裏話などを話してほしいと思っていたので少し残念に思ったが、その講演でお話された内容が後日、集英社新書「必笑小咄のテクニック」と題して出版されたことを思えば、当時最も興味があったテーマを先んじてお話くださったのだと思う。
 
 その頃は「オリガ・モリソヴナの反語法」を上梓したばかりだったので、私はそれを2冊携え、楽屋でサインをしていただいた。1冊は大学の図書館のもの、もう1冊は自分のために。そして私も以前猫を飼っていたことなどをほんの少しお話しした。イリイン校長が挨拶をしたとき、「あら、イリインさんというのはロシア人にしては言いやすいお名前ですねえ」と、あのゆっくりとした口調で言ったのが、とても印象に残った。
 講演を終えた米原さんは、函館校に寄ってくれた。そして玄関前で、学生や教職員、ちょうどロシアから来ていた留学生と一緒に記念撮影をして、そのまままたJRで鎌倉に帰っていった。戻ってすぐ、今度は松山に講演に行くという。「さすがに四国には、飛行機で行こうと思うんです」と言い残して。
 昨年暮れになって、遅筆堂文庫から図録「米原万里展『ロシア語通訳から作家へ』」が届いた。井上ユリさんが企画・構成・編集をしたこの図録は、米原さんの仕事、そして人生が凝縮された素晴らしいものだった。それにしても、米原万里の仕事を振り返り見るにつけ、本当に惜しい人を失くしたと、心から思う。

ロシア極東国立総合大学函館校 事務局 大 渡 涼 子