極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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歌手 アーラ・プガチョワについて

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第2回目の講話内容です。
テーマ:歌手 アーラ・プガチョワについて
講 師:イリイナ・タチヤーナ(准教授)

皆さんは、アーラ・プガチョワをご存知ですか?
知らない人が多いようですが、それでは『百万本のバラ』という歌はどうですか?
こちらは知っている人が多いみたいですね。日本人の歌手、加藤登紀子さんが日本語で歌っていますね。有名な歌かと思いますが、元はロシアの歌です。『百万本のバラ』のロシア語原曲を歌っているのが、アーラ・プガチョワです。
1987年に東京に加藤登紀子はアーラ・プガチョワを招待しました。まずこのコンサートの様子の動画をご覧いただきましょう。

『百万本のバラ』1987年

アーラ・プガチョワは、ソ連時代から活躍する歌手で、ある年のロシア国内の有名人人気ランキングでは、1位プーチン、2位メドベージェフ、3位が彼女でした。1位の年もありました。それ位いつの時代も人気がある人物です。
彼女のレパートリーは500曲以上あります。彼女自身の名義の曲は、約100曲。そのすべての曲が素晴らしいです。今でも人気のあるソ連時代の曲を一つ紹介しましょう。
曲名は『айсберг(アイスヴェルグ)』、「氷山」という意味です。歌の内容は、「あなたはとても冷たいです。氷山のようです。あなたが何を考えているかわかりません」というものです。

『айсберг(アイスヴェルグ)』

彼女の声は、力強く、しかし時に繊細で、歌を歌っているときのパフォーマンスも素晴らしいものでした。
彼女がいつ有名になったかというと、ブルガリアで開催された国際歌謡コンクールで優勝したからです。そしてその年1975年に発表した『Арлекино(アルレキーノ)』、「ピエロ」という意味の曲です。この歌を歌って彼女は一躍人気スター歌手となりました。

『Арлекино(アルレキーノ)』

プガチョワが、歌が上手な理由は元々の才能もありますが、母親の英才教育の賜物でもあります。彼女は子どもの頃、毎日3時間ピアノの練習をさせられました。母親は彼女が7才の時、音楽学校に入学させました。当時の子どもが通う音楽学校は、大変厳しい教育プログラムでしたが、親には人気があり、私の両親も私を音楽学校に通わせました。けれど、プガチョワと違って私は1年で辞めました。本当に辛く、大変だったからです。それをプガチョワは、7年間通いました。ちゃんと卒業しました。その後、更に上の音楽学校に進学、そして音楽大学を卒業しました。

プライベートで彼女は5回結婚しています。最初の夫との間に生まれた娘は、クリスティーナと言います。彼女も現在歌手として活動しています。2番目、3番目は有名な人物ではありませんが、4番目の夫は、『歌のキング』と呼ばれている人で、18歳年下の人でした。5番目である現在の夫とは2011年に結婚しました。彼は27歳年下のマキシム・ガルキンという人物です。
彼の職業は、スタンダップコメディアンです。ステージやテレビ番組で披露するジョークは、政治も話題にします。しかし、この1、2年の間に彼のジョークは笑えないものになってしまいました。笑っていないのはほとんどが政治家です。
昨年、彼は、海外のエージェントを使って、イスラエルに引っ越しました。
これを彼女も支持し、一緒にイスラエルに行き、今はそこで、生活しています。
2人の間には、代理母出産で生まれた双子の子どもたちもいます。彼らもともにロシアを離れて生活しています。