今日のウラジオストク
一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」今年度第2回目の講話内容です。
テーマ:今日のウラジオストク
講 師:イリイナ・タチヤーナ(准教授)
私はロシア・沿海州の北のほう、ダリネゴルスクで生まれ、大学に入るためにウラジオストクに来ました。ウラジオストクには私たちの大学「極東連邦総合大学」があります。
街のメインストリートは金角湾と並行に走るスヴェトランスカヤ通りで、両側にグム百貨店やレストラン、大きな美しい建物が並んでいます。昔は貴族の家が並び、レーニンスカヤ通りと呼ばれていました。その頃のグム百貨店には何でも売っていました。小さな針から生きた虎まで!
革命家のレーニンの像が今もウラジオストクにはあります。ロシアではもうほとんどレーニン像は無くなったけれど、ウラジオには残っています。1917年にロシア革命があったけれど、ウラジオはモスクワから遠いので、1922年まで革命は来なかった。プーシキンの像もあります。プーシキンは一番尊敬される詩人で“私たちロシア人のすべて”です。
ウラジオストク駅舎はモスクワのヤロスラヴスキー駅をモデルにしています。シベリア鉄道が始まるところで、ホームにはモスクワから9,288キロメートルという標識があります。ウラジオからモスクワまで列車で一週間かかります。
2012年に大きな国際会議(APEC首脳会議)が開催され、プーチン大統領の命令で二つの大きな橋が架けられました。一つは金角湾を渡る黄金橋、もう一つは私たちの大学のキャンパスがあるルースキー島と繋ぐルースキー橋。会議のために作られた施設は私たちの大学のキャンパスになり、ホテルは寄宿舎になりました。ルースキー島には大きな水族館もできました。
1860年にロシア人がここに街を作り始めた。それまでは何もないところでした。海から近づいた時に、ここはトルコのイスタンブールの金角湾に似ているということで、その名が付きました。
ウラジオには昔多くの日本人が住んでいました。今でも日本人が作った建物がが残されていて、外に階段が付いた建物は日本人が作ったものです。ロシアにはこのような建物はない。
昔から日本人はたくさん住んでいて、いろいろな商売をしていました。その頃の日本人の姿を絵はがきで見てみましょう。
* 2本のビデオと古い絵はがきを見せながら解説しました。
