極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
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ロシアの廃墟について

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」今年度第5回目の講話内容です。

テーマ:ロシアの廃墟について

講 師:イリイン・ロマン(准教授)

子どものころ、ウラジオストクから40~50㎞離れた場所に、ピオネールキャンプをする施設がありました。そこは今、廃墟になっていて、当時の様子がわかるものが残されています。たとえばソ連時代に子どもたちがベトナムの子どもたちと文通していた手紙など。

私の家から400~500mの近所には軍事基地があって、10歳だった1988年ごろ、コンクリートの穴からこっそり中に入り込んで塀の上に昇り、煙突の匂いを嗅いで、何の料理を作っているか想像するのが好きでした。

その軍事基地は建設部隊だったので戦車などの兵器はなく、14歳の時に基地が廃止になって自由に入れるようになりました。

このような廃墟探検の趣味とは?廃墟の中では時間があいまいになり、過去にいるような感覚になります。廃墟探検は哲学的な体験です。

廃墟探検は大きく二つに分けられます。一つ目は工業施設を訪れるもので、「インダストリアルな廃墟探検」といいます。二つ目は人間の日常生活に関連するもので、廃墟となったアパート、教会、学校、病院、さらにはゴーストタウンが対象となります。

ネットで検索すると、ロシアの廃墟探検する動画がたくさんあります。

探検者には4つのルールがあります。破壊行為をしない、火気を使わない、物品を持ち帰らない、秘密を守る(場所を公開しない)。

日本の廃墟はほとんどが立ち入り禁止になっていますが、ロシアでは規制されていません。

ソ連時代には極寒の地にも人が住んでいました。なぜかというと街に住むより給料がよかったからです。例えば炭鉱の街であったマガダン州カディクチャン、軍の街であったクラスノヤルスク州アリケリなど。

寒いので人々は一軒家ではなく大規模な集合住宅に暮らし、車が凍らないように一晩中エンジンを動かしていました。軍人なら、そのための燃料代も国から出ていました。ソ連が崩壊すると、人々はお金をもらえなくなり、もっと住みやすい地域に移動して、街が廃墟になりました。

ロシアは国土が広いので、新しい建物を建てるために廃墟を取り壊す必要はありません。取り壊し費用がかかるので、廃墟は廃墟のまま残ります。

今回は、ロシアにあるいくつかの興味深い廃墟を紹介します。

※ ロシアのサイトで廃墟探検の写真や動画を見ました。