極東の窓

ロシア極東連邦総合大学函館校がお送りする極東情報満載のページ。
函館から、ウラジオストクから、様々な書き手がお届けします。

ロシアの小中高一貫校

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第5回目の講話内容です。
テーマ:「ロシアの小中高一貫校」
講 師:イリイン・ロマン(本校講師)
今日は私の子どもの頃の話をしたいと思います。私が生まれたのは1978年、ソ連はブレジネフ書記長の時代で、停滞社会主義の時代と呼ばれていました。つまり変化はないけれど安定した時代でした。
ウラジオストクに生まれ、4歳まで父の両親と同居していました。4歳から6歳までは、父がモスクワ大学の大学院に進学したため、私と母もモスクワ大学の寮に一緒に住んでいました。その後私は学校に入るために、父を置いて母とウラジオストクに戻ったので、今度は母の祖父母と暮らしました。
ロシアの学校には名前がなく、すべて番号です。私が入学したのは祖父母の家から歩いて2~3分の75番学校で、ウラジオストクの山の上にありました。祖母は昔教師でしたので、私は1年生になると、家でずっと勉強させられました。友だちは放課後、外で遊んでいるのに、私は勉強ばかりでした。
ロシアの学校は今は11年制ですが、私の時は10年制でした。同じクラス、同じ校舎で過ごします。1~3年生が初等一般教育です。4~8年生が基本一般教育、9~10年生が中等一般教育です。1~8年生までが義務教育で、9~10年生は日本の高校にあたります。
私は2年生の時に57番学校に転校しました。そこは評判のいい英語教育の学校でした。普通ロシアでは4~5年生から英語を勉強し始めますが、57番学校は2年生から週4回英語の授業がありました。この学校は地区の学校ではないので、入学するために面接があり、入るのは難しいです。学校は2部制で8~14時が初等一般教育、14~20時は基本一般教育でした。ですから私は午後の授業の時には、毎朝10時に起きて宿題をしてから学校へ行っていました。
私の時代には99%が7歳で入学しましたが、私は6歳で入学しました。どうしてだと思いますか?ソ連には徴兵制度があり、大学生は免除されていました。だから私が1年早く入学して学校を卒業し、万一大学受験に失敗しても、もう1年受験のチャンスがあります。母は私を軍隊に行かせたくなかったので、そのような道を選びました。
ロシアは9月1日が「知識の日」といって新学期の始まりです。私の記憶では入学式が室内で行われたことは一度もありません。だいたいは中庭です。1年生は花束を持って登校し、担任の先生に贈呈します。1年生の担任の先生は全員から花束をもらうのでいっぱいになります。そして1年生以外を担当する、花束をもらっていない先生方に分けられます。
11年生が1年生を肩に乗せて学校に入り、1年生はベルを鳴らします。それは新学期が始まるよ、という合図です。
9月1日は午前のみで、オリエンテーションを行います。
制服は全国同じでした。紺色で生地の質が良かった。女の子は入学式と卒業式には白いエプロンを付けます。普通は黒いエプロンです。ピオネール(ソ連版ボーイスカウト・およそ10歳以上)の男の子は赤いネクタイ、女の子は頭にリボンをつけて学校に行きます。制服の左腕には、本と太陽がモチーフのエンブレムが付いていました。ピオネールにはオクチャブリャータ(10月の子)という後輩がいます。バッジはレーニンの子どもの頃の肖像で、”Всегда готов!”(フシェグダー・ガトーフ=いつでも準備よし!)がスローガンです。14~15歳になったらコムソモールという、共産党員になるための青年団に入ります。会費も払っていました。私は8年生の時にソ連が崩壊したので、コムソモールに入ることはありませんでした。
今は教科書代は自己負担ですが、当時は無料でした。通常教科書は学年が終わったら図書館に返して次の学年へと代々使われますが、”Букварь”(ブクワーリ・文字教本)だけは1年生が終わった時にもらうことができます。図書館に返す教科書は書き込みを消したり、破れたところを修理したり、きれいにしてから返します。
当時の教科書には共産主義のイデオロギーが書かれていました。レーニンの子どものころの話やレーニンの作った詩など。でも難しいものではありません。
筆箱はフタに時間を勉強する時計盤とアルファベット表、そろばんが付いていて、多くの人はそれを使っていました。
子どもたちは”Дневник”(ドゥニェーブニク)という成績ノートを毎日持って行きます。時間割や宿題もそこに書きます。先生はしつけやマナーについての注意、例えばこの子は休憩時間に廊下を走る、などを書きます。
5点満点の3点は日本では普通ですが、ロシアでは悪い。両親の会というのがあり、先生はみんなの前でそれぞれの子どもについて発表するので、悪い子の親は両親の会に行きたくない。悪い子は成績ノートを2冊持っていて、自分で書いた方を両親に見せます。今は電子成績ノートがあり、ネットで自分の子どもの成績を調べることができます。
今の教科書にはイデオロギー的な社会主義はなくなりました。89年に学校改革が始まり、90年から10年制が11年制の教育に変わりました。初等一般教育は1~4年生、基本一般教育は5~9年生、中等一般教育は10~11年生です。5~9年生で英語以外の第二外国語を勉強します。
ソ連時代は1時限45分でしたが今は35分です。休憩時間は15分ですが昼休みは30分しかありません。給食は義務ではなく、カフェのようなところでお金を払って好きなものを買って食べます。


ソ連時代の教科書(上段)と現在の教科書および成績ノート(中下段)