極東の窓

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「ソ連のジュール・ヴェルヌ『A.ベリャーエフ』の世界」

はこだてベリョースカクラブ

一般向け文化講座「はこだてベリョースカクラブ」の今年度第1回目の講話内容です。
テーマ:「ソ連のジュール・ヴェルヌ『A.ベリャーエフ』の世界」
講 師:デルカーチ・フョードル(本校副校長)
ジュール・ヴェルヌとは、知られるフランスの小説家で、SFの父と呼ばれる人物です。
ベリャーエフは、ロシア初のSF作家です。彼は、58歳という若さで亡くなりましたが、その短い人生のなかで50作程の小説を書き残しました。中でも『両棲人間』、『アリエル』、『ドウエル教授の首』、この3つの作品は、ロシア人で知らない人はいないと言えるでしょう。
ベリャーエフは、1884年に司祭の息子として生まれ、跡を継ぐために神学校に通いました。しかし、学生時代に演劇や写真に興味を持ち、特に写真においては少しホラー要素を入れた合成写真を作ることに夢中になりました。この時にすでにSF作品を作る構想があったのかもしれません。
結局、ベリャーエフは「司祭にはならない」と両親に伝えたところ、父親は悲しみに暮れ、翌年亡くなりました。
その後、彼は法律学校に入学し、弁護士となりました。演技力もあり、法廷で人気のある弁護士でしたが、仕事を辞め、次は新聞社で働きました。
その新聞社で働いている頃に、彼の人生を大きく変える脊髄の病気にかかったのです。この病気で、彼の首から下は麻痺し、ベッドで寝たきりの生活となりました。原因は、幼少時代に空を飛ぶことに憧れ、屋根から傘で飛び降りたり、箒を翼にして木から飛び降りたことでできた背骨の傷にあったと言われています。
この全身麻痺の体験をもとに書かれたのが1925年に発表した『ドウエル教授の首』です。発表当初は短編小説でしたが、とても人気があったため、翌年長編小説として再発表されました。これで専業作家となったベリャーエフは、人気のSF作家となりました。
しかし1930年代のソ連でSF作品は、批評家から荒唐無稽・非科学的だと言われ、徐々に衰退していき、存在しているのか?と言われるほどに少なくなりました。そんな時代の中、ベリャーエフは「SFは未来を語るもの、夢を与えるもの、国民に必要なものだ」と訴え、執筆活動を続けました。当時の様子を考えれば、反社会的な行動は抑圧されてもおかしくありませんでしたが、彼は作品を世に発表し続けました。
第二次世界大戦が始まり、ナチス・ドイツ軍がベリャーエフの住むプーシキン市にも攻めてきました。この時、彼はもう暖炉に薪をくべることもできないくらい弱っており、外に働きに出ることは不可能でした。
1942年、ベリャーエフは家族が働きに出ている間にそっと息を引き取りました。死因は衰弱死、飢餓、凍死など諸説あります。彼の家族はドイツ軍に強制労働者として捕らわれました。ベリャーエフ自身の棺は合同墓地に埋葬され、どこに眠っているのか、いまだ分かりません。
ベリャーエフの作品は映画化もされています。CG技術が進んだ今、彼の作品をもう一度映画化したら、面白いでしょうね。
まずは一度、彼の本を手に取ってみてください。