学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.99 2019.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

函館校 25年の歩み/
ロシア極東連邦総合大学函館校 校長 イリイン セルゲイ

  今年の4月11日函館校は25周年を迎える。
 1988年、私はまだ31歳の極東大学の東洋学部副学部長だった。国際交流基金が数年前に設立されたばかりだったが、ソ連(当時)から私は初めての外国人の日本語の教員の研究生として三カ月間そのプログラムに参加した。
 この研修中、急に国際交流基金の雑誌の編集部から、ロシアもしくはその頃まで閉鎖されていたウラジオストクについての記事を書くことを頼まれた。
 どうして函館か。それは、偶然ではないと思う。
 1793年に函館港に日ロ関係史上はじめてロシアの軍艦「エカテリーナ号]が入った。その年、函館とロシアだけではなく、日ロ交流の最初のページが開かれた。その意味で、函館とロシアの交流の歴史は、日本で一番深いと言えよう。
 ペレストロイカ時代、そして、1990年代初め、特にソ連崩壊後に函館とロシアの交流の歴史に幾つかの新しいページが開かれた。
 1989年に函館日ソ親善協会が誕生した。19 92年には函館市とウラジオストク市が姉妹都市提携を結んだ。これらの行事の中で、函館にとっても、ウラジオストクにとっても、1994年4月のロシア極東国立(現連邦)総合大学函館校の開校は、日ロ間の歴史上大きな出来事になったと考える。
 日本で唯一のロシアの国立大学の分校が函館に設立されたのは当然のことだと思う。25年が過ぎた現在の函館校は、単に学校教育を行うだけではなく、市民向けのロシア語講座やベリョースカクラブというロシアの文化講座を開くなど、ロシアの教育・文化センター的存在となった。
 確かに函館校は歴史がまだまだ浅い。だが、学校の力によって、函館市民だけではなく、各地にいる日本人の皆さんがロシアの文化をより深く理解するようになり、両国民がより親しくなった。
 今後も私たち函館校の皆で力を合わせることにより、ロシアと日本は地理的に近いだけではなく、精神的にも互いに近づいていくものと期待している。

卒業生からの寄稿

卒業するにあたって ロシア地域学科 齋藤 航

 振り返ってみると、4年間の大学生活はあっという間でした。入学したばかりの頃は、全くロシア語に関する知識がなく、正直習得できるだろうかと多少の不安がありました。ロシア語は例外をたくさん含む複雑な言語で初めのうちは戸惑いましたが、函館校の先生方に熱心に指導していただいたおかげでその複雑さを理解するのが楽しくなり、文法、語彙、会話、聴解力が向上することができたのは大きな成果です。
 また函館校の最大の思い出といえば、三年次のウラジオストク本学への留学です。授業では世界各国から集う留学生と共にロシア語を学び、会話が弾みました。ほぼ毎日宿題があり、小テストも多く、学習内容においても函館校よりも高レベルでしたが、その困難を克服したことで自分のロシア語力を高めることができました。初めての寮生活や現地到着直後の諸手続き、不慣れな文化・習慣に不安もありましたが、相手とロシア語で意思疎通を図れたこと、そして現地の人々の温かな対応のおかげで乗り切ることが出来ました。
 次の日からさっそく授業が始まった。月曜日から木曜日まで90分の授業を一日に3コマ受け、読解や文法問題、発音練習、詩の暗唱など、ロシア語に懸命に取り組んだ。時には気象予報士になったつもりでロシア各地の天気予報をしたり、警察官や政治家などの役になって日々のストレスとその解消方法についての討論を行ったりもした。
 校外学習ではノヴォデヴィチ墓地を散策した。授業を通して強く感じたのは、単語や例文を覚えることだけがロシア語の学習ではないということだ。ロシアの詩を読み、歌を聞き、映画を見て、それらを通してロシア人の考え方を知ること。それこそがロシア語学習の最終目標であると実感した。


△2019はこだてロシアまつり

 またこの4年間でロシアの歌をたくさん歌い、合唱サークル「コール八幡坂」のメンバーとして活動しました。函館西高校で行われた「函館西部地区芸術祭」や学生・教職員のアイデアが多く生かされたロシアまつりのステージで、ロシアの素晴らしい歌を披露し、大勢の来場者を前に盛り上げることができました。
 こうして大学生活で培ったロシア語や留学体験を忘れることなく、いつかどこかで生かせる機会が到来すればと願っています。
 最後に、私を支えて下さった全ての関係者の方に心から感謝致します。

卒業生答辞 ロシア語科 萬 珈源

 寒かったり暖かかったりの毎日ですが、やはり春が来た今日のよき日に、私たちロシア地域学科24期生とロシア語科22期生は卒業いたします。
 光陰矢の如し、ロシア語を始め、ロシアに関する様々な知識を学ぼうと希望に溢れた私たちは、各地から函館に集まりました。いつの間にかもう「さよなら」を言わざるを得ない日に至りました。
 振り返ってみますと、本当に実りの多い学生生活でした。そしてロシア語を学ぶ道は険しいものでしたが、先生方の丁寧な教え方のお蔭で、香港出身のため日本語が未熟な私にも分かりやすく理解できました。今も最初の頃と変わらずロシアのあらゆる事に興味を持っています。
 また、お互いに支えたり、助け合ったりし、たとえ荊棘の道であっても、一緒に前へ進んでいく優秀な友達と出会え、本当に良かったと思います。
 学校生活以外、去年の9月ウラジオストク本学へ留学にも参りました。その日の夕方に現地に到着したため、夜空にはっきり見える猟犬座と地面を照らしている満月が特に心に響きました。月を見ながら、日本にいる友達も同じ月を見ていることだろうと考えました。満月を見る度に、函館で過ごした素晴らしい時間が思い出されるでしょう。本にしおりを挟んだページのように、絶対に忘れません。
 先生方、教職員の皆様、在校生並びに関係者の方々に改めてお礼を申し上げます。皆様のご健勝とロシア極東連邦総合大学函館校のますますの発展をお祈りしまして、感謝の気持ちを込めて答辞とさせていただきます。

2年間を振り返って 
ロシア語科 竹内 志織

 入学してから2年間、先生方や友人にたくさん助けられ、無事卒業の運びとなりました。自分にとってめまぐるしい日々でした。
 特に二年次の一カ月間の留学実習は、とても記憶に残っています。直前と到着直後は眠れないほど緊張したのは今ではいい思い出です。実際にロシアに行って勉強するのはとても新鮮で、ロシア語はもちろんロシアの文化に触れられました。一カ月という短い期間でしたが、ウラジオストク本学で学んだことはこれからもずっと大切にしたいと思います。
 そして留学だけではなく、ロシアまつりなどの行事も印象強く残っています。ロシアまつりでは、数日前からの準備でロシアの料理を作る機会がありました。ロシアの料理のイメージといえばボルシチやピロシキですが、これまで食べたことのないブリヌイを作ることができて楽しかったです。おそらく函館校に来ていなければ体験できないことをたくさんできて、とても充実した日々を送ることができました。
 ロシア極東大学函館校で過ごした2年間は、自分にとって忘れられない思い出になると思います。

△ウラジオストク本学からの留学生との合同授業

学生からの寄稿

JT海外インターンシップに参加して ロシア地域学科 相川 将太

 昨年12月7日から12月16日にかけてJT海外インターンシップに参加し、サンクトペテルブルク・モスクワで複数の企業・団体を訪問しました。訪問前には特別講義を受け、自分たちで企業研究や現地の状況を調べ、更にはロシアへの出発前にJTと双日の東京本社でレクチャーも受けました。訪問先はどれも大企業であったため、不安と緊張も感じていましたが、東京やロシアのオフィスを見学できることやお話を伺えることを楽しみに思っていました。またサンクトペテルブルク大学生との交流予定もあったため、どの程度ロシア語で話せるのか楽しみでした。
 今回の訪問を振り返ってみると、ロシアに進出している各企業を見学したことで、ロシアで働くということについて具体的に考えられるようになりました。各方面で活躍されている方々は知識・話題が豊富で、またロシア人スタッフと会話されている先輩の姿を見て、自分もそうなりたいと感じました。先輩からは、自分の興味や就きたい職業を明確にし、何が必要とされるのか客観的に見ることの大切さを教えてもらいました。またロシア語通訳という仕事の場ではロシア語以外にも自分の伝えたいことを表現する力やコミュニケーション能力それに加えて、様々な分野に対する知識も豊富であればあるほど仕事をしやすくなることがわかりました。
 サンクトペテルブルク大学の学生との交流では、ロシア人学生たちは驚くほど日本語話者として達者で、日本に対する知識も非常に豊富でした。彼らの学習に対する貪欲な姿勢を目の当たりにし、自分の学習の少なさや日本に関する知識の乏しさを実感し、現在の生活やこれからの勉強の取り組み方を見直すきっかけになりました。

△サンクトペテルブルク大学の学生との交流

 企業訪問以外の時間には町を散策しました。昨年と異なり、今年は引率者がなく、学生だけでインターンシップに参加したため、ロシアを一人で歩くということをまず体験しました。函館校に入って一年生の頃から教科書でモスクワの地下鉄の駅の名前や、通りの名前を学習してきていたため、実際にその場所を目にし、その場所に立てたことでとてもうれしい気持ちになりました。その記憶は今でも鮮明に覚えています。
 私はこれまでにロシアに行ったことはありませんでしたが、今回モスクワ・サンクトペテルブルクという大都市を歩いたことは、私の中で大きな経験となりました。このようなインターンシップのおかげで、学校からアテンド通訳の仕事を引き受けた時も、ロシア人とのコミュニケーションを取るという能力面を大きく向上させることもできました。
 最後に、このような機会を与えてくださったJTをはじめ、訪問先の方々、そして学校の先生方、本当にありがとうございました。

JT海外インターンシップに参加して ロシア地域学科 和田 将英

 去年の12月初旬から一週間JT奨学金でロシアのモスクワとサンクトペテルブルクをインターンシップで訪問させていただきました。目的はロシアにある日系企業の見学です。
 このうちモスクワで訪問したのが、東洋トランス、双日ロシア会社、そしてJALモスクワ支店でした。
 東洋トランスは主にロシア、中国を拠点とした物流サービスを主業としている企業です。僕たちが訪問させていただいたのはモスクワの2大空港の片方、シェレメーチェボ空港の近接地に位置する倉庫の1つで、ここでは主に建設車両のパーツ管理、輸送を担当されていました。倉庫見学の際、興味深いと思ったことは、倉庫の棚が日本のよりも縦長く、置いてある輸送品もあまり固定されていないということです。これは日本と違い、ロシアでは地震がないことから、このような積み方をしても危険があまりないからです。このようなことは地震の少ない国家ならではのメリットとなっているようです。
 次に訪問させていただいたのは双日ロシア会社です。このロシアの現地法人の主な役割は、日本の本社の間接的なサポートです。主な事業内容は、機械、鉱物、化学品の販売やトラックの代理販売などです。僕たちに説明を行ってくれたのはこのロシア会社で働かれている2人の日本人の社員の方で、お二人からはこの会社のお話のほかに、ロシアでの生活やその中で感じたことなどを聞くことがきました。ロシアはジェネレーションギャップの差が大きい国でもあります。それは1991年のソ連崩壊から新生ロシアとなり、社会主義から資本主義に政治・経済体制が大きく変わったからです。ソ連時代を生きてきた人々は最低限かつ質素な生活で満足する方々が多く、一方ロシア世代は高品質の生活、品を求める傾向にあるそうです。このことによって、ロシア国内での企業展開の仕方も時代と共に変わってきていると話されていました。現在ロシアでは、医療関係の発展が非常に遅れていることから、医療分野の事業に需要が伸びてきているそうです。
 最後に訪問させていただいたのが、モスクワのドモジェドボ空港に拠点を置く、日本の航空会社JALの支店です。ここでは、ドモジェドボ空港で働かれる日本人社員の方々による会社概要の説明を聞かせていただくと共に、飛行場での旅客機の発着の様子を見学させていただきました。ロシアのJAL社内では、日本人の方とロシア人の方が一緒に働かれていましたが、彼らの公用語は英語でした。興味深かったのは、日本の会社であることからか、ロシア人の方も同僚の名前を呼びあうときは、「〇〇―san」と、さん付けをしていたことです。
 見学に関して、空港との連絡の行き違いがあったらしく、なかなか飛行場に入れなくて、発着の様子は残念ながら見学することができませんでした。最終的に空港に入ることはできて、整備の様子を見学するなど、普通はできない貴重な体験ができました。

 今回のロシア訪問は僕にとっては初めての海外訪問でした。企業見学だけでなく、自由時間時の観光などでもロシアの空気を感じることができました。現地で学べたこととして、ロシア語を仕事とし、現地で暮らすのであればロシア語のみでもやっていけるようです。しかし、日本などで働きながらロシアと関わっていくためには選択肢を増やすという意味でも英語が非常に重要であるというこ,とです。
 今回は僕の人生にとって大きな意味のある経験となりました。実施や受け入れに関わってくださった方々に感謝申し上げます。

はこだてFOODフェスタに参加して 
ロシア地域学科 安井 燎大

  私たちは、2月23日と24日に函館アリーナにて開催された「はこだてFOODフェスタ」に参加するために、ロシア極東大函館校「ピロシキ八幡坂」チームを結成しました。
 昨年11月のアカデミックリンクでは、3種のオリジナルピロシキ(塩辛チェダーピロシキ、塩辛カッテージピロシキ、ヴィネグレットピロシキ)を提案しました。来場者にアンケートを採った結果、塩辛カッテージピロシキの人気が一番高かったのですが、製作に協力していただいていたキングベークさんと話し合いを重ねた結果、カッテージチーズは安定した材料の確保が難しいことや、賞味期限の関係から、FOODフェスタで販売するオリジナルピロシキは、ヴィネグレットピロシキに決まりました。
 その後さらに改良を重ね、具のヴィネグレット(ボルシチに使われるビーツ、にんじん、じゃがいもなど様々な野菜が入ったロシアではよく食べられるサラダのこと)の中に鮭フレークが入れられ、より深みのある味わいに仕上がりました。形についても学生たちが議論を重ね、本場ロシアで食べたピロシキでは最も一般的だった形の三角形にして完成しました。
 FOODフェスタでは、このヴィネグレットピロシキと、本校オリジナルのラスクの二点を販売することになりました。オリジナルラスクは、ロシアで一般的な野菜であるビーツの美しい赤色から着色され、見た目も美しく、ハチミツの甘い味が楽しめるラスクに仕上がりました。


 当日は、様々な函館の食の特色を表現する「テーマブース」、函館、道南の食材を使用した料理が楽しめる「飲食ブース」、一次産品や地域の加工食品やスイーツを販売する「マルシェブース」、そして私たちロシア極東大のほかにも函館の高等教育機関が出店する「限定販売ブース」に分かれていました。入場が開始される一時間ほど前からすでに会場の入り口に列ができており、おいしい食べ物を楽しみにしている大勢のお客さんたちの熱気が感じられました。
 一日目は私たちのブースの前にもピロシキを買われるお客さんたちの列があり、販売開始から20分ほどで、用意した100個が売り切れてしまいました。多くの方に興味を持っていただけたことがわかり、時間をかけて完成させたかいがあったと嬉しく思いました。
 私が販売を担当した二日目は、一日目のように販売開始から飛ぶように売れていくような勢いはありませんでしたが、無事に時間内にピロシキを売り切ることができました。売り切れてしまったあとでピロシキ目当てのお客さんが何人か来られ、「なくなっちゃったかぁ」と残念がられる様子もあり、もしまたこのような機会があれば売る個数を増やすのを考えてみてもいいのかもしれないと感じました。
 二日目には、会場のステージ上でピロシキの日本での広まりなどについて発表も行いました。ステージは飲食スペースに面した場所に設置されており、お客さん達には食事を楽しみながら発表を楽しんでいただくことができました。


 今年の夏から「ピロシキ八幡坂」としてアカデミックリンクでの発表などの活動をつづけ、「FOODフェスタでオリジナルピロシキを販売する」という目標が達成されました。しかし、今回は販売までこぎつけられなかった塩辛カッテージピロシキや新たなるオリジナルピロシキの考案など、今後の「ピロシキ八幡坂」の活動は続きます。来年もFOODフェスタや本校ロシアまつりなどで新ピロシキを販売し、今後も「ロシア極東大のピロシキ八幡坂」という名や活動を多くの人に知ってもらえればいいなと思っています。

日露産官学連携実務者会議に参加して ロシア地域学科3年 平原 響

 私は2月28日に筑波大学東京キャンパスで開かれた日露産官学連携実務者会議に参加しました。同会議は日本とロシアの高等教育機関における大学間交流の推進・学生交流の増加などを目的とした「日露大学協会」という組織のプログラムである「日露経済協力・人的交流に資する人材育成プラットフォーム(HaRP)」の活動の一部として開催されたもので、私は日露間の学生のインターンシップを通じた企業研修などの取り組み紹介として、函館校のJTインターンシップについての報告を行いました。
 会議当日朝の飛行機で函館を発ち、東京の会場へ向かいました。会場にはモスクワ国立大学・北海道大学をはじめとした日露両国の大学の関係者やロシアでビジネスを展開する日本企業の方々、そしてロシア大使館員や日本の省庁関係者など、合わせて100人以上が出席しており、張り詰めたその雰囲気に、私はこれからこんなに大きな規模の場所で発表するのかと、とても緊張を覚えました。会議は日本語とロシア語の二カ国語・同時通訳にて進行され、私の発表もプロのロシア語通訳の方との事前打ち合わせののち、ロシア語の同時通訳が行われました。
 学生発表は私を含む日本人学生2名、ロシア人学生2名の計4名が、現地で体験したインターンシップの内容を報告しました。中でも、現在日本に留学中のモスクワ国立大学の医学部生が、日本の病院での業務研修についてとても流暢な日本語で話していたことが印象に残っています。私はこのような大きな集まりでの発表は初めてだったのでとても緊張しましたが、参加したJTインターンシップの内容やそれにより得られたことなど、自分の思いを会場の方に伝えることができました。
 発表に際し、5分間の発表原稿と英語のパワーポイント資料を作成しました。今回のお話を頂いたのが2月の初めだったこともあり、1カ月足らずの間にこれらの用意をする必要がありました。加えてその時期は学校行事であるロシアまつりの準備や、学年レポートの締切、そして後期試験などやることが盛りだくさんでとても忙しいものでしたが、合間に時間を見つけては少しずつ文章をまとめ、無事に当日までに間に合わせることができました。英語資料の作成、そして原稿の添削をしていただいた本校の教員と事務の皆さんに対し、この場をお借りして深く感謝を申し上げます。
 私はこの会議に参加し、日露両国の大学を中心とした交流・人材育成に関する活動を具体的に知ることができました。またインターンシップの成果を自分自身でまとめ、発表したことはとても良い経験となりました。4月から三年生となり、進路について考えることも増えますが、これからも今回のような機会を無駄にすることなく、自身の成長のために活かしていきます。