学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.104 2020.7 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

漁夫生涯竹一竿( 漁師は一生を竿の一本で終える!)
学校法人 函館国際学園(ロシア極東連邦総合大学函館校) 理 事 長  渡辺 善行

 呪文のような題ですが、この禅語の一切れを墨で書いた掛軸が私の両親の暮らす部屋にありました。時々、その掛軸の前に寝っ転がりながらその意味を深くは思うでもなく大学受験をしくじった浪人生だったころの私はそれを眺めていたものです。
 どうも思い違いの産物のようですが、この漁師のように一本の「竿」を思いつめて(本文の題の解釈)2度目の受験にのぞみました。いわゆるスベリ止めのための他大学を一切受験せず、予備校にも通わずで、しかし当時のベビーブーム世代のこの大学の競争倍率は24倍を記録したようです。親の経済力では再度の受験失敗はゆるされない、あとは無し、と臍を固めて。
 外国語大学でロシア語を専攻し、卒論はソ連の「取引税」について図書館のわずかな文献や新聞記事をもとに仕上げて社会にでるころになって、またもう一度この呪文が思い出されてきました。単純な問題、すなわち、自分にとっての「漁師の竿」は大学卒業でどうなるの?矛盾するようですが、私は大学にロシア文学をやりたくて入ったのに出るころには竿の先は経済に向かっていたのです。
 その場の勢いで商社の面接を受けて入社しました。ロシア文学は棚の上でほこりをかぶり、私の仕事は当時の代表的輸出商品の繊維織物でした。毎日のように海外バイヤーと商談をし、日本の産地から糸や織物を仕入れて何万ヤードというシャツ地や服地を染加工して神戸港から欧米や中近東に輸出する仕事でした。しかし、順風満帆は突然おわり会社が破綻し競争他社に合併されてしまいます。会社の別部門が海外石油取引で数千億円の不良債権をつかんでしまったのです。この仕事も「竿一本」にはならなかった。
 入社4年目の私は家庭をもち生まれたばかりの娘もありました。だから転職です。ある重工業の会社がソ連で繊維原料の化学品を製造する工場設備を輸出するので人を集めているところに応募。「芸は身を助く」でさびたロシア語が「竿」になるのかなと。大阪の家をたたんで家族を連れて上京しこの重工業の東京本社に入社。
 ところが、このソ連向けの工場設備の商談はドイツの会社が受注してしまったので私は入社と同時に社内失業の状態です。そこで「ロシアの竿」は棚上げして、大型の機器装置をアメリカ、南米、中近東、アフリカ、中国、アジアに輸出するための市場開拓に10年ほどを費やし、毎月の半分は海外出張の生活です。家族には「うちは母子家庭」だ、といわれて。しかし、これが「竿」になるのかも知れないとも思いながら。
 世の中は急速に変化してゆき、造船、製鉄、セメント業界のような日本の重厚長大といわれる企業の競争力が落ちていく中で私はこれまで競争相手であった欧米企業と協力関係を結んで国際コンソーシアムを組成して発展途上国の工業化に必要な設備工場を供給する路線に転換。これこそ、「竿」と念じながら欧米のパートナーが押し付けてくる厚かましいリスクもまとめて背負って中国、イラン、南米、パキスタン、中央アジア他での大型受注を順調に進めてゆきました。
 ところが、私とちがって会社は「竿」は何本も欲しいわけで、当時プラント部門の常務であった私を系列の商社の社長に送り出したのです。私は元々は商社で育った人間だから商社には業務上の抵抗感はないものの、「俺の竿」はどうするの?折から、リーマンショックが世界を襲い、商社経営にも暗雲が垂れ込めてきた時期です。これが結局は自分の「竿」なのかな、と観念して設備工場を国内や海外に輸出し建設するプラント事業も棚に上げてしまって商社経営に打ち込みました。さいわい業績拡大の結果を達成できて任期の4年間を終えました。しかし、「竿」はもう4本目にもなってしまいました。
 「漁夫生涯竹一竿」とはゆかず、なんと困難なことか。
 ところが、この禅語には対句があって「山僧活計茶三畝(坊さんは茶畑がわずか3畝もあれば生きてゆける)」というものです。これをよく調べようとしなかった私は部長職についた50歳ころになって、何かの気まぐれで家の近所のほったらかしの農地を借りて畑作業を始めていました。30坪ほどです。そのころは海外出張生活が煩雑にある時期でしたが、それから20年間、海外と畑仕事(草刈りばかり)の両立を続けてきました。つまり、会社生活への反撃反抗?それとも畑作業は5本目の「竿」、将来は帰農する?
 最近になってこの対句を並べて眺めてみて考えさせられるのは、自分は長い間この「竿」を思い違いしてきたかもしれない、ということです。
      山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿
 前後の2句をあわせて読むと、要するに、「坊主たるものはわずかな畑を耕して手に入れるもので安らかに生活でき、漁をして生活するものはわずか一本の竿さえあれば安らかに暮らしていける」、という風に素直にシンプルライフを称賛するものとして解釈すべきでしょう。
 でも、私は素直でもなく坊主でもないので前の句はどうでもよくて後の句のみで独自解釈する「竿」の求道者であり続けたいと(思い違ったままで)思うこの頃です。これは頑固な老害の一種でなければいいが。
 終わりに、このような変人かもしれない私が2012年以来8年間、当校で非常勤講師として「ビジネスセミナー」および「貿易実務」の講義を続けてきたがゆえか前任者の伊藤専務理事より要請があり今般、ロシア極東大学函館校を経営する函館国際学園の理事長に就任いたしました。「ロシア」のキーワードもありロシア人の友人の方々とロシアの小説文献がより一層身近になります。このうえは粉骨砕身、学生たちのため、教師と職員のため、そして当校をサポートしていただいている函館市民の有志の皆様方のために尽力してゆき、これを6本目の「竿」といたしたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします。

学生からの投稿
1年生特集 『本校に入学して』

ロシア語科 笠井 大輔

 本校に入学して、三か月が経つ。高校を卒業して四年ぶりの学生生活。初めての一人暮らし。不安もあったが今のところ上手くやっている(はず)。
 学校は、授業の進むスピードが早い。ただ分からないことは聞けば、すぐにしっかりと教えてもらえる。ロシア語は確かに難しい。しかし、本人のやる気や頑張り次第で伸びしろは変わると思う。自分は二年間しかないので確実に身に付けられるよう努力したい。
 次に生活についてだが、函館の一人暮らしには、車が必要じゃないかと感じる場面が多い。ただ自分はまだ自動車免許を持っていないため、移動手段は徒歩か公共交通機関を利用する。面倒な時は本当に面倒だ。
 そのほか学校周辺は、観光地のため、いい景色や見どころが多いのはいいが、普段使いできる店が少ないと感じた。新たな発見をするためにも、空いている時間があれば色々なところを散策したいと思う。
 学校生活も函館の一人暮らしも今のところ悪くはない。これらを良い方向へ進めるのも自分次第だ。今は何事も前向きに物事に取り組もうと思う。

ロシア語科 大前 庸喜

 私はロシア極東連邦総合大学函館校に入学して、まだとても初歩的なロシア語までしか習っておりませんが日本の通常の大学と違い、本当に先生との距離が近いです、物理的にも精神的にも。遠い席にいるとカムチャッカと呼ばれるみたいです。でも近いおかげで発音の間違いもすぐ指摘してくれ、わからなくても覚えてしまうほど、自然とロシア語が身近に感じる環境です。
 しかし学校に行くまでの道が、肺年齢が高齢のため辛いです。ただ新型コロナウイルスの影響で遠隔授業となり少々楽をさせてもらいました。学校関係者の皆様の素早い対応で授業をほとんど滞りなく学ぶ環境があって嬉しいです。まぁ、たまに一部発音が聞き取りにくいこともありますが、基本的にはできています。一長一短です。
 いや、むしろ、初めての取り組みでここまでできていることは凄いことかもしれません。いつでも勉強できる環境にしてくれて、ありがとうございます。
 これからも頑張りますので、よろしくお願いします。

△1年生の遠隔授業の様子

ロシア地域学科 熊谷 美優

 私が入学してから気づけばもう三ヶ月程経ち、時が経つのはこんなに早いものだったのか、なんて思います。コロナの影響であまり登校せず(遠隔授業はありましたが)、家に引きこもってばかりいたので、そう思うだけなのかもしれません。
 三ヶ月間だけで、全くと言っていいほどロシアのことを知らなかった入学前と比較すると、随分知識が増えたように思います。ですが、物覚えが悪く、入学前まで自学習をしたことが殆ど無かったため、周りとの差、遅れを日々感じ、不安や焦りがとても大きいです。英語を中学一年の前半で挫折した自分に四年間ロシア語をやり通すことが果たしてできるのか…、入学前から多少思っていたことではありましたが、やはり自分は勉強というものをなめてかかっているな、と痛感させられる日々です。
 これ以上差が開かぬように日々の勉強を怠らず、四年間でやりきって無事卒業できるように頑張りたいと思います。

ロシア地域学科 岡島 柊

 入学してまだまだ日が浅いですが、やはり最も強く感じたのは、これまで我々が経験してきたものとは全く似ても似つかない授業方式でしょう。
 「先ず、扱う文章を単純なコピュラ文と命令文に絞り、その上で性数の規則と語彙、そして会話経験を通しての言語感覚の習得に注力する。」という学習方法は、本校でなければ得難い体験であり、現時点で、かなり満足度の高い学習成果を実現していると実感します。
 とは書きましたが、私がこれ程までポジティヴな事ばかり連ね、愚痴を吐かずに済むのは、入学前の予習期間のお陰なのだろうと痛感します。
 なぜならば一度の授業で扱う単語や表現の情報量が多く、これを入学してから全て覚えようとするのは、相当にハードなのだろうと日々恐々なのです。友人達がよく「授業マジムズい。」と言う度に、阿部軍治氏とその著書に感謝するばかりであります。これからも、油断はいけませんね。
 ちなみに私の一番お気に入りの単語はНравится(気に入る)です。発音はヌラーヴィッツァです、なんともセクシーな響きですね。
 Давайте вместе изучать русский язык! До встречи!

ロシア地域学科 佐々木 勇進

 ちょうど昨年の今頃、進路が決まらないことによる焦燥感に苛まれていた自分は、偶然この学校についてのネット記事を閲覧した。もともと語学に大変興味があった事に加え、単純に寒いところが好きだという事、また、謎すぎるロシアという国への純粋な好奇心から、この学校へ進むことを決めた。
 入学以前はキリル文字程度の知識しか無かった自分にとって、ロシア語学習はゼロからのスタートとなった。想像以上に複雑なロシア語に既に若干の憂いを感じているが、教授陣の明瞭な指導のおかげでなんとかなっているし、少しずつではあるがロシア語が着々と身についている感覚は病み付きになる。また、ロシアに関するすべての授業が興味深く、この学校の特別さを実感している。
 昨今のコロナウイルス大流行の影響で、本校でもリモート体制での授業を強いられていたが、ようやく通常の体制へシフトできる目処が見えてきた。すべて元通り、という訳にはいかないだろうが、変わり続ける環境に適応しながら、この学校で研鑽を積み、内容の濃い充実した日々を送りたい。

△通常授業は座席の間隔を空けて実施

ロシア地域学科 鈴木 貴大

 私は英語以外に外国語を勉強したことがない。そのため、一般的に難しいと言われているロシア語を学ぶにあたって、当初はとても不安があった。しかし、現在では学校生活に関わる不安はほとんどなくなった。
 その理由はデルカーチ先生やタチヤーナ先生の授業を受けるたびに新たな発見に出会えるからだ。新しいものに出会えることはとても意義のあるものであり、楽しみなことである。ロシア語の授業では厳しいながらも今まで触れたことのなかったロシア語というものの性質を知り、文法や単語、発音を覚えるのは大変ながらもとても充実感を得られるものとなっている。
 ロシア語だけではない。英語の授業も先生が陽気でとても楽しい。私は一人暮らしや雪国に住むということが初めてなので楽しさがありながらも少し不安を感じたり、これからの授業はどのようなものなのだろうと考えたりと新しい感覚を得ている。これからもたくさんの困難が現れるだろうが、それを自分の成長の糧として新しいことにチャレンジしていきたい。これからもより多くのことをこの学校で学び、将来につなげていこうと思う。

ロシア地域学科 上野 真由

 本校に入学してしばらく経ち、新しい生活にも少しずつ慣れてきました。
 学習の面では高校と似ているところもありますが、学ぶことは新鮮なものばかりで毎日覚えることが沢山あります。ロシア語独特の発音や、語尾の変化などは今まで触れてこなかったものなのでとても難しいです。
 生活の面ではもともと市内出身で家が少し遠くにあり、登下校が大変だと感じることもあります。新型コロナウイルスの影響もあり、暫くの間遠隔授業だったのでこれから毎日時間をかけて学校に行くのは少しだけ辛く感じます。学年の人数は少なく、たくさんの人と交流することはありません。その代わり授業で発言する機会も多く与えられ、自分の間違いにも気がつきやすいし、アドバイスもたくさん受けられます。また、これから少しずつ通常授業になっていくなかで、先輩方と交流できることも学校生活での楽しみになっています。
 ここでの勉強や学校生活は、これまでに経験してきたものとは違う苦労もありますが、ロシア語が身につけられるよう地道に努力していきたいです。

ロシア地域学科 弓田 眞悟

 私はこの春東京農業大学を卒業し、本校に入学した。本校に入る前から私はロシア語をほぼ独学ではあるが勉強していたため、最初の2年ぐらいは相当退屈になるのだと思っていた。しかしながら実際、通ってみるとその考えは大きく変わった。
 日本で、日本人の先生にロシア語を学んでいたときは単語をそのまま暗記し、リーディングのみを行っていたため会話する機会もなかったが本校のロシア語の授業を行うことにより、単語の成分から学び覚えるということを知った。そのおかげで今までは単語を丸暗記していたため、すぐに単語を忘れ、多くのスペルミスをしてしまうことも多かったが、そのようなことはほぼなくなった。ほかにもなぜアクセントが移動するのか等と言った細かい、しかしながら重要なことも全部詳しく知ることができた。会話の授業もとても刺激的であったことを記述しておく。今までの大学では周りにロシア語ができる人物、ましてやロシア人もいなかったため会話でロシアを使うことがなかったが、ここの授業で私は多くの同志とロシア語を話し、実践することができ、よりロシア語が楽しくなった。
 前の大学を入学したときと同様、農業・水産分野が好きであることに変わりないので、ロシア語を学び、よりお互いの国の農業、水産の情報を円滑に伝えられる存在になれるよう、これからもこの素晴らしい環境で勉強していきたいと思う。