学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.103 2020.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ロシアの伝統的風邪治療法
ロシア極東連邦総合大学函館校 教授 パドスーシヌィ ワレリー

 新型コロナウイルスが引き起こす深刻な病に関する最初の警戒がなされたのは、昨年の12月末のことでした。その後2ヶ月ほどで、この病は世界中に広がりました。3月11日には世界保健機関がコロナウイルスの世界的大流行であるとの認識を示しています。 残念ながらこの病は、日本とロシアにも伝わりました。
 この病の治療に有効な薬がまだないことが私たちを不安にさせています。 感染を防ぐためにはどうすればよいのか。医師が推奨している、よく手を洗い、うがいをし、顔には触れないようにし、必要に応じて医療用マスクを着用するという、それらの衛生管理を怠らないことが非常に重要です。また、免疫力を強化し、身体の抵抗力を高めることも同様に大切です。さて、古いロシアでは、どのように風邪を治癒したのでしょうか。また、風邪をひかないための健康増進方法はどのようなものだったのでしょうか。そして今日でもまだ行われているロシアの伝統療法にはどのようなものがあるでしょうか。風邪予防のための民間療法として、ロシアではロシア風呂とペチカの二つが用いられています。なぜなら、良くない結果であれば落ち込みます。悔しいし、悲しい気持ちになります。投げ出したくなります。続けたくない!もう辞めてしまおう!と思うことがあると思います。けれどスポーツ選手は(引退を別として)、必ず次を見据えます。
 競技の結果だけではありません。最近だと昨年9月、世界陸上に出場直前で十種競技の右代啓祐選手が自分の結果ではなく、日本陸連等の不手際によって一時内定取り消しとなりました。その時、彼はSNSで「辛い」という言葉を発信していますが、続けて「絶対に自分に負けない様に、腐らない様に走り続けます。ただ、二度とこんな事起きて欲しく無いです。」とコメントしています。その後のインタビューでも「自分がそもそも標準記録を突破していればよかった」と話し、この騒動の発端を責める発言はありませんでした。
 伝統的なロシアの風呂は、水と蒸気を同時に使いながら温かくして体を洗うところです。まず、お湯で体を洗い、熱いスチームが充満している「スチームルーム」に入ります。高温多湿の空気自体に治療効果があるとされています。体にわさびや蜂蜜、ウォッカをこすりつけて効果をさらに高めたりもします。また、熱湯に薬草が加えられることもあり、蒸気は有用な薬草エキスで満たされるのです。冬には泳ぎをする人たちもいて、風呂の合間に屋外を走ったり、雪や氷の水に飛び込んだりしています。温度の差が体の抵抗力を強化して、風邪を避けるのだそうです。
 ロシアやベラルーシ、ウクライナの伝統的な住居には、石造りやレンガのペチカが設えてあります。家の暖房や調理をする際にも使用されるのです。 ペチカの上にはベンチが配置され、家の中で最も暖かい場所です。 風邪の兆候が表れると、ベンチに登り、温められた石に横たわるのです。 ペチカは体中をしっかりと暖め、治療効果をもたらします。 お風呂でもそうしたように、バターとウォッカに胡椒を混ぜた蜂蜜で体をこすってより温めたりもしました。
 お風呂とペチカは風邪の予防に効果的です。 けれども、ウイルスに感染して病気になってしまった場合はどうしたらよいのでしょうか。
 風邪の最も効果的な治療法の1つは、イヴァンチャイと呼ばれるお茶を飲むことです。 葉だけでなく、茶の茎やさらには根も煎じます。 そうして出来上がったイヴァンチャイを熱くして、1日に少なくとも5回は飲むのです。 イヴァンチャイの葉は粉砕して、ケーキやスープに加えられたりもしました。
 それ以外に根強い人気のある治療薬として用いられるのは、ニンニクです。 人間の免疫システムを強化し、風邪退治に有効です。 パンと一緒に食べたり様々な料理に加えられるだけでなく、特製の小さな箱に入れて胸に着けていました。
 効果的で価値ある薬として考えられてきたのは、蜂蜜です。 風邪のひき始めにはそのまま食べ、熱いお茶やミルクに加えて飲みます。 蜂蜜入りの熱いミルクにバターを加えたり、おろし生姜を加えたりもします。
 蜂蜜入りのお茶以外でとても大事な伝統的風邪対処法は、ロシア風ジャムであるラズベリーのヴァレーニエです。 ジャムとは異なり、ヴァレーニエは比較的短時間火で調理されるため、果物の有効成分が損なわれることなく保たれるのです。 ラズベリーのヴァレーニエを入れた熱いお茶は熱を下げ、呼吸を改善し、鼻腔をきれいにするのに役立ちます。
 もちろん今の時代、伝統的な予防法と治療法だけで風邪を治療することはあり得ません。ですが、何世紀にもわたる昔ながらの対処法は、何らかの効果があるといえるのではないでしょうか。
 今夜、蜂蜜とバターを溶かした熱いミルクを飲んでみてはいかがでしょうか。

卒業生からの寄稿

卒業を迎えて

ロシア地域学科 佐藤 和樹

 ロシア極東大函館校に入学してから卒業まで、とても濃い4年間だと感じました。1-2年の時は授業が進むにつれて覚えることが増えていき、授業スピードも上がったので、頭が破裂しそうだったことを覚えています。とにかく単語の量と文法、詩の暗記が大変だったので心が折れてしまいそうでした。
 しかし、ロシア語、英語を勉強することで、文法が似ているところがあり、また単語の読みがほとんど同じものがあると気づくことがあり、両方上達していると実感するのが楽しかったです。
 印象に残っているのは1年生の秋のことです。ロシア正教会の神父団が来校しました。私が正教会信者ということもあって、司会を務めました。その時に少しの日常会話と少しのスピーチをしたことで、ロシア人ともっと話してみたいという気持ちが強くなりました。
 順を追うと次は2年次のJT奨学金を活用した海外インターンシップです。このインターンシップでモスクワとサンクトペテルブルクを訪れました。どちらの街も美術館がとてもきれいだったことを記憶しています。ロシア民族学の授業で見た写真と本場で見るのとでは全然違うので、先生が教えてくれた作者の想いや小ネタがより面白く感じ、ロシアへの興味をより強く持つことができました。
 次は3年次のウラジオストクでの留学実習です。最初はロシアで生活できるのか、会話はできるのかといった不安しかありませんでしたが、学校に行くとクラスメイトや先生に恵まれて、特に日本人学生からはウラジオストクでの生き方のようなことを学んだので、不安は一気になくなりました。
 函館校はロシア人の先生がいて、ネイティブな発音を耳にしているため、意外と会話に困ることもなかったです。お互いの語学力を高めあえるようなロシア人の友達ができて、「ここにいれば怠けずにロシア語を使えるぞ」と自信がつきました。
 この学校では上記以外のことでもめったに体験できないようなことがここに書ききれないほどあるので、ここ函館校に入学して卒業することができてよかったと思いました。

卒業して

ロシア地域学科 鈴木 康太

 私はこの学校に入学してたくさんの経験をしました。あまり目標もなく、ほとんど好奇心で始めたロシア語。もちろんゼロからのスタートでした。入学したての頃は「3年生になったら留学実習で初めて海外に行ける。」と思っていました。しかし、ロシア語を学び始めて半年もたたずにJT夏季休暇短期インターンシップ(当時)に参加させていただきました。この時が初ロシア、初海外で不安や嬉しさ、楽しみなどの感情が溢れたことを今でも覚えています。
 2年生では、エカテリンブルグ国際青年キャンプ交流プログラムに参加させていただきました。「1年生の時にもロシアに行けたのにまた行ける!」と思いながら先輩や後輩、他大学の人たちとこのプログラムへ参加しました。そこで「私たちの大学の先輩すごいな。」と素直に思いました。日本にいると先輩や後輩のロシア語を聞く機会はあまりなく、エカテリンブルクで当たり前のようにロシア語でロシア人と会話する先輩はとても格好よく見えました。
 3年生では、入学の時から楽しみにしていた留学実習。これまでに2回ロシアに行ったといっても両方10日前後。留学実習は3か月。不安ももちろんありましたが楽しもうと実習に臨みました。現地ではロシア人だけではなく、ロシア語を学ぶ韓国人や中国人とも交流ができ今までの渡航とはまた違う、有意義な実習だったと思います。
 4年生ではわからないことだらけの就職活動がありました。自分には特にやりたいこともなくとても苦労しました。やりたいことが分からなかったのでとりあえず様々な合同企業説明会に行き、やりたいことを見つけ、その企業に入れるよう努力しました。
 このほかにも書ききれないほどのことがありました。友人が次々と学校をやめて行ったり、自分が学校をやめようとしたり、先生が夜遅くまで卒業論文を指導してくださったり、いろいろあります。
 このように私はこの4年間で様々な経験をしました。きっかけやチャンスをくれた教職員の方々、刺激を与えてくれた先輩や後輩、クラスメイト、そしてすべてにおいて支えてくれた家族に心より感謝します。この経験を糧にこの先も感謝を忘れず様々なことに挑戦し努力していきたいと思います。

4年間を振り返り

ロシア地域学科 山之内アナスタシア

 私の大学4年間は、長くてとても濃いものだった。日本に来てからおよそ15年の月日と共に忘れてしまったロシア語を思い出すため、そして今後の就職に活かすためにロシア極東大函館校に入学を決意した。
 日々の授業では、今まで聞いたり話したり、また本の中で出会う言葉の作り方や疑問を解決した。将来への不安が湧き出た時には、『今あるものを素直にやればおのずと結果に繋がる』という言葉を念頭に置き、日々の学習に励んだ。その結果、4年間でロシア語の基礎を定着させ、読解力とそのスピードの向上を実感した時は大変嬉しくなった。それが分かるのは、学校のテストで数字として結果を見たり、留学時の何気ない会話の時など、実感した瞬間は様々だが、できたという自信になり、たとえ辛く感じることがあっても学ぶ楽しさを感じた。
 函館での学習以外では、JT奨学金海外インターンシップに参加しビジネス面から日露関係を見たこと、モスクワとサンクトペテルブルクで実際にロシアの歴史のある場所を訪れたことが印象的だった。
 また留学ではロシアで生きる事の大変さを感じつつ友人との交流や日本では味わえない感覚を体験することができ、大変楽しい思い出になった。
 毎年学年末で書くレポートや論文では、ロシアやスラヴ世界についての内容を選ぶことで、ロシアとその周りの国々の言語の繋がりやロシアを多方面から研究する事ができ、新たな発見を知る喜びを感じた。
 いつも支えてくれて、楽しい思い出を一緒に分かち合ってきた友人達、興味深い内容を愛を持って指導してくださった教授陣、私のロシア語を学ぶという夢を応援し支えてくれた家族に感謝している。
&ensp:この4年間マイペースであったが、実りのあるものになった。

卒業にあたって―高齢者の学生体験―

ロシア語科 阿部 眞澄

 私は定年退職後に入学し、この度何とか卒業に至りました。語学学習の特性の故か、大学生を通り越して高校生にまで遡ったような気がした2年間でした。周りの方々のお心遣いで、若者に混じっても全く違和感を覚えずに学生生活を送ることができました。感謝に堪えません。今は久し振りに大人の世界へ社会復帰する気分です。
 高齢での語学の習得は難しいと承知はしていました。でも、いつかこの言語を正式に学べたら、という若い頃からの願望が、時間的な制約から解放されてやっと叶えられたのです。
 実際に入学してロシア語学習に本格的に取り組み始めると、その難しさは想像を遥かに超えていました。入念に練られたカリキュラム、覚えるべきことの膨大さに圧倒されました。しかし、否応なく机に向かわざるを得ない状況に追い込まれるのは私が望んだことでもあり、怠け者には最上の環境でした。呑み込みの悪さに苦しむ自分すら、どこか客観的に楽しんでいたように思います。
 勉強に明け暮れたはずなのに、入学時に思い描いていた自然に会話ができるレベルは未だ遠い道程です。不甲斐ないですが、この2年の成果を自分なりに納得しています。
 それにしても、ロシア人はこの複雑な言語を当然のように日常会話で駆使しているのか、と改めて驚きます。周囲でロシア語が普通に飛び交う、ロシアをより身近に感じられるこの学校で学ぶ機会を得たことは幸せでした。
 今回すぐには東京の家に戻らず、当面函館に留まることにしました。本校の科目等履修や市民講座等で、卒業後のセカンドステージの勉強法を実践してみることとしたのです。
 ロシア語学習を自己満足だけで終わらせず、何らかの形で還元できるようになるまで、勉強を続けたいと思っています。好きこそものの上手なれという言葉を信じて。

函館校でのおもひで

ロシア語科 中谷 嶺

 思えば色々ありました。地元関西を離れ、津軽海峡を越え、北の大地を踏みしめて早2年になります。北海道と言う土地は、昔から大のテレビっ子である私にとって、愛してやまない番組『水〇どうでしょう』がやっている場所ということもあり、漠然とした憧れがありました。ロシア語学習に意気込んでやって来た身でありながらも、何か心のゆとりを持とうとチャンネルを回す日々もありましたが、忙しくなった今では毎朝の『onちゃんおはよう体操』を見る程度になった今日この頃です。・・・閑話休題。
 本校の門を叩いて間もない頃、ロシア式の名前を名乗ることが慣例になっていることに驚いたことを今でも覚えています。Eテレのロシア語講座に出演していた女性由来でその名を襲名して以来、ジェーニャとしての生活が始まりました。簡単であろう下の本名で未だに呼ばれないあたり、おそらく芸名のようなものだと認識しています。
 さて、行事を振り返ると、АБВГ-Dayとウラジオストクへの短期留学の二つがやはり印象に残っています。АБВГ-Dayでは、原稿やネタを日本語で書き上げること自体は容易であるものの、ロシア語への訳出の困難さ、言語の転換により話の面白さが伝わらないことのもどかしさを感じました。必死になって覚えた原稿がとび、本番でほとんど見てしまうという醜態をさらしたことも悔やまれます。私と演者の二匹は、一表現者としてひどく落ち込み、大反省会を開いたことは言うまでもありません。
 留学実習で初日の夜から洗礼をうけたことは記憶に新しいです。自分を含めた4人を乗せたタクシーが目的地に到着したのはいいものの、自分が滞在する寮のちょうど反対側の寮に着いたことにより、一人だけ慣れない夜道に取り残されました。傍には、重量制限上限まで夢と期待とガラクタの詰まった23㎏のパンパンのスーツケース。およそ長時間の持ち運び用に作られていないであろう代物を寮まで1時間かけて押して行ったH先輩とのあの夜は生涯忘れることはないでしょう。涙がこぼれないように上を向いて歩けなんて歌詞がありますが、上を向いても涙はこぼれるもの。函館に来て数少ない涙の1回がこの時だったと記憶しています。しかし涙の先には、ウラジオストクの星空が広がっていました。
 このように様々な経験を通して、いい意味で自分の常識や価値観が壊れ、めまぐるしく変わっていった日々はさながら格変化のようであり、今ではそんなこともあったねと思いを馳せる毎日です。
 さて、そろそろジェーニャとしての生活が終わりを告げようとしています。ここに来る前と後の自分。毎日の八幡坂の昇降を通じシェイプアップした身体、そして何よりも変わったであろうロシア語力を信じて…。この辺りで筆をおこうと思います。

卒業を迎えて

ロシア語科 大場 圭吾

 過ぎた日々を振り返ると、様々なことが思い出される。日本各地から集まった、個性豊かな学友と勉学に励む日々は、とても刺激的であった。
 私たちのクラスにはロシア語を学んでいたという学生は少なく、文法や発音など、それぞれロシア語に苦戦してばかりだったように思う。しかし共に学ぶ学生がいたから、毎日の授業を通してロシアへの興味、好奇心は増し、勉学への意欲を保ち続けることができた。そして、日々難易度を増していくロシア語の授業についても、ともに学ぶ学生の助けが大きな支えになった。
 歴代の卒業生の方々と同じように、学生生活での一番の思い出はウラジオストク本学への留学実習だ。現地の学校では多国籍のクラスメイトや周りの人々に助けられ、一か月間を快適に過ごすことができ、そこでの生活から考えさせられることも多く、本校の卒業生としてロシアを語る上で貴重な体験ができた。
 留学以外にも印象に残ることは多い。学んだロシア語を用いて、それぞれが興味のある分野で発表を行う「АБВГ -Day」、例年盛り上がりを見せる「はこだてロシアまつり」、学内での活動だけでなく、開校25周年を記念して開かれたコンサート「『極東の窓』から」など、それぞれの行事に取り組み、学生生活中の思い出をつくることができた。
 また、こうした経験から、自主性や、能動的に行動することの大切さも学ぶことができた。私にとって、まさしく『あっという間の二年間』であった。ここで得た知識や経験を忘れずに、これからの生活や仕事に役立てていきたい。