学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.79 2014.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

我が極東連邦総合大学函館校が成人を迎えた/ロシア極東連邦総合大学函館校校長 校長イリイン・セルゲイ

周知のとおり、1793年に初めて函館港にロシアの船「エカテリーナ号」が入港した。その年から函館とロシアのみならず、日ロ交流の最初のページが開かれた。
 日露和親条約(ロシアでは『下田条約』として知られている)によって、長崎、下田、函館は開かれた港になった。1858年函館に日本で最初のロシア領事館が開設された。この年が、日本人、函館の人たちにとって初めてロシアの文化や西洋の先進技術が直接紹介され始めた年と考えて良いだろう。
 ゴシケーヴィチ領事は、ロシア領事館が開設された年、函館に初めて病院を設立した。このロシア病院では、ロシア人と日本人の患者たちが、区別なく治療を受けられた。ロシア領事館の館員の一人は、写真に凝り、函館の住民に写真術を教えたことは有名な話である。ロシア料理を作る初めてのレストランも函館にできた。それは今日までロシア料理の伝統を大切に持ち続けている有名なレストラン「五島軒」だ。
1916年に完成した(再建)ハリストス正教会のしなやかな、純白の建物は全国に「ガンガン寺」の名で知られ、函館のいわゆる「観光名所」になったと言えるだろう。つまり、ロシアの文化は函館の歴史、そして現在に至るまで、しっかりとした足跡を残していると確信している。
 ペレストロイカ時代の80年代末から90年代の初めにかけて、特にソ連崩壊後は、函館とロシアの交流史に新たなページが開かれた。1989年に函館日ソ親善協会(現函館日ロ親善協会)が誕生した。函館市は1992年にウラジオストク市と、そして1997年にはユジノサハリンスク市と姉妹都市提携を締結した。
 姉妹都市交流事業の中で、日本側にとっても、またロシア側にとっても、1994年の4月、日ロ間で歴史上初めてロシア極東国立総合大学(現ロシア極東連邦総合大学)函館校が開校し、これは大きなイベントになった。ただし、日本で唯一のロシアの国立総合大学の分校が函館に設立されたのは必然的と言えよう。
 他方、函館の姉妹都市ウラジオストク市にある極東連邦総合大学は、114年の歴史を持つロシアの極東における最古の高等教育機関(前身は「東洋学院」)である。ここでは、モスクワ大学とサンクトペテルブルグ大学に次いで1890年代から日本語の教育、日本研究が行なわれている。長年にわたり現極東連邦総合大学は、ロシア極東地域で唯一の総合大学として古くから教育活動を行ってきており、すばらしい伝統と豊富な経験を持つ高等教育機関の一つでもある。
 現在、極東連邦総合大学では約41,000人の学生が学び、約1,600人の教員(そのうち8割が博士号取得者)が活躍している。大学は9つの学部と函館校を含む11の分校などを有しており、急速な発展を遂げている現代的な教育機関である。
 さて、我が函館校は、2014年4月11日に開校20周年を迎える。ウラジオストク本学の歴史と比較すれば函館校の歴史はまだ浅いものだが、この20年間に得た経験は非常に大事なものだと私は考える。
 実は日本では、ゴルバチョフのペレストロイカ時代にソ連(当時)に対する興味が高まり、ロシア語を勉強したいと考える人々の数が増えた。しかし、90年代初めにソ連(ロシア)国内の政治・経済が不安定となり、いわゆる『ロシア語ブーム』はほとんど消えてしまったと言えよう。
 一方、日本には、東京大学、東京外国語大学、早稲田大学などといった、ロシア文学やロシア語を教えている有名大学がある。単にロシア語を話せるとか、ロシア文学を知っているとかいう人は、何も大勢いる必要はない。そのような理由から、新設の函館校では、これまで日本にはなかった専門性や日本人の若者に魅力があり、面白い教育プログラムを用意しなければならなかった。また、ロシア国内の政治・経済分野の急激な変化を考えあわせれば、近い将来、日本でそしてロシアで必要とされる専門家を育てなければならないことは明らかだった。それ故に函館校は、日本の学校で教えることのないロシアに関する様々な分野の知識を与える「ロシア地域学」を教えることに決めた。地域学では、学生たちは研究対象国に関する様々な分野の知識を得ることができる。なぜなら、単に研究対象国の言葉が分かるだけでは、国と国との諸問題を解決し、さらに発展させることは不可能だからである。
 函館校の地域学科(4年制)の学生たちは、ロシア語はもちろん、ロシアの歴史・地理・民族学・経済・政治制度・文学・文化史など、ロシアのエキスパートになるために必要な科目を学んでいる。
もちろん、ロシアをよりよく理解するためには、その国を体験しなければならない。函館校の学生たちは、1カ月から3カ月、必修カリキュラムとしてウラジオストクの本学に留学する。留学中、学生たちはウラジオストクでロシア語を勉強するだけではなく、実際にロシアの文化を知り、ロシア人の日常生活を見聞するチャンスを得ることができる。
 ロシアのエキスパートを育成するという課題は、当校にとって一番大事なことだが、教育は文化の一部でもある。仮に函館校の新入生が、ロシアについて「文化を含めて」浅い知識しか持っていなければ、日本人全般のロシアに関する知識が低いと言えよう。それを証明するために、特別な調査を行う必要はない。ロシアに関する知識が浅いことを証明するには、「日本に地理的に一番近い国はどこの国か」と問えば十分だろう。常に圧倒的に多い答えは、「韓国」である。
 近くて遠い国といわれるロシアは、地理的に近いだけでなく、文化的にも近い国になるためには、何をしなければならないだろうか。ロシア国民と日本国民が実質的なレベルで相互理解を深めるためには何が一番必要なのか。私は1997年に函館校に着任した時、この問題を考え、頭を悩ました。
 函館校は日本で唯一のロシアの高等教育機関であり、函館校にはロシア文化に関する知識を普及させるユニークな機会が与えられている。着任当初、函館校は、単なる学校にとどまらず、ロシア教育・文化センターになるべきだと私は考えた。そこから「函館ロシア文化センター」という構想が生まれてきた。
 函館校は、開校以来の20年間で200人以上の卒業生を輩出した。函館校の卒業生はウラジオストクの本学に留学し、ウラジオストク本校からはおよそ100人の留学生が函館校で日本文化および日本語を学んだ。日露青年交流センター事業でサハリンからの若者の研修生を本校で受け入れた。
 本校主催の「ロシア語市民講座」は、開学以来続いている講座で、長年函館市民を対象に実施してきた。また地方自治体や銀行、民間企業からの委託を受け、ロシア語に精通する社会人の養成を行う「社会人インテンシブコース」で約20人、「税関職員研修」では約80人に研修を行った。
 ロシア語研修以外では、「はこだてベリョースカクラブ」というロシアへの理解を深めてもらう講座を行ってきており、延べ200人以上が参加した。ロシア料理教室は特に人気が高く、数回の開催に多くの市民が参加した。このほか函館校の教授陣は、函館市民、税関職員、ビジネスマンなどを対象に講演を行ってきている。
 函館校は事実上ロシア教育・文化センターになったと確信する。2008年に「ロシアの世界」基金による「函館ロシアセンター」が設立されたのは、その証しと言えよう。歴史のまだ浅い当校ではあるが、函館市民がロシアの文化をより理解し、両国民がさらに親しくなるための助けとなっていると確信している。
 日ロ関係では、今のような状態が永遠に続くとは考えられない。私たちみんなで力を合わせて努力することで、少しでもロシアと日本が、地理的だけではなく、精神的、文化的にも互いに近づいていくものと期待している。

学生からの寄稿

ロシア地域学科卒 工藤 美咲

入学してから卒業までの4年間はあっという間でした。文字すらよく知らないまま入学し、わからないことだらけで毎日苦労していた1年生の頃のことを今でもはっきりと覚えています。何度もくじけそうになり、学校を辞めてしまいたいと思ったこともしばしばありました。しかし、諦めずにこうして4年間過ごしたことで、忍耐力がついたような気がします。そしていつの間にか極東大が大好きなんだなと感じるようになりました。ついていくのに必死だった授業や大嫌いなテストでさえも、今となっては良い思い出です。
 はこだてロシアまつりやマースレニッツァ、留学、北方四島交流事業の国後島訪問なども、この学校に入学しなかったら体験できなかったことだと思います。入学して、本当に良かったと思っています。
 4年間、本当にお世話になりました。極東大で経験したこと、学んだことを決して忘れません。

ロシア地域学科 鍋谷 真依

ロシア語のキリル文字も正確に知らなかった私が、まさか4年間ロシア語の勉強を続けられるとは思っていませんでした。
 最初のうちは毎日進んでいく教科書、増えていく単語に頭を抱えていました。しかし、いつの間にか色々な事を覚えていくことが喜びに変わり、毎日の学校が楽しみになりました。ただ教科書を黙々と学ぶのではなく、ロシアの歌や映画とともに、楽しみながらロシア語を勉強するという機会があったのも、ロシア語の勉強が喜びに変わった一因だと思います。
 4年間を通して様々な経験をしました。「はこだてロシアまつり」ではロシアの料理を知り、ロシアの風習も身をもって体感しました。民族衣装体験は、まるでロシア人の一員になったかのようで、とても嬉しかったのを覚えています。
 「コール八幡坂」の合唱サークル活動ではロシア語でロシアの歌をたくさん覚えました。そのおかげで普段もロシアの歌を聞くようになり、何気なく口ずさむ歌はロシアのものばかりになりました。
 言語まつり「АБВГ—Day」では、普段勉強の面で交流することのない他の学年の学生と、お互いにロシア語で発表をしました。その発表を通してロシア語、ロシアに対しての新たな魅力を発見することもありました。
 ウラジオストク留学では、「ルースカヤシュコーラ」で他国の留学生とともにロシア語を学び、見学や観光、買い物も一緒に行きました。日本人には無い授業中の発言の積極性や、文法ではなく語彙力を重視した勢いのある会話など、見習わなければならないことが多くあると気付かされました。