学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.78 2014.1 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

マースレニッツァ/ロシア極東連邦総合大学函館校副校長デルカーチ・フョードル

日本同様、古来ヨーロッパの諸民族の生活基盤は農耕だった。そのためだろうか、一年で最も重要な時期は農作業の開始時期、つまり冬から春への移行期にあるとみなされてきた。かつては、ほとんどのヨーロッパ民族にとって、この時期が新年だった。ラテン語の「セプテンバー」は、何も9番目の月のことではない。「7月」を意味する(セプト=セブン)からきているのだ。このことからも明らかなように、現在の3月が、元は1番目の月だったのだ。
 季節の変わり目には渡り鳥が移動する。そして古代エジプトから中国、さらにはシベリアに至る多くの民族が、鳥は人間の魂を運ぶものと考えていた。古来スラブ人は、秋に去り行く渡り鳥は、死者の魂を天国に運ぶと信じていた。つまり冬は自然の死と眠りの、そして春は復活の季節と考えられていた。農耕民族の生活には一定のリズムがあり、例えば、夏は子どもを授かる時期と決まっていた。渡り鳥は春に戻り、それと同じ頃、つまり6月ごろに子を身ごもった。人々は粘土や木から作られた鳥の形をした笛を吹き、暖かさと新しい生命を運んでくる鳥たちを呼び寄せた。ロシア人にとっては、古来より春の象徴はヒバリである。ロシア各地でパン生地から作られた伝統的なヒバリの置物が見られる。想像力を駆使して作られた華やかな鳥の形をしたパン細工は、ヒバリというよりもむしろ孔雀のようだ。ヒバリの形をした甘い焼きパンも伝統的な春のお菓子だ。
 農作業の始まる直前の時期を盛大に祝うことも慣習だった。はるか昔には、祝いの期間は最低でも2週間続いたといわれている。人々は歌や踊り、格闘技などを楽しみ、滑稽かつ怖ろしい服装で着飾り、仮面を被った。日本の七夕と同じように、子供たちはお菓子などをもらった。スラブの世界でこの祝祭の伝統的な食べ物といえばブリヌィ(ロシア風クレープ)だった。ブリヌィは、元は儀礼的な食べ物で、太陽を意味し、先祖へのお供え物だった。祝祭期間の最後には、冬と死の女神「モレーナ」のワラ人形を燃やし、その灰を野や畑に撒いた。
 ヨーロッパにおけるキリスト教受容後は、教会が古代の儀礼を「異端」と見なし圧迫した。しかし人々にとって大切な春の祝祭を完全にやめさせることはできなかった。現在、春の祝祭期間は一週間にまで縮まり、それが終わるとすぐに復活祭前の大斎週間が始まる。大斎週間は肉も乳製品も食べてはならない。
現在の春の祝祭の名前もキリスト教から来ている。カトリックでは、「カーニバル」(ラテン語でCarni Vale、「さらば肉よ」の意)と呼ばれ、ロシアでは「マースレニッツァ」、すなわち「バター祭」と呼ばれている。というのも、この期間は、肉を食べることは既に禁止されているが、乳製品はまだ食べることが許されているからである。死神モレーナのワラ人形も、かつての名前は忘れられ、今では単に「マースレニッツァ様」と呼ばれている。
 マースレニッツァ週間は、各曜日に行われる行事などが決まっている。ほとんどの行事は家族の絆を深めるために行われる。最初の三日間は、「小マースレニッツァ」と呼ばれ、仕事をしても良いことになっているが、木曜日以降は、「大マースレニッツァ」という本格的な祝祭期間が始まり、人々は全ての仕事をやめ、遊ぶ。
 月曜日・ВСТРЕЧА=歓迎
 妻が実家に泊りに行き、夫は自分の両親を連れて妻の実家に遊びに行く。ブリヌィを焼く作業が始まり、麦わらやぼろ服からマースレニッツァのワラ人形を作る。
 火曜日・ЗАИГРЫШ=遊び始め
 適齢期の娘たちのお見合い。若者は復活祭の後に行われることになっている結婚式の準備を始める。人々はお互いの家に遊びに行く。
 水曜日・ЛАКОМКИ=ご馳走
 夫は妻の母の家に行き、ブリヌィをご馳走される。
 木曜日・РАЗГУЛ=大盛上り
 ロシア人にとってマースレニッツァは湧き出す命の象徴である。そのため、マースレニッツァの期間は、大いに食べ、飲み、男の力を見せつける。町の広場や公園には、高い木の柱が立てられ、そのてっぺんには貴重な賞品が引っ掛けられる。そこまで登れば、どれでも好きな賞品をひとつ取って良いことになっている。ところが柱には水が掛けられ、凍っているため簡単ではない。たいていの場合、男は上半身裸かパンツ一丁で登るしかない(コートは重いし、熱い身体に氷が引っ付く)。柱の周りに集まった大勢の人たちは、頑張る男を激励し、滑り落ちる者には口笛を鳴らし、囃し立てる。
 もう一つのマースレニッツァ・アトラクションは、「壁対壁」という遊びである。今で言うところの集団相撲のようなゲームで、若者たちは二手に分かれ、腕を互いに組んで「壁」を作り、相手のチームをフィールドの外へ押し出すというゲームである。昔は、二手に分かれて本気で殴り合ったものだ。ただし、それにも掟があり、その一部は後に一般道徳になっていった。誰もが知っている、「倒れた者を殴ってはならない」、という闘いの掟は、一般的にもこれを破ることは極めて不道徳と見なされているが、元をただせばマースレニッツァの「壁対壁」の闘いの掟だった。
 同じ木曜日には、「雪の砦」という雪合戦の一種が行われる。大きな雪の砦を建てて、女子は守りに、男子は攻撃側になり、雪合戦を楽しむ。最後に雪の砦を壊すが、これは冬への勝利を象徴している。
 金曜日・ТЁЩИНЫ ВЕЧЁРКИ=妻の母(義理の母)の夕べ
 夫は妻の母を家に迎え、ブリヌィでもてなす。
 土曜日・ЗОЛОВКИНЫ ПОСИДЕЛКИ=夫の姉妹の会
 妻は夫の姉妹たちを家に招き、ご馳走し、土産を贈る。
 日曜日・ПРОВОДЫ=お見送り
 モレーナのワラ人形を町はずれに運び燃やす。「マースレニッツァ様」を見送る人々は、四旬節のことを既に頭に浮かべているため、マースレニッツァのことを「騙し屋」と呼んだり、それに対するふざけた歌、時には品の良くない歌詞をつけて歌うこともある。
Масленица-обманщица,
на Великий Пост,
дала редьки хвост!
(和訳:やい、騙し屋のマースレニッツァめ、大斎期間中はダイコンのしっぽしかくれねぇのかよ!)
 マースレニッツァの最後には、人々が(別に悪いことをしたわけではないが)お互いに許しを請う習慣がある。そのためこの日のことは「許しの日曜日」とも呼ばれている。これから苦労の一年が待っている。
だからみんなの調和が頼みの綱なのさ…

学生からの寄稿

ウラジオストク(3ヶ月)留学報告 ロシア語科2年 久保井 俊樹

1.授業
 文法の授業では、練習問題が豊富な教材を使ったため、毎日アウトプットの繰り返しであった。
 長文の中には、フランス語からの芸術や劇場関係の語彙が多く、スラブ語系の語幹による意味の推測が難しいため、辞書を引くことも多かった。しかし、私のクラスでは、基本的に辞書を引く前にまずグループの中でその単語を知っているものがいないかを聞き、誰も答えられない場合に教師が説明するという形をとっていた。授業の進行を早めたいのなら、予習は必須であろう。
 会話の授業では、宗教、軍事、青少年に関する諸問題など、テーマが多様なため、個々の分野に関する基礎知識がない者には、文脈による意味の予想が難しい。知識がある者の2〜3倍は辞書を引かなくてはならないため、苦労するだろう。троица(三位一体)、адмирал(海軍将官) 、беременность(妊娠)など。しかし、そういった語彙には、英単語と似たものが多く、予想することは難しくなかった。
 授業の評価としては、文法の教師は経験もあり、教え方も素晴らしいものであったので、ロシア語の上達を実感できたが、会話の教師は若く、経験に乏しかったため、身についたことはさほど多くないのではないかと思われる。ただ、二人とも人柄は良かった。

2.生活
 現地入りしてすぐにスリの洗礼を受けた。財布を盗られているということがわかっていたため、犯人が逃げた後、すぐに近くのカフェから日本へ連絡し、クレジットカードなどを停止することができた。このような迅速な対応ができたのも、現地に住むある女性のおかげであり、感謝に絶えない。
 ウラジオストクには中国系、韓国系レストランが多いため、もしロシアの食事が合わなくても心配する必要はない。寮の食堂で食べたボルシチは大変おいしいものであった。
 寮では10月の中頃までお湯が出なかった。ロシアではこのようなイレギュラーも多々発生するため、日本での生活と同じような認識では生きていくことが難しいかもしれない。財布を盗まれた後の、警察での対応もよくはなかった。
 早くに日本人学生やロシア人学生と知り合ったため、行動範囲が広がっていった。ルースキー島に住んでいる日本語学科の学生たちとは何度も交流し、日本でも冬休み中に会う約束をするほどの関係になった。私のウラジオストク生活の支えになったのは彼らであり、これからも良好な関係を続けたいと願っている。