学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.77 2013.10 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

今日のウラジオストク/ロシア極東連邦総合大学函館校准教授イリイナ・タチヤーナ

ウラジオストク近郊のルースキー島でAPECサミットが終了して1年が経ちました。サミット用に建てられたホテル、会議場、そしてその他の建物が、極東連邦総合大学に移管されました。9月には新たな講義室で講義が始まり、学生たちはルースキー島の新しい寮に移りました。
 8月、私は極東連邦総合大学の「オープンキャンパス」に出かけてきました。キャンパスの広大さ、大学の本部棟の巨大さに驚かされました。私たちは、キャンパスのあちこちを歩き、極東大の学生もしくは教職員だけが立入ることができる海岸に出ました。この日は、希望者全員に許可されていたため、海岸には大勢の人がいました。
 ルースキー島には、街中を走り、二つの新しい橋を渡る15番の市バスで到着します。金角湾に架かる橋のことは、「金の橋」と呼ばれています。バスの運賃は、他の通常の市バスと同じく17ルーブルで、現在のレートで50円強といったところです。

 ロシアでは市営の交通機関の切符の値段は、距離に左右されません。ウラジオストクでは、次の停留所で降りようが、20先の停留所まで乗ろうが関係なく、17ルーブル支払えばよいのです。
 私はルースキー島での生活について、現在ルースキー島にある寮で暮らし、ロシア人の学生に日本語を教えている本校の卒業生から教えてもらいました。おしゃべりの中で、彼女はルースキー島での生活そして仕事に関して、一つとして愚痴を言うこともなければ、不満を述べることもありませんでした。仕事は面白く、気に入っているとのことでした。
 もう一人、ウラジオストクで暮らしている本校の卒業生がいます。彼女は、ウラジオストクで働いているご主人と二人のお子さんと共にウラジオストクで生活しています。彼女と一緒にカフェに行き、ウラジオストクで映した写真の数々を見せてもらいました。
 夏、ウラジオストクでは、多くの興味深いイベントが行われており、女の子たちは積極的にイベントを訪れます。ロック・フェスティバルの写真を見せてもらいましたが、そこには何年か前に函館で公演したことがある「ムーミ・トゥローリ」も出演していました。また、花火大会の写真もありましたが、この大会にはロシア人職人だけでなく、中国や日本の職人も参加し、競い合いました。私は花火を自宅のベランダから見ました。それは見事な眺めで、一斉に間断なく花火は打ち上げられ、夜空に紅色に美しく映えていました。
 9月には国際映画祭が開催されました。そこでは日本映画も上映されました。私はシンガポール映画を見ましたが、その内容は、同情もあわれみの余地もなく、少年にとって一番近い人はフィリピン人のお手伝いさんという、巨大都市における過酷な人生を描いたものでした。映画祭のチケットは、高くありませんでした。私は100ルーブル支払いました。日本円で300円強といったところです。この時期、街ではモスクワやサンクトペテルブルグから来た演劇が上映されており、サーカスも上演されていました。
 街の広場では、ほぼ毎日、市営の露店が出ていたり、無料コンサートが行われていたりしました。ある時、私は露店で道産品を見つけました。これは函館の会社が製造しているハンドクリームと昆布茶でした。他の商品は既に売り切れていました。日本製品はロシアで非常に人気があり、売り子によると、彼らは日本製品をこれまでに何度もウラジオストクに持ち込んでいるそうです。

 こうした関係は、両国間の関係向上には非常に重要なことで、本校の卒業生は、こうした高邁な事業に寄与するものと考えています。

短 信

ウラジオストク訪問記 准教授・学務課長 倉田 有佳


懇談後本部棟の前に立つイリイン校長

 去る8月10日から24日までの2週間、ウラジオストクを訪問してきた。前半1週間は出張で、後半1週間は自己研修であった。
 このたびの訪問の最大の目的は、イリイン校長と共に、本学の極東連邦総合大学イワニェツ学長にお会いすることだった。幸いイワニェツ学長との懇談は実現し、約1時間にわたり、イリイン校長からは函館校の現状を伝え、双方で今後の可能性について意見が交わされた。

 さて、極東連邦総合大学は、この9月の新年度からルースキー島の新キャンパスに移転した。大学寮も完全に移転した。本学で学ぶ学生1万7千人、教員は3,400人(9月4日現在)の大移動である。しかし、大学図書館のように、新キャンパスにはない施設については、当分の間、そのまま使われるそうである。この図書館は数年前に完成して、蔵書検索は電子カタログから行い、建物内には国際会議を開催できる機能を備えたホールまである。オープニングに際しては、プーチン大統領が来校したとも聞く。ここにイリイン校長と訪れ、畠山重篤著『カキじいさんとしげぼう』の露語版を寄贈した。この畠山さんの自伝的童話をロシア語に訳したのは、本校のアンドレイ・グラチェンコフ先生である。
 次にイリイン校長と訪れたのは、大学図書館からほど近い場所にある「ロシア語学校」だ。ここは、本校学生が留学時にお世話になる。「ロシア語」だけでなく、「ロシア史」の授業も行われていることを知り、日を改めて特別に出席させていただいた。受講生は、日本人3名、韓国人2名、中国人1名の計6名。語学レベルやロシア文化や歴史の知識に個人差が大きいように感じたが、学生にとって難しそうな単語が出てくると、教師がゆっくりと、簡単なロシア語で言い換え、理解を補っていた。
 ところで、私が前回ウラジオストクを訪問したのは、2011年8月のことで、既にAPEC開催に向けた大規模なインフラ整備が始まっていた。APECから約1年が過ぎた最新のウラジオストク事情を知るべく、ウラジオストク日本センターを訪れた。大石所長が三菱商事のOBと知り、本校の学生がロシアで働く場合の留意点などについて質問させていただいた。大石所長からは、「日本語ができるロシア人職員には、日本語能力を求めるというよりも、外国人がつかみ切れない感覚的なもの、ロシア人の発想を我々日本人に伝えてもらうことを期待している。一方、ロシア語ができる日本人に求めるものは、ロシア語のわからない日本人の上司に対して、日本語でロシアの実状・実態を語りかける能力である。情報を咀嚼し、日本人にうまく伝え、日本の会社でのマネージメントに役立てることが重要な役割となる。」などと、たいへん参考になるお答えをいただいた。さらに続けて、「ロシアで仕事をしていく場合、仕事相手はロシア人だけとは限らない。ロシア人以外の外国人とは、英語が共通語となる場合が多い。そのため、英語ができてロシア語ができる、もしくは同程度の能力を持っていることが大切だ。日本が世界に自信をもって広めていけるものとそうではないものを見極めて行くためのセンスを磨くことが大事。日ごろから自分の着眼点をもっている学生は、就職の面接の際に頼もしく映るもの。」、などという有益な助言もいただいた。
 大石所長のご紹介を受け、住友商事の富田極東・シベリア代表にもお会いしてきた。富田代表は、函館ラ・サール高校出身で、時々は函館に帰省することもあるという。「函館からウラジオストクにもっと人が来てほしい。必ずしも経済訪問団である必要はない。」、「ロシアに関心が向けば、貴校への入学者も増えるだろう」、などと、函館へのエールをいただいた。
 日本センター職員オリガ・スマローコワさんの紹介で鳥取県ビジネスサポートセンターを訪れ、ロシア人職員のアンナさんからお話をうかがった。それというのも、現地のロシア人から、今、最もロシア交流に力を入れている日本の自治体は鳥取県だ、と聞いていたからだ。アンナさんは極東大学で日本語を勉強し、仙台で7年働いていたというが、たいへん流暢な日本語を話す。

 アンナさんのお話をまとめると、「鳥取県産スイカのような高級食材を買う金持ち層はウラジオストクにいる。ただし、8月初めに地物の安いスイカが巷に出回り始めるため、それまでが勝負。和食ブームを受け、日本製の調味料やドレッシング、カレーのルーなどが現地の高級スーパーで売られている。賞味期限が長く、1回使って終わりではない調味料の人気が高い」。説明は具体的であり、たいへん興味深かった。
 さて、後半の1週間は、ロシア国立極東歴史文書館に通った。3度目となる今回は、帝政ロシア時代最後の在函館ロシア領事E.レベデフの東洋学院時代の史料調査に当たった。東洋学院は極東連邦総合大学の前身で、1899年にウラジオストクに開学した。幸い、レベデフ直筆の身上書や学校での成績表など、レベデフを知る上で重要な史料の数々を閲覧することができた。日露戦争で捕虜となった経験があってか、函館ではあれほど日本嫌いで有名だったレベデフも、若き日には日本語や英語の習得に懸命に励んでいたようだ。
 最後にウラジオストクの全体的な印象を述べると、APEC開催を機に、金角湾横断橋や空港からの幹線道路の完成、市内と空港を直結する特急「アエロ・エクスプレス」の誕生、国際空港の近代化など、長年の懸案事項が一気に解決された感がある。少々単純化しすぎかもしれないが、街は活気に満ちあふれ、人々の表情も明るかった。

 今回のウラジオストク訪問は、たいへん有意義だった。これらについては、仕事と研究の両面に反映させていきたい。