学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

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No.76 2013.7 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

私の『ウラジオストク物語』/ロシア極東連邦総合大学函館校准教授・学務課長倉田 有佳

今年4月から本校に勤務し、早や3カ月が経ちました。昨年までは、本校の非常勤講師、国家試験委員長として関わってきましたが、現在は学生募集・就職支援・オープンキャンパス等の学校行事の総括であり、同時に「日ロ関係史」を教える立場に変わりました。そこで今回は、自己紹介を兼ねた「私の『ウラジオストク物語』」を紹介させていただきたいと思います。
 私が初めてウラジオストクを意識したのは、大学3年の夏、「平和と友好の船」でソ連旅行をした際に、極東国立総合大学(現・極東連邦総合大学)の学生通訳から、ウラジオストクは坂の多い美しい街で、素敵な映画館があり、街の美しさはハバロフスクの比ではない、という自慢話を聞かされた時のことでした。当時のウラジオストクは閉鎖都市でした。すぐに訪れる日が来るとは思えませんでしたが、この日以来、いつか訪れたい!と、強い憧れの気持ちを抱くようになりました。
 それから約15年後の1997年秋、憧れが現実となる日がやってきました。ウラジオストクで開催される国際会議「アジア太平洋地域のロシア人」で報告することになったのです。テーマは、前年にモスクワ大学大学院で学位を取得した「1920‐30年代の在日亡命ロシア人」です。ちなみに当時のロシアでは、「Русские за рубежом(在外ロシア人)」のことは、ソ連時代に断続してしまった歴史的空白を埋め、ロシア文化を在外ロシアにて保持・継承してきた人たちとしてとらえられるようになっており、研究者はもとより、一般のロシア人からも注目されるテーマでした。
 この時のウラジオストク訪問が大きなきっかけとなり、1998年2月から日本総領事館の専門調査員としてウラジオストクに勤務することになりました。先の会議で知り合った研究者たちとは、ウラジオストク生活の3年間、様々なテーマで議論し、歴史散歩に出かけるなど、親しくおつきあいさせていただきました。またアルセニエフ博物館の研究員を通じて、「ウラジオストク・ビエンナーレ」(今夏開催の第8回ビエンナーレには、「日本・ウラジオストク協会」が参加予定)、「ヤンコフスキー研究会(Янковские чтения)」、「クルシャーノフ研究会(Крушановские чтения)」、「ハルビン会(Общество Харбина)」など、様々な研究会があることを知りました。このうち「ハルビン会」は、1950年代にハルビンからウラジオに引揚げてきた「ハルビンツィ」を囲んだ茶話会で、最高齢者は70代後半の女性でした。彼女は、1930年代に農業集団化の嵐を逃れ、故郷のヴォルガ地方を後にし、ウラジオストクに暮らす叔母を頼ってきたものの、ウラジオでもクラーク(富農)が就職することは難しかったためハルビンに職を求めて行った、という経歴の持ち主でした。アルセニエフ博物館の素敵なサロンに集い、サモワールで入れた紅茶を飲みながら手作りのサーモン入りピローグをいただきましたが、レシピは、「ハルビンツィ」考案によるものだそうです。
20世紀前半のウラジオストクは、中国人、朝鮮人、日本人などが多数暮らす国際都市でした。極東国立総合大学東洋学大学のゾーヤ・モルグン先生からは、当時の日本領事館、日本人小学校、浦潮本願寺跡、路地裏の遊郭などを案内していただきました。また、浦潮で幼少期を過ごした方々が娘さん連れで再訪された際に、当時の思い出話を聞かせいただくといった機会にも恵まれました。
振り返れば、ウラジオストク時代に様々な知的刺激を私に与えてくれた方々のほぼ全員が、極東大学の卒業生でした。仕事上関わりのあった行政府の幹部、大学や研究所のトップの方々についても然りです。
 3年の任期を終えた後は、ウラジオストク市と姉妹都市提携を結び、活発な交流を展開していた函館市役所に縁あって就職することになりました。約10年間、函館市国際課でロシア交流に携わり、同時期在籍していた北海道大学大学院には10年目にしてようやく博士論文「来日ロシア人漁業家ビリチの生涯―流刑の島から大いなる北の海へ」を提出することができました。ちなみにこのビリチもウラジオストクと縁の深い人物です。
私に多くの宝物を授け、私の人生の転機に何らかの形で関わっていたウラジオストク。「私の『ウラジオストク物語』」は、これからも続くでしょう。

学生からの投稿

1年生特集 『本校に入学して』

ロシア語科 岡安 優弥

心機一転のつもりで入学した本校でしたが、私はここに、これまで受けてきた日本の教育とは大きく違ったものを見出しました。
 本校の授業は大抵の大学とは比較にならないほどの少人数制で、大学の授業というより、むしろ大学院のそれに近く感じられます。ネイティヴの講師陣は大抵の日本人よりも“言語としての日本語”に通暁していると感じられ、彼らと話していると時折、ロシア語どころか日本語に対してすら新たな発見と感動を覚えます。 
 本校にあっては、口を閉じたまま1コマの授業を終えることは不可能です。講師陣には妥協がなく、日本の学校に慣れてきた身にはある種“無慈悲”とも思えるほどに学生一人一人を指名し、また宿題を課します。これは未知の言語を学ぶにあたっては間違いなく最高の環境だと言えましょう。
 この素晴らしい環境に身を置いている機会を活かし、これからの2年間を有意義なものにして行きたいです。

ロシア語科 酒井 星弥

私がこの大学に入学する一番のきっかけとなったのは、入学した年の2月に授業を見学させてもらったことです。日本語をほとんど使わず、ロシア語のみでの授業スタイルに圧倒され、ここでなら実践的な言語を身につけることが出来ると感じたので決めました。
 入学してからは、見学したときの授業スタイルと、個性的な先生のミックスで、とても充実していて、楽しく授業を受けています。
 少人数制なので先生の目も行き届いていて、とても勉強しやすい環境です。ロシア語だけでなく、ロシアの歴史や文化なども科目にあるので、幅広く学ぶことができ、とても歯ごたえがあります。しっかりと基礎を見につけ、ロシアの専門家になれるようこれからも頑張っていきます!

ロシア地域学科 三好 拓

4月から始まった大学生活は、もう間もなく3か月目に入ります。この間、私は一週間があっという間に過ぎ去ってゆくのを感じながら生活してきました。一週間が短く感じられる理由をお話したいと思います。
 極東大での学生生活の中で、最も重要視されるロシア語は、主に文法と会話の二科目に分かれ、ほぼ毎日、それぞれの科目の先生から授業を受けます。授業では先生お手製の教科書を使いながら学習するのですが、授業が毎日あるために教科書の進みが物凄く早く、覚えることもたくさんあります。与えられる課題や、復習をこなしているうちに、一週間なんてあっという間に過ぎてしまいます。
 このような生活を送っていれば、おそらくロシア語が身に付くのも、そう遠くないような気さえします。何にせよ、今は与えられた課題を地道にこなしていくことが自分の将来に対しての不安を掻き消す方法だと思っています。

ロシア地域学科 吉田 翔太

去年、進路の選択に悩んでいた時、「外国語をやってみるのもいいかも。難しくてやりがいがありそう。単純におもしろそう。道民なので少しはロシアに縁があるんじゃないか」など、フワフワした理由で本校への進学を決めた。
 入学し、早2カ月。いま思うのは、ロシア語は本当に難しいということ。最近になって授業のスピードも速くなり内容も複雑化し(まだまだ序の口なのか?)、声にならない悲鳴を上げることも少なくない。
 しかしまあ、教えるロシア人の先生方も大変だと思う。先生方は流暢な日本語を使って説明してくれるのだが、日本語もまた難しい言語だ。日本語の難しさに頭を抱えながら勉学に励んできたのだと思う。その先生たちのおかげで、ロシア語を学ぶ上で本当に恵まれた環境となっているので、なんとか踏ん張って授業についていかなければ。
 これが掲載される頃には7月に入っているだろう。七夕の季節だ。短冊に願い事を書く柄でもないので知らない間に過ぎ去っていることが多い。書いたのは保育所の時ぐらいだろうか…。この学校に入った今、短冊に書かずとも、4年後、無事卒業できる事をただただ願っている。