学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.75 2013.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ロシア料理の「驚き」/ロシア極東連邦総合大学函館校教授アニケーエフ・セルゲイ

ロシア料理と聞いて、まず思い浮かべるのはやっぱりボルシチとピロシキだ。そして、なんだかとても脂ぎったようなイメージがある。しかし、実際にはロシア人はどのようなものを食べているのだろうか、また、ボルシチやピロシキはロシア人にとってどのような存在なのか。そもそもロシア人の一般的な食生活とはどのようなものなのか、ということについて考えていきたい。
 ロシア料理の特徴として、挙げられるのはその質素さである。ロシアには「シチ(キャベツのスープ)のためなら人は結婚する」、「シチとカーシャ(麦のおかゆ)があれば満ちたりた食事」、という有名なことわざが存在するくらいである。ロシア料理には、きのこや魚料理が多く、色々な種類の植物素材、穀物・野菜・草木の実などを利用しようという傾向がある。また、ペチカと呼ばれる暖炉でじっくりと煮込む料理が多い。それはなぜか?
一つ目の理由は、ロシアの寒さだ。あの長く厳しい冬のために、常に十分な食材を得られるわけではない。食材が少なくなる冬に備えて、ロシア人は普通、ダーチャという小屋のような

 小さな別荘に付いている家庭菜園で採れたものを瓶詰などにして保管し、冬の間はそれらを大切に食べていくのだ。
 二つ目の理由は、十世紀末から(ソ連時代を除いて)現在に至るまで、ロシアの国教でありつづけているロシア正教である。ロシアでは、その正教の教えによって「肉を食べてはいけない週」や「牛乳を飲んではいけない週」などが定められており、そうした定めのある期間は一年のうち、二百日近くにもおよんだ。ロシア料理がかなり早い時期から精進料理(植物・魚・きのこ)と非精進料理(牛乳・卵・肉)に分けられ、特に精進料理の方が発展していったのは、正教の定めが厳しく守られていたからだろう。
 庶民のシチとカーシャ中心の質素な食生活とは対照的に、帝政時代のロシアの貴族はものすごく贅沢な食生活を送っていた。例えば、15世紀ごろの皇帝の宴会では50〜100種類の料理が出るのが普通。イワン4世の宴会には500もの料理が、金や銀の皿で並んだらしい。その上、ピョートル時代以後、ロシアの上流階級や貴族は、西欧の料理の伝統を取り入れ始めた。ドイツやスウェーデン、特にフランスが多かったが、それらの国々を訪れた際にコックを連れて帰り、彼らに料理を作らせていた。そのため、フランス料理とロシア料理の間には相互に影響関係が見られる。例えば、オードブル、スープ、魚料理、肉料理……という現在のフランス料理に見られる配膳方法は、その時のコックを介してロシアからフランスにもたらされたもので、それまでフランスではすべての料理が同時にテーブルに並べられるという方法がとられていたのだ。
 ところで、ボルシチは19世紀ごろに生まれたロシアの家庭料理。現在、ロシア料理といえばこれを連想する人は多いと思うが、厳密に言えばウクライナ料理である。ボルシチに入れる具や調理法は、日本でいう味噌汁のように家庭によって様々で、一緒に煮込む肉も特に決まっていないがビーツという野菜を使うことだけは決まっている。ビーツとはカブや大根の仲間でサトウダイコンとも呼ばれている。甘酸っぱいような味が特徴で、世界の砂糖の約40%はビーツから作られている。16世紀ごろまではビーツそのものをボルシチと呼んでいた。
 ビーツとともにボルシチに欠かせないのが「スメタナ」という、牛乳からつくったサワークリームのようなもの。これを仕上げに入れることによって味が引き立つ。
 ボルシチの作り方は40種類以上もあるといわれている。中でも代表的なものが「モスクワ風」、「シベリア風」、「ウクライナ風」。ハムやソーセージを入れるのが「モスクワ風」、具の野菜を細かく刻まないのが「シベリア風」、スパイスをたっぷりと効かせるのが「ウクライナ風」。
 そしてロシア産として有名な食べ物が、キャビア。今も昔も「お金持ちの食べ物」で、庶民の口に入ることはあまりない。先に述べたように、貴族の食文化と庶民の食文化の間には大きなへだたりがあるが、貴族から生まれた「ビーフ・ストロガノフ」は今では庶民の味になっているし、日本でも有名なピロシキは庶民が生んだ味で、のちに貴族が食べるようになったのだ。
 日本でピロシキというと、ひき肉などの具を詰め込んだ揚げパンを指すが、ロシアではその具はきざんだキャベツだけ、ジャガイモだけというものもあるし、調理法も揚げるだけでなく焼くものもある。また、ジャムなどが入った甘いものもある。
 ある国の食文化を調べることは、その国の国民性についても調べることだと思う。ロシアの食文化を調べてみて、一言でいうなら「驚き」である。日本人の間ではロシア人はどこか粗野というか、ぶっきらぼうなイメージがあるらしい。しかし、例えばロシア正教のしきたりを厳格に守っていたり、経済的な理由もあるのだろうが、ロシアに昔から伝わっている質素な食事を今でも日常的に作っていることなどから見ると、信仰心の厚い、伝統を重んじる人々なのではないかと思われる。また、その味付けもレシピを見てみるとシンプルなものが多い気がする。ぎとぎとに脂ぎっているわけではなさそうだ。
 そういう訳で、ロシア料理は日本人にとってなじみやすい味なのではないか。ただ、その量はハンパじゃないので、やはりお酒と同様、料理についてもロシア人と張り合おうとするのは無謀なのかもしれない。

寄稿

退職にあたって 元図書室司書 吉崎 侑

 このたび、15年間務めさせていただきました図書室の仕事を退職することになりました。15年という長い間図書の仕事に携われましたのも、教職員の皆様や学生の皆様のお陰と心より感謝しております。
 図書室に溢れるロシアという文字に囲まれた幸せな15年間でした。小学校の6年生で巡り合って半世紀以上、図書係の仕事が大好きな私が、人生の最終章の日々をロシア極東連邦総合大学函館校の図書室で過ごせましたことを本当に有難く思っております。
 ドアを開けると香ってくる古い本のにおい、ちょっぴり薄暗くて秘密っぽい大学の廊下の佇まい、そしてもう勤務路としては上って来ることはないこの素敵な八幡坂、毎日聞こえていた観光客の笑い声や月に1,2度は展開する大きな白いリムジンから降り立つ幸せそうな新郎新婦の撮影風景など、折々の景気を大切な思い出としてこれからは過ごしていきたいと思っています。
 ロシア極東大学の図書室はロシアと函館の絆の歴史を後世に伝えていく大切な宝の蔵です。これからも大学と共に末永く大切に引き継がれていく事を心より願っています。

卒業式卒業生答辞 ロシア地域学科卒 鈴木 竜斗|ロシア語科卒 平岩 史子

 本日は、私たち卒業生のために、多くのご来賓や関係者の皆様にご臨席いただき誠にありがとうございます。卒業生一同心より御礼申し上げます。
 振り返れば、2年前、あるいは4年前、これから始まる函館での生活に大きな期待や不安を胸に入学式に出席したことが、つい昨日のことのように思い浮かびます。北海道以外から来た学生の多くは、故郷から遠く離れた土地での一人暮らし、外国語学校という特殊な学校生活に慣れるのは少し時間がかかりました。しかしながら、「ロシア語を学びたい」という同じ思いを持った仲間たちに囲まれ、勉強に励むことで、毎日が新鮮で刺激のある生活を送ることができ、生涯忘れられない経験になりました。
 本校では、単なる語学だけでなく、ロシアの文化についても理解を深めることができました。私は合唱サークル「コール八幡坂」に参加し、ロシアの歌をたくさん歌えるようになりました。ウラジオストクに留学した際、自然に囲まれたウスリースクの林をハイキングするという機会を得ました。赤や黄色に色づいた綺麗な木々を眺め、『木々の葉は黄色“Листья жёлтые”』という歌をロシア人の先生方、友人たちと歌いながら散歩をしたことは、私にとって忘れられない思い出です。
 歌だけではありません。そのほかにも、本校での行事を通じ、様々なことを経験しました。言語まつりАБВГ−dayでは、それまで培ってきたロシア語能力を学校全体に披露することができました。また、2月のマースレニッツァでは、長い冬に終わりを告げ、春を呼ぶという民俗習慣を学びました。
 そしてこの春、私たち卒業生一同は2年間、または4年間、勉学に励んできた函館校を旅立ち、それぞれの道を歩んでいきます。新たな環境で困難なことがあっても、本校で学んだ多くの知識、経験を糧に、未来を切り開いていきたいと思います。
 最後となりますが、これまで私たちを優しく指導してくださった先生方、一人一人に目を配り、支えとなってくださった事務局の皆様、本当にありがとうございました。卒業生一同、心よりお礼申し上げます。そして、後輩の皆様方のご活躍と、ロシア極東連邦総合大学函館校の一層の発展を願い、答辞とさせていただきます。