学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.69 2011.10 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ビールと水の戦い/ロシア極東連邦総合大学函館校教授グラチェンコフアンドレイ

ソビエト時代のあるコメディ映画で、ビ−ル売りの主人公がビールを売りながら歌を歌った。この歌は非常に面白くて内容は次のようなものだ。
 「皆さん、ビールを飲んでください。人間を殺すのは、ビールではなく水だから。皆さんビールをたくさん飲んで!」ロシアの水道水の品質からみれば、この人が歌っていることは ほとんど正しい。
 ところが、その他にも彼の歌には正しい点があった。ロシア語では≪вода≫-水と ≪водка≫-ウオッカという2つの言葉は、共通の語幹「вод」を持つ。だからこの歌の意味はもっと複雑だ。彼は言外に「ウォッカをたくさん飲むのは危険だが、ビールを飲むことは危険ではなく、むしろ健康によい」と言っているのだ。なぜなら、強いアルコール飲料であるウォッカと違って、ビールはアルコール飲料ではないのだから!
 ロシアでは古くから「ビールはアルコール飲料ではない」という迷信が、広く根強く普及していた。

 しかも、この映画のビール売りの主人公は、ビールを売りながらそのビールに水を加えることを忘れなかった。彼はそうやってビールのアルコール度を下げようと思ったのだろうか。そんなことはない!彼はそんな簡単な方法で、売り物のビールの量を増やし利益を上げようとしていたのだ。このような手軽な効率的なビールの販売モデルは、旧ソ連時代によく使われていた。
 彼は、国営ビール工場から販売用のビール500リットルを手に入れて、実際には800リットル売った。この差の300リットルはどこから?商品であるビールの「水増し分」から。彼は売る前のビールを水と「結婚」させた。つまり、ビールに水を加えてビールを「水割り」にしたのだ。売上金額の格差に当たる分を売り手は自分のポケットに入れた。
皆さんもご存じのように、水は健康に悪い飲物である。旧ソ連ではビールの生産量は低く、特に生ビールの販売量は非常に少なかったので、一般国民はすでに「結婚」したビールを喜んで沢山飲んだのだ。
  ソ連が終わり新しいロシアが生まれた。生まれたばかりの新生ロシアでは「結婚したビール」の時代は終わり新たなビールが生まれた。ビールの生産量は増加しビールは重要な消費製品となった。
 新しいロシアでは、中学校の生徒から年金生活者に至るまで、皆ビールを飲んでいた。バスや電車の中、学校や大学、病院や工場、会社で飲み、また公園や街角でも飲んでいた。
 立ったり、座ったり、または歩きながらビールを飲んだ。ロシアでは、「健康のためにウォッカではなくビールを飲む」ということになってしまった。ウォッカからビールへの逃避である。健康のためにウォッカから水へ(水は危険な飲物だ!)走る人はいなかった。
 かつて親達は「子供らが麻薬をやるよりはウォッカを飲んだ方がまし」と考えていたが、今では「麻薬をやるよりビールの方がまし」に変わったのだ。
 マスコミ、特にテレビでは朝から晩まで「ビールは楽しくて、実にロシア的な飲み物である」とコマーシャルを流し続けている。
 ウォッカやワインのメーカーは、ビールの進出を阻止することができなかった。一方、ビールのメーカーは、「ロシアの人口一人当たりのビール消費量はチェコやドイツはいうまでもなく、日本やアメリカよりもまだ低い」とした。専門家はビールの増産の余地はまだあると指摘した。
 こうしたビール騒ぎの中で、ロシア社会の急激な出生率の低下と死亡率の増加の問題はほとんどかすんでしまった。ロシアの人口は急激に減少していたのだ。ビールのメーカーの利益を代表するアナリストは、ロシアのビール消費量の増加と出生率の低下あるいは死亡率の増加の間に直接的な関係はないと言っている。もちろん、直接の関係はない。
 しかし、現在ロシアの人口の大部分がアルコールへの依存度が高いのは事実だ。その依存度に大きな貢献をしているのは、ノンアルコール飲料とされるビールだったのだ。
 この夏、ロシアで日本の誰もが驚くような出来事が起こった。ロシア議会の下院が歴史的な法律を採択したのだ。この法律によりロシアではビールがアルコール飲料と認定され、ウォッカと同様に危険な飲物であるとされたのだ。
「結局、ロシアでは良識が勝った」と思いますか?そんなことはない。現在ロシアの生活には良識はない、あるいはほとんどない。では一体、誰か勝ったのか。勝ったのはウォッカ派である。ウォッカのメ−カーは「国民の健康のために」のスローガンの下、ビールのメーカーに強い打撃を与え自分の立場を回復したのだ。
 ウォッカを飲まずにいることはできない、そしてビールを飲まずにいることもできない。したがって、ロシアの人口は減り続けるだろう。そして減少のテンポもいよいよ速まることだろう。

学生からの投稿 『北方四島交流択捉島訪問事業に参加して』

9月11日(日)〜15日(木)まで、北方四島交流北海道推進委員会主催による、第5回交流訪問事業択捉島訪問に参加した学生からの報告を一部抜粋して掲載します。
なお、今後も本校ブログ「極東の窓」、訪問発表会等を通じ、択捉島訪問についての報告をしていく予定です。


函館空港にて

■択捉島の現状 ロシア地域学科1年 河瀬 愛子

択捉島は北海道・本州・四国・九州を除き日本で一番大きな島であり、現在は約7,000人のロシア人が住んでいます。ここには紗那村・蕊取村・留別村があります。
 紗那村は約2,700人のロシア人が住む島の中心的な街で、学校や病院、郵便局、消防署、警察、ロシア正教会、温泉、ホテルの他、日本の緊急人道支援で設置した診療所などがあります。紗那村の道路はほとんどアスファルトではなく、移動している車内ではよく車が上下に動いていました。砂埃が舞う中、対向車線をギリギリで車同士がすれ違う時は時々ハッとさせられました。町に信号はなく、交通機関は自家用車とタクシーです。
 多くの住宅は2階建ての集合住宅であり、ブロック造りや木造が多いです。
 一般家庭には電気・ガス・水道などは行き渡っているようでした。大きな電気屋さんなどはなく、小さな食料品店・衣料店や薬局がひとつずつありました。
  紗那から北東に20kmほどのところにある別飛には、約1,000人のロシア人が住んでいます。海岸には、大きな水産加工場<ギドロストロイ社>という一大企業があり、漁業・水産加工業を基盤に、運輸・観光・銀行などの事業を展開しています。択捉島の就業人口の7割がギドロストロイ社に雇用され、また同社の納税額は島の歳入の8割に及ぶといわれています。
  択捉島には産業としての農業は存在しませんが、自家農園や別荘での野菜作りが盛んに行われています。平成11年に北方四島住民支援として日本政府より供与されたディーゼル発電施設があり、また、紗那村には発電所、港、レベジノエ湖、散布山(標高1,587m)があります。
  北方領土問題の解決策として、お互いの相互理解と友好が重要であることを教えられました。現状は日ロ双方の認識は違い、解決には時間がかかると思われますが、歩み寄りをなしていく上で、このような「ビザなし交流」は有益であると思われます。また、事業に参加させていただいた私たちが“北方領土問題について”周りの方々に伝えていくことで、少しでもこの問題の解決が早期になされるようにと願っています。
このたび、択捉島交流事業に参加させていただき、本当に貴重な経験をさせていただいたと感謝しています。

■意見交換会

  私たちが意見交換会に参加した時のロシア人の方は大半が学校の先生だったり、年配の方が多く、教育に非常に関心のある方々ばかりでした。そのため、意見交換というよりは、日本の教育とロシアの教育について現状を報告するといった形になりました。

 一番ロシア人の方が興味を持っていたのは日本人教師の給料の面だったようです。ロシアや、北方領土では、先生の社会的地位があまり高いとは言えず、給料は非常に安いそうです。一家を支えるだけの収入が得られないため、女教師が多いということを聞きました。
また、現地の子どもたちは、あまり将来の目標を持っている子が少ないかなという印象を受けました。将来の夢について聞いてみたのですが、はっきりと何になりたいという遠い将来の目標をもった子どもたちよりも、今通っている学校で良い成績をとりたい、将来の事はわからないという、近い目標を持っている子が多かったのが印象的でした。

■訪問全体を通しての感想 ロシア語科1年 平岩 史子

私は今回このビザなし交流、択捉島への訪問に参加できたことを喜ばしく思います。北方領土の問題は、関東で生まれ育った私にはとても遠く、身近な問題だとは言い難いものでした。その遠い存在であった北方領土へのビザなし交流に参加でき、学ぶ機会を与えていただいたことに感謝しています。
私がビザなし訪問で最も心に残ったのは上陸一日目に行われた墓参です。

 周りは草だらけで、獣道のようなところを少し登った所に墓標が建ち並んでいました。私はよく整備され、草もきれいに刈り取った墓地のイメージしかなかったものですから、この光景を見て初めて、自由にお墓参りができないことの、後継者の方の不自由さを感じました。

  また、ロシア人の方はみんな親切で、必ず別れ際に「また来てね」など声をかけてくださいます。私はそれに「また来たいです」としか答えられず、「絶対また来ますね」と言えない不自由さ、歯がゆさを感じました。
  現在の限られた人にしか訪問できない北方領土を一刻も早く、訪れたい人がいつでも自由に訪れることができるよう、問題解決に向けての日ロ両国の協力を期待しています。また、自分が得られた択捉島の現状を少しでも多くの人に知ってもらい、北方領土に関心を持ってもらいたいと感じました。

■島内の生徒、市街の様子

  紗那の街には小さな薬局、洋服屋、食料品店などが点在しており、この近辺では外を歩く島民が多く見られた。道路沿いには街路樹が並び、よく整えられた公園には子供や老人の姿が見られた。
公園の様子をみていると、私たちのところに2人組の小さな女の子が寄ってきた。こちらが口を開く前に、彼女たちは「私たちは小学校で日本語を習っている」と言った。非常に驚いたので、日本語で何が言えるの、と聞くと、数字を一から十まで、日本語で数えた。

 次の日に行われた意見交換会のとき、島の学校の先生に聞いてみると、島には毎年日本から講師が直接学校に訪れて授業を行うため、今の若い世代の島民は多少なりとも日本語を知っていると教えてくれた。
  市街の薬局に入る。ガラス越しに商品を見るために、客側は商品を手に取って選ぶことができないが、小さなカウンターで親切な対応をしてくれる。薬剤師の女性は地元の客と親しげに話し、年に一度この店に訪れるという、団体通訳の方とも、友達のように仲良くしていた。

 食料品店にはロシア産のものばかりでなく、日本製の商品が本土と同じパッケージで売られているのがよく見られた。特に日本のインスタントコーヒーや調味料が多く売られている。2、3人の店員に日本の製品で好んでいるものがあるか聞くと、あまり知らないが、日本製品はよく売れていると答えた(また私たちを車に乗せてくれた運転手は、車はトヨタ、酒はサントリーが好きだと話していた)。

  また市街散策の前に、学校に案内され、地元の生徒たちとスポーツ交流をして楽しんだ。集まってくれた生徒は20人ほどで、小中高一貫のため、小さな男の子から私たちと年の近い生徒まで様々である。彼らは誰一人として制服を着ていない。女の子はピアスをしてヒールを履きおしゃれにしている。校則が厳しい日本の学校の生徒の姿など、島民は想像すらできないだろう。ただ様々な年齢で構成される学校にも関わらず、彼らは誰とでも分け隔てなく仲良くできているように思えた。それは生徒間に限らず、よそ者である私たちに対しても同じだった。もし日本の生徒が外人の学生を受け入れることになったとき、果たして生徒たちは学生とあれほどうまいコミュニケーションがとれるかと聞かれると、疑問である。片言のロシア語をほめてくれ、ゲームの最中も「ダバイ、ダバイ!」といって私たちを盛り上げてくれた彼らは、すばらしい生徒だった。

■訪問の印象 ロシア語科1年 庄林 茜

  島の至る所で道路工事が進んでおり、数年の間にはより住みやすい街になるということは誰の目から見ても明らかである。温泉地、公園、市街地などは大変整っており、平日にもかかわらず、いずれの場所でも家族連れが多く訪れていた。ただギドロストロイに出稼ぎに来ている若者の居場所は少ない。休みは何をしているのかと聞くと、「休んでいる」という答えが返ってくるなど、退屈した様子も見られた。工場の寮に寄ったときには、中から楽しげな笑い声とダンスミュージックが聞こえ、ロシアの陽気な気質が垣間見えた。
  日本人の多くが抱く北方領土への不満を島へ届けることは難しい。この島の経済は新しい段階に入り、今日の生活は豊かになりつつある。私たちが今回ホームビジットで会った夫妻は、この島で二人だけの結婚式をしたという。