学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.60 2009.7 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

開港150周年の歳に/ロシア極東連邦総合大学函館校事務局長関谷 隆

就任して早、3ヶ月が過ぎました。未だ今年の4月1日がつい最近のようにも感じられます。初春の陽射しはあったものの少し肌寒さを感じさせる春風に頬をなでられ、息を弾ませながら坂道を一歩ずつ上って行ったあの日が。
 八幡坂を電車道から突き当たるまで登ったのは函館に生まれ、育ってきた私があらためて考えてみても始めての行動。翌日、思い切って自宅・若松町から徒歩で向かってみました。
 街並みが、いつも見ている風景とは少し違っているような気がして、まさしく春の息吹の真っ只中にいる自分が新鮮に思えることに対し、戸惑いさえ覚えました。はじめの15分くらいまで足並みは快調そのものでした。もっとも、以前、勤めていた職場までの所要時間がそれくらいでしたから、その辺りまでは当然のことでしょうが。しかしながら、その辺りを過ぎてから辛いものが出てまいりまして。

  昨年の12月、公務員生活を半年早く切り上げて勤務させていただいていた民間会社を退社しました。2年半の勤務でしたが、この会社の業務内容は、他社には類のないものと、今でも自負できるのは、私だけではないと思ってます。  
 「移住・定住」、最近においても地道なこの関係の動きは見受けられますが、平成18年頃のことと思います。いわゆる『団塊の世代』が定年を迎えることによる退職対象者が全国で800万人ともいわれた時期がありました。その団塊の世代の皆さんに"北の大地「北海道」へ移り住んでもらおう"このスローガンを掲げて、首都圏、関西圏等でPRキャンペーンを繰り広げました。
  わが校の学生の皆さんの中にも、言いかえれば、期間限定の移住者がいると言っても良いかもしれません。2年とか4年とか、函館で生活し、勉強して、そのまま暮らし続ける方がいるやもしれません。
先生方は、完全に外国からの移住者と言えるではないでしょうか。

 しかしながら、この移住・定住を決断するということは、普通に考えてみても並大抵なことではないかと思っています。
 今まで、長年に渡り生活していた土地、故郷から夢と憧れを抱いていたとはいえ、北海道に終の棲家を移すということは、その家族、夫婦に人生の大英断を求める以外のなにものでもない訳です。 
 当然、移住するに当たっては、不安、心配事、分からない事、知りたい事など沢山のことが発生しますし、抱えることになります。その多くの問題を解決するために住んでみたい希望の場所、土地で事前に「試し」に暮らしてもらってはどうか。この考え方に基づいて、事業を展開していたのが、私の前職でありました。

 まず、そこへ来て貰って、1週間でも2週間でも、暮らしていただいてから決断を願う。そのためには、まず暮らすための住居の提供が必要となります。家族、夫婦によっては、1戸建て住宅、マンション、別荘など種々、好みが異なるのは当然です。希望の地で、より快適な生活を送るためには、住宅のほかにも色々な条件、注文が生まれてきます。買物できるところは近いのか、遠いのか、品物の値段は高いのか、安いのか、そして品質はどうか。その買物の場所までの交通機関はどうなのか。自家用車が必要となるのか。自転車でも大丈夫か。子供達の学校は、近くにあるのか、遠くにあるのか。病院はどうか。
 普段、私達が気にしてない、ごく普通の周りのひとつ、ひとつ、小さなことまでが移住してくる人にとっては、生活のための重要な条件になるわけです。

 さらに加えて、仕事はあるのか、希望する就職につけるのか。いずれ世話になるであろう福祉関係の施設は充実しているだろうか。ボランティア活動をしたいが、どのようにすればいいんだろうか。
これらの解決のため、事前に試しに生活していただく「ちょっと暮らし」というネーミングの生活パターンを目玉に僅かながらも人口増加の一助になるとともに地域経済の活性化に多少なりとも貢献出来ればという目標に向かって事業の展開を図っていました。

 お陰さまで、函館にも、全国各地から移住をして来た方々がいらっしゃいます。遠くは福岡県、広島県、兵庫県からおいでになったご夫婦や単身の女性もおります。
 ご承知のとおり、北海道は、そもそも移住・定住の大地であります。
 私達の祖先は皆、本州から移住してきた人達であります。
 子供の頃、日常生活の中で良く耳にしてた大人の会話に『内地』という言葉がありました。子供心に、そういうことから函館は『外地』なのかと真剣に思ってました。そして「内地の人」や「内地米」といった言葉に憧れさえ感じていました。その「内地」と陸続きになったのが、昭和63年の青函トンネル開通です。

 そして、いよいよ道民、待望の「北海道新幹線」が平成27年度末の完成をめざして進められております。
 出来る限りの早期完成に努めてくれるようですので27年度末より早く当地函館に新幹線が姿を現すと、私は思ってますが、気になることは、その函館までの新幹線工事と並行して、札幌までの延伸工事が行われ、瞬く間に札幌まで開通するのではないかということであります。これは大変な問題と考えてます。少なくとも、北海道新幹線の終着が、ここ当面、函館にある間は、観光客をはじめとする多くの乗降客が見込めるはずですし、そのことによる経済効果は計り知れないことは言うまでもなく、要は、札幌までの開業が遅いほど、道南は潤う時間が長くなることには間違いなく、それに超したことはないと勝手ながら思うわけです。そもそも北海道は、本州からの移住の地と前述しました。
 三方を海に囲まれた函館は、世界的にも類のない独特の地形による天然の良港を活かしながら発展してきた街です。12世紀末頃に津軽から、いわゆる和人が渡り住むようになった歴史があります。
 また、19世紀の初頭、ロシアの南下政策による脅威が日毎に高まりをみせはじめ、一方では、昆布などの交易により好況を呈していた蝦夷地に目をつけた幕府が国の北辺防備の強化はもとより、当時、松前藩が独占していた交易の利権を掌握するため、箱館に奉行所を置いたのが、享和2年、1802年のことです。
そして、函館の発展にその名を忘れてならない高田屋嘉兵衛が「高田屋」と「箱館」の名を高めたのもこの頃のことです。

 その後、1855年に日米和親条約の締結により箱館は米国船への食料・水・薪等の補給港となり、1858年に米・蘭・露・英・仏と幕府が修好通商条約を調印。
 さらに、翌1859年、幕府は箱館・神奈川(横浜)・長崎を自由貿易港として開港。
その箱館開港が6月2日(陽暦では7月1日)で、晴れて本年、開港150周年を迎えることとなったわけです。
 このように函館の歴史にとって大きな節目である開港150周年という記念年に、ロシア極東連邦総合大学函館校というロシアとの架け橋を渡らせていただいている幸運を今一度、実感しながら4月1日の朝をあらためて思い浮かべてる今日この頃です。

学生からの投稿

本校に入学して

入学したときは、こんなに外国人しかいない所でやっていけるかすごく不安でした。しかし、授業を受けていくにしたがい楽しくなっていき、クラスの人数が少ないので自然に友達もでき、今では毎日が楽しくて仕方がありません。初めての学校行事も多くあるので、そちらも楽しみです。
早くロシアの方々と自然に会話が出来るようになりたいです。

ロシア語科1年 上田 健太郎 (厚岸町出身)


新入生を代表してロシア地域学科鈴木竜斗くんが
誓いの言葉を述べた(4月13日入学式)

ロシア地域学科1年 成田 千穂 (函館市出身)

入学してから約3ヶ月が経ち、すっかり慣れて色々な人達と仲良くなりました。最近はロシアまつりに向けてバンド練習をメンバーと毎日楽しくやっています。 
今は、HIF(北海道国際交流センター)に留学生がたくさん来日していて、昼食時間には、レストランでも国際交流が行われています。
私はこの夏、青少年交流事業サハリン・北海道「体験・友情」の船に参加します。ロシアについてもっと知りたいと思います。

ロシア地域学科1年 星出 愛子 (下関市出身)

この大学に入学してはや3ヶ月、見るもの聞くものがことごとく珍しいものであるせいか、時間の流れを恐ろしく速いと感じます。なかでも一番の刺激は授業だと言えましょう。実際にネイティブの先生方と1日接することなど今まで無い体験で(未だ少し緊張してしまいますが)とても楽しく思います。
夏の涼しさにも目を細めつつ、そんなことを考えながら過せるのも長くて4年、毎日を大切にしようと意気込む今日この頃です。


ウラジオストク本学よりクリーロフ学長が出席
(4月13日入学式)