学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.59 2009.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

開校15周年を迎えて/ロシア極東連邦総合大学函館校校長イリイン・セルゲイ

1793年に日露関係史上初めて、箱館港にロシアの船「エカテリーナ号」が入った。その年、函館とロシアだけではなく、日露交流の最初のページが開かれたと考えられる。日本と貿易関係を築く目的を持って来日したラクスマン使節団と幕府の交渉は失敗したにもかかわらず、このロシアと日本の接触は、両国間における初の交流事例であったと言われている。
その後、ロシアと日本との関係には明るいページも暗いページも何枚もあったが、ロシア人にとって函館は一番日本的な街であり、一方で、精神的な意味でロシアに一番近い街として考えられていると言えるだろう。なぜかと言うと函館はほぼ100年にわたってロシア人が一番多く訪れた港として有名だからである。
日露通好条約(ロシアではいわゆる 「下田条約」として有名)によって、長崎、  横浜、函館は開かれた港になった。1858年、函館に日本で最初のロシア領事館が開かれた。その年は、日本人、函館の市民にとって初めて西洋、ロシアの文化、技術が直接に紹介された年だと考えてもよいだろう。ロシア領事館の建物を建設した当時、ゴシケービチ領事は函館に初めて病院を設立した。その病院では、ロシア人と日本人の患者たちは差別なく治療を受けた。ロシア領事館の職員の一人は写真に凝り、函館の市民に写真を教えていたということは有名な話である。日本における最初のプロの写真屋が函館に出来たに違いない。
ロシア料理を作る初めてのレストランも函館に出来た。それは今もロシアキッチンの伝統を大切に保存している、有名な五島軒だ。また、1916年に完成したハリストス正教会のしなやかな、純白の建物は、全国に「ガンガン寺」の名で有名になり、函館市のいわゆる「観光名所」になったと言えるだろう。つまり、ロシアの文化は函館の歴史、現在の面影に ぬぐいがたい形跡をとどめているに違いない、と思う。
函館におけるロシア語教育の歴史について言うと、1860年代に、既に聖ニコライ(ニコライ・カサートキン神父)によってハリストス正教会に付属するロシア語学校が開設され、そこで最初のロシア語の教科書が作成された。
一方、函館の姉妹都市であるウラジオストク市にある極東連邦総合大学は、110年の歴史を持つ、ロシア極東における最古の高等教育機関である。モスクワ大学とサンクトペテルブルグ大学に次いで、1890年代から日本語教育、日本研究を行っている大学である。極東連邦総合大学は、ロシア極東地域では唯一かつ古くからの総合大学として教育活動を行っている学校であり、優れた伝統と豊富な経験を持つ教育機関の一つである。現在、極東連邦総合大学には42,00人の学生がおり、1,267人の教員(その中で792人が博士)が活躍し、26の付属大学、学校などがあり、急速に発展している現代的な教育機関である。2009年4月11日、函館校は開校15周年を祝うことになる。本学の歴史と比較すれば、函館校の歴史はまだ浅いものだが、その15年にわたって得た経験が非常に大事なものだと思う。
一方、日本には、以前からロシア文学やロシア語を教えるいくつかの有名な大学がある。例えば、東京大学、東京外国語大学、早稲田大学などだ。よって単にロシア語やロシア文学を教えるというプログラムは日本ではもうそれほど多くは必要ないと思われ、函館校では日本にはない専門性、日本人の若い人々に魅力がある面白い教育プログラムを与えなければならなかった。
函館校で教える地域学という専門の内容について簡単に言うと、その専門によって、学生たちが研究し勉強する国について、様々な分野における知識を得ることが出来る。なぜかというと、単にその国の言葉を分かるというだけでは、国と国との諸問題を解決し、発展させることは出来ないからである。函館校のロシア地域学科の学生たちは、ロシア語はもちろん、ロシアの歴史、地理、民俗学、経済、政治制度、文学、文化史などのロシアのエキスパートになるために必要な 科目を学んでいる。
もちろん、ロシアをよりよく理解するためにその国を体験しなければならないので、函館校の学生たちは1ヶ月または3ヶ月間のウラジオストク留学実習を必修としている。学生たちは、ウラジオストクでロシア語を勉強するだけではなく、実際にロシア文化、ロシア人の日常生活を見聞するチャンスを得ることが出来る。
ロシアのエキスパートを育成する課題は本校にとって一番大事なことだが、教育ということは、文化の一部でもあるのだ。函館校の新入生は、ロシアについて、「文化」を含めた多少の知識を意図的に持って本校に入学するが、一般の日本人はロシアについて何を知っているだろうか?その知識はほとんどゼロだろう。その意味で、特別の調査を行う必要はないと思う。ロシアについての日本人の知識がいかに浅いかということを知るためには、日本に地理的に一番近い国はどこなのかを聞けば十分だと思う。いつも、  圧倒的に多い答えは、韓国である。
近くて遠い国といわれるロシアは、地理的だけではなく、文化的にも近い国になるために何をしなければならないのだろうか。ロシア国民と日本国民との実際の相互理解を深めるためには、何が一番必要なのか?私は、11年前に函館に着いたとき、その問題を考え、頭を悩ました。函館校は日本で唯一のロシアの教育機関であり、函館校にはロシア文化についての知識を普及させるユニークな機会が与えられているのだ。
当時、函館校は単に学校ではなく、ロシア教育・文化センターになるはずだと思った。そして、函館ロシア文化センターのアイデアが生まれた。そうして、2008年11月4日、日本で初めての「ロシア世界」という財団の「ロシアセンター」が函館に開設された。
歴史のまだ浅い本校の力で、函館市民の皆さんはロシアの文化をもっとよく分かるようになり、両国民はより親しくなったと考えている。今のような日露関係が永遠に続くとは考えられないが、私たちみんなが力を合わせて努力することで、少しでも、ロシアと日本は地理的だけではなく、精神的、文化的にも近くなると期待している。

卒業生からの投稿

4年間を振り返って

本学に入学した時、既に48歳の年齢であった。若い頃少しロシア語の勉強をしていたとはいえ、様々な不安と迷いが交錯した。なぜならロシア語の難しさを知っていたからである。そもそもこんな中途半端な年齢で、こんな錆び付いた頭で、この難解な言語の勉強が続けられるだろうか…。
脳をパソコンに例えるなら、私の記憶装置、ハードディスクは既に飽和状態に近づいていた。新規登録や上書き保存はいつまで可能なのだろうか。記憶の一部を消去したかったができない。演算機能のメモリーに至っては、元々余り性能が良くなかったうえに、かなり経年劣化していた。イライラするほど反応が遅くなっていた。パソコンならハードディスクの増設が可能である。メモリーはいつでも最新の高性能のものに交換できる。脳は外科手術でもしない限り…、いや手術でも無理だろう、今の医学のレベルでは増設も交換もできない…。
 あれから4年の歳月が過ぎた。自明なことではあるが、脳とパソコンは全くの別物であった。ある量の語彙や文章を記憶することができたし、ある程度の文法規則を憶えることもできた。暗記をするのがどんどん楽になった。これら登録された情報を利用して、簡単なロシア語の文章が理解できるようにもなった。おそらく、私の脳のある領域がそれ専用に特化し、活性化し、そして進化していったに違いない。その分、別の関係ない記憶が自動消去された可能性もあるのだが…。
 振り返ると脳という器官の不思議さを思わずにいられないが、パソコンとの最も大きな違いは、やはり感情の有無かもしれない。これはデジタルとアナログの違いと言い換えることもできそうである。ある時は、ロシア語の響きの美しさに圧倒され、時には、まるで手品のようなロシア詩の構造に驚嘆した。日本語を介さずにロシア語の文章を読んでいる自分に気付いた時のあの喜び…。ロシア人の心の温かさに触れた時のあの感動…。ロシア語のみならずロシアの文化やロシア人に対する愛着や敬意といった感情移入がさらに私の記憶能力活性化を促したのではないかと思う。そこには0と1だけのデジタルの世界とは次元の異なる時空があった。
 最初に憶えたロシア語のことわざは、“Век живи, век учись."(「命ある限り、学び続けよ」)であった。僅か3種の単語からなる短い句であったから、多分憶え易かったというだけに過ぎない。私同様、無類の愛煙家である校長は、煙が霞む喫煙室の中で「勉強は年齢に関係ありませんよ。これからですよ!清水さん」と優しく励ましてくれたことが何回かあった。
 今、52歳という年齢で卒業する私にとっては、この短いことわざと校長の叱咤激励は、途轍もなく重い金科玉条に感じられる。

ロシア地域学科 清水 正司

4年間の学校生活の中で私は、ロシア語やロシアの文化・歴史の他にも本当に多くのことを知り、学ぶことができたと思っています。授業でロシア語の新聞記事を読んだ時に、同じ問題についてロシアでは日本とは全く違った報道の仕方をしていて、ロシアの人が日本人とは正反対の意見を持っていることがわかったことは、今まで普段見聞きしていることを鵜呑みしてきた自分にとってはとても大きな発見でした。それからは何事も色々な角度から見て考えることを心がけるようにしています。
 世の中には様々なものの考え方、価値観があるということを知ってから、違う価値観を理解するためにはその物事の根本をしっかり理解する必要があることにも気付かされ、学び直したい事、新たに学びたい事が沢山できたこともいい収穫だと思っています。これらのことは、ロシア人の先生方からだけではなく色々な地域から来た様々な年齢の同級生、先輩、後輩達からも学ぶことができました。
 函館校はすごく小さな学校ですが、私の世界観を大きく変え、広げてくれました。この学校で学べて本当によかったと思っています。

ロシア地域学科 小林 真実

この学校に入学してから4年、早いもので卒業を迎えてしまいました。思い起こせば沢山の出来事があったような気がします。
 最初は「この先やっていけるんだろうか?」と不安になりました。何しろ、他の人達と比べてロシアに関する知識は皆無に等しく、頭が真っ白になってしまいました。でも、教授陣の方々が親身に指導してくださったおかげで、何とかやってこれたとういうような感じです(勿論、仲間にも沢山サポートしていただきました)。特に良かったのは、少人数でやれたことだと思います。おそらく、100人以上で授業を行っていたとしたら潰れていたでしょう。
 また、勉強だけでなく、マースレニッツァやロシアまつりも、良い思い出で、印象に残っているのは、人形劇の声優を担当したことです。
 やはり忘れてならないのは、ウラジオでの留学です。3ヶ月間ロシア語だけでの生活は見学プログラムや、買い物、そして忘れてはいけない(僕としては、一刻も早く忘れたいが)パスポート紛失事件もありました。ロシア語だけでなく色々な面で大変良い勉強になりました。
 このように、4年間で、初めて人を指揮したり、企画、運営に携わったりなど、そこらの人とは一味違った体験が出来たと思っています。この経験を踏まえて、春からも精進して参ります。
 末筆ではございますが、教授陣の皆様、劣等生の僕を指導していただき、ありがとうございました。また、サポートして下さった事務局の皆様、在校生の皆様、そして何よりも大切な仲間(清水さん、小林さん)に大変感謝いたします。そして、すべての皆様に、そして、函館校に幸あれと心から願っております。

ロシア地域学科 小松 太

この学校に入学してから4年、早いもので卒業を迎えてしまいました。思い起こせば沢山の出来事があったような気がします。
 最初は「この先やっていけるんだろうか?」と不安になりました。何しろ、他の人達と比べてロシアに関する知識は皆無に等しく、頭が真っ白になってしまいました。でも、教授陣の方々が親身に指導してくださったおかげで、何とかやってこれたとういうような感じです(勿論、仲間にも沢山サポートしていただきました)。特に良かったのは、少人数でやれたことだと思います。おそらく、100人以上で授業を行っていたとしたら潰れていたでしょう。
 また、勉強だけでなく、マースレニッツァやロシアまつりも、良い思い出で、印象に残っているのは、人形劇の声優を担当したことです。
 やはり忘れてならないのは、ウラジオでの留学です。3ヶ月間ロシア語だけでの生活は見学プログラムや、買い物、そして忘れてはいけない(僕としては、一刻も早く忘れたいが)パスポート紛失事件もありました。ロシア語だけでなく色々な面で大変良い勉強になりました。
 このように、4年間で、初めて人を指揮したり、企画、運営に携わったりなど、そこらの人とは一味違った体験が出来たと思っています。この経験を踏まえて、春からも精進して参ります。
 末筆ではございますが、教授陣の皆様、劣等生の僕を指導していただき、ありがとうございました。また、サポートして下さった事務局の皆様、在校生の皆様、そして何よりも大切な仲間(清水さん、小林さん)に大変感謝いたします。そして、すべての皆様に、そして、函館校に幸あれと心から願っております。