学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.58 2009.1 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

ロシアのお正月/ロシア極東連邦総合大学函館校副校長アニケーエフ・セルゲイ

 広いロシアで、どこよりも最初に新年を迎えて「おめでとう」の挨拶を交わすのは、ベーリング海に面したチュコト半島の人たちです。そして、時間帯を追うようにして次々と新年が訪れます。ご承知のようにロシアには11の時間帯があります。そこで、ロシアの西の地域の  住民(モスクワを含めて)は新年をチュコト半島の人たちより11時間も後に新年を迎えます。
 それぞれの家庭では、かなり早くから年越し準備に取り掛かります。子供や家族、友人や知人などを思い浮かべ、誰に何をプレゼントしたらよいか、モミの木はいつごろ、どんな大きさのものを買ってきたら良いだろうか、などと色々考えます。モミの木を飾りつけることはどこの家でも一番大事な行事です。年末が近づくと子供たちは両親に対して「飾りつけはいつにするのか」と催促するようになります。

 毎年、モスクワ市だけでも50万本ものモミの木が売り出されます。ロシアの南部のクリミヤなどでは松の若木が飾られます。人造のモミの木もありますが、なんと言っても本物にはかないません。親子・家族が協力してモミの木の飾り付けをすることは大きな喜びです。豆電球、おもちゃ、お菓子、果物などを用意して出来るだけ美しいものにします。
 それとは逆に、子供が眠ってしまってから、大人たちだけで飾り付けてしまうこともあります。朝がきて子供が目を覚ましてみると、素晴らしいモミの木が突然の出来事のように姿を見せています。こうしたハプニング的な喜ばせ方をロシア語ではシュルプリース(思いがけない贈り物、棚からぼたもちの意)といって、色々と知恵をしぼります。飾り付けたモミの木の下にマロースおじさん(ヨーロッパではサンタクロース)からの贈り物が置いてあれば、それこそ最高です。
 大晦日の日が暮れて夕食を済ませた子供たちが床に入って寝ます。そして新年を迎える時刻が近づくと、大人たちのパーティが始まります。友人の家に何組かの家族が招待されることもあれば、親子兄弟姉妹の家族仲間でのパーティもあります。
 クレムリンの大時計がちょうど12時を知らせるのを合図にシャンペンが音を立てて開けられ、新年の祝宴ということになります。旧年に別れを告げ、新しい年への期待と希望に胸をふくらませるわけです。

 年末が近づくと、あちこちの広場、百貨店や公共施設の前などに、大きなモミの木が立てられ、夜ともなれば豆電球が点滅して、迎春の気分を盛り立てます。商店のウィンドーにも小さなモミの木が飾られます。
 元旦の前後2−3日のうちにどこの地区のちびっ子も公共の場におけるモミの木祭りに招待されて、贈り物を受ける機会があります。集まった子供たちは指導者の指揮に従って、みんなで遊戯やダンスをし、新年の抱負を胸にします。文化会館や劇場であれば、劇やアンサンブルなどの出し物を鑑賞することが出来ます。
 親たちに手を引かれて贈り物を持って満足そうに帰っていく子供たちの姿を目にすると、なんとも言えない温かな年末年始の風物詩と映るもので、実にほほえましい。
 日常生活にテレビが欠かせないものとなった今では、大晦日から元旦にかけての特別番組が素晴らしいものになっています。みんなが心ゆくまで楽しめるように創意工夫がされています。

 12月25日から1月5日くらいまでの間を「ロシアの冬・芸術祭」と言い、外国人旅行客の誘致に熱心です。
 団体旅行でホテルに滞在する外国人のために年越しのパーティを準備することが習慣になっています。大晦日の夜は、夕食をごく軽いものにして、夜の11時前後になったらパーティ会場に出かけます。どこのレストランも超満員です。外国人旅行者に割り当てて、余裕が少しでもあれば、国内の希望者も参加することが出来ます。
 席には飲み物も食べ物もふんだんに用意されているから、みんなで楽しく飲んだり食べたり、過ぎ去った年を懐古し、新しい年への期待に胸をふくらませます。バンドが入っていて、演奏が始まったらダンスを面白がって楽しんで、また飲んで食べて、ダンスを楽しみます。

 11時55分―58分頃になると、新年を迎える準備をします。いよいよ、ラジオを通じて、クレムリンの大時計の鐘の音が響き渡ります。参加者たちは一斉に「ウラー」とか「バンザイ」をとなえて、杯を高らかに年を迎える乾杯をします。再び音楽、ダンス、乾杯、ご馳走が繰り返されて時間が経つのも気づきません。若者ならば、こうして朝まで楽しく過ごす者もあります。

 雪がうんと積もってくれなければロシアの冬はつまらないと言われます。芸術祭でロシアに来た外国人にとって、大きな楽しみの一つはトロイカに乗ることです。橇に3頭の馬がつけられて御者1人、乗客5−6人を乗せて所定のコースを早く走ってきます。凍てつく冷たい空気の森の中をかなりの速度で走ってくるから、体全体が冷えてしまいます。冷え切って戻ってくれば、その近くにあるレストランには体を暖めるためのウオッカや熱い紅茶が用意されていて、簡単なおつまみもあります。レストランにはステージが設けられていて民族衣装をまとったバンドの演奏があり、民族歌謡やダンスも披露されます。
 そういう場では近くに遊園地ふうの施設があって、野外ステージで展開される催し物を見ると同時に、入場者全員が手をつないでフォークダンスに興じたりします。その一隅には5−8メートルほどの高さの棒(普通はつるつるに皮をはいだ山杉の丸太)が立ててあって、希望者は木登りに挑戦することが出来ます。なにしろ、非常に寒い外気のもとで手袋も靴下も脱がなければ、到底木登りは出来ないから大変なことです。挑戦者の数はかなりになりますが、ほとんどの人が頂上までは到達できません。頂上を征服する者があれば、みんなの拍手を浴びるだけではなく、その施設で用意された賞品を受けることになります。

 ロシア語でマロースと言うのは、ぴったりあてはまる日本語はありませんが、「強烈な寒さ、氷点下の寒さの時季」と言うほどの意味です。大昔のロシア人たちはマロースと言うのは力が強くて意地悪な爺さんで雪の野原や森を支配し、この地上に寒さと雪と吹雪をもたらすので、恐ろしい存在だと考えていました。恐ろしいために供え物をしなければならないと考えられたのです。
 ところが、現在のように新年を1月元旦に迎えるような暦を採用したときからヨーロッパのサンタクロース叔父さんとなりました。かつては供え物を受け取って恐れられていたものが、子供たちに愛されて、森の動物や鳥たちに親しまれる存在になったわけです。

学生からの投稿

貴重な体験 ロシア地域学科3年 山口 攻

私たち3年生は、昨年9月から3ヶ月間、ウラジオストク市へ留学に行ってきました。最初の心境は不安しかありませんでした。なぜなら今のロシアは非常に治安が悪いということを耳にしたからです。しっかりと生活できるのか、争いに巻き込まれることはないか・・・。そういうことばかり頭をよぎっていました。
 しかし、ロシアでの生活が2週間経つと、大分慣れてきたのか気持ちが落ち着いてきました。それは現にロシアへ行って自分の目でロシアの状況を把握し、注意しながら行動ができ、自分でしっかりとコントロールしていたからです。それでもやはり夜は一人では行動できませんでした。さすがに怖かったです。
 それ以外でも非常に驚いたことは、水道水は飲んでいけない、寮の周りはハトだらけ、野犬がたくさんいる、等ということです。特にこの野犬には十分に注意を払っていました。なぜなら、この犬たちに噛まれると狂犬病にかかって死んでしまうということを聞いていたのです。外に出るたび心臓がドキドキしていました。
 一方、ロシア語学校での授業は、本当に自分のためになったと思います。先生方はみんなロシア語のみで授業を行い、それに対して、私達もわからない所などをロシア語で質問したりという感じで、自分にとっては本当に良かったことだと思いました。そこで改めて痛感したのは、ロシア語を覚えたり、話せるようになるには、やはり現地に行くことが大事だということです。

 留学実習の最初の約1ヶ月間は、午後から見学プログラムが行われました。そこで案内をしてくれた本学4年生の学生3人と友達になりました。3人ともとても美しい女性たちでした。性格も良くて、親切で、今でも良い友達です。私たちは飲み会を催したり騒いだりして、たまに寮母に注意されたりもしましたが、それにもかかわらず続けていました。私たちはロシア人だけではなく、韓国人・アメリカ人・中国人とも友達になりました。彼らともロシア語で会話したりして、それに加え母国語も少々教わりました。
 最後に、ロシアへ行って色んなことを感じましたが、結論、行ってよかったと思いました。嫌に感じたこと、不便に感じたこともたくさんありましたが、そこで出会った人々のやさしさ、親切さ、面白さも感じました。悪いことだけはないということです。そして嬉しく感じたことのひとつが、今までの授業で習ったロシア語を生かし、ロシア人の先生・友達と会話がうまく出来たことです。友達にもわからないロシア語の意味を聞いたりして、そして正確に教えてくれる、この経験というのは、留学中で一番心に残ったものだと考えています。

 ロシアで出会った人々の偉大さは計り知れないものです。私は彼らに心から感謝したいと思います。ありがとうございました。