学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.52 2007.7 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

1980年モスクワオリンピック/ロシア極東連邦総合大学函館校 准教授イリイナ・タチヤーナ

 1979年の大学卒業後、私はウラジオストク市の観光会社に就職しました。ある時、モスクワオリンピックを訪れる日本人観光客のお手伝いをする10人の通訳を用意するようにと、モスクワから極東連邦総合大学へ依頼がありました。極東連邦総合大学の日本語学部は日本語の専門家を育成する事にかけて、ロシアで群を抜いてトップであると常に考えられてきました。

 私は日本語でモスクワ観光をするための講座を持ち、教えなければなりませんでした。暗記しなければならない市内観光の概略部分だけでも55ページもの容量になりました。多くの学生がモスクワオリンピックへ行く事を希望していましたが、中でも最も優秀な学生だけがそのグループに加わる事ができました。準備には約1年の歳月を費やしました。オリンピックが始まる1ヶ月ほど前、通訳をする私達は特別な明るい色の衣装のサイズ合わせのため、モスクワへ呼ばれました。この事はあらゆる面でオリンピックの準備が真剣に成されていた事を物語っています。なぜなら私達の住むウラジオストクからモスクワまでは距離にして1万キロメートル、飛行機では9時間もかかるのですから。

 ようやくオリンピックへの準備がすべて整いました。しかし残念ながら、当時の世界における政治情勢は大変複雑なものでした。ソビエト連邦はその時アフガニスタンで戦争を行なっている最中でした。多くの諸外国がモスクワの外交政策の取り方に注目していました。ヨーロッパ諸国、アメリカ、日本などはモスクワオリンピックへの参加を取り止める事となりました。同時にモスクワを訪れる予定であった日本人観光客のグループ数も激減しました。

 全部でたった3、4グループの日本人観光客しかモスクワを訪れないという知らせを受けた時、私達は全員もうすでにモスクワにいました。オリンピックが始まる直前に通訳の大部分をウラジオストクへ送り返さなければならなかった事は本当に残念な事でした。彼らは記念にオリンピックの通訳の衣装をもらいました。幸いにも私はオリンピックでいくつかの日本人観光客グループと仕事をすることができました。皆さん大変満足していました。

 オリンピックの開催中、モスクワは素晴らしい街でした。モスクワへの渡航が制限されていた事もあり街はとてもきれいでしたし、すべての面で秩序が保たれていました。また店には普段手に入りにくいとされていた様々な商品が溢れていました。その頃ソビエト連邦の他の都市では高品質の商品や高品質の食料品の不足にあえいでいました。
結論からすると、オリンピックは大変素晴らしく、成功を収めましたが、ただ残念だったのは政治がオリンピックに多大な影響を与え、その結果いくつかの国々がこのような素晴らしい祭典に参加することが叶わなかったという事でしょう。

学生からの投稿

「留学生活を終えて」 ロシア語科2年 石郷岡 慧

 この学校に入り、先生方や留学生と交流を持つうちに入学前以上に「ロシア」という国に興味を持ちました。
 留学前、ウラジオストクなどロシアでも沿岸の地域は日本と距離的にはアメリカ以上に近いのに、気持ちの面ではアメリカよりも遠く感じていました。しかし、新潟空港に着くと数多くのロシア人がおり、日本人が携帯電話でロシア語を流暢に喋っています。

 極東大学本学のロシア語学校では多くの日本人が学んでいます。函館でロシア語を学んでいても学校以外の人でロシア語を本格的に学んでいると人と会うことは多くありません。ですから、留学前は自分でも知らないうちに特別意識を持っていたとも思います。しかし、ウラジオに集まるロシア語学校の日本人は年齢も学校の専門も、社会人の人もいるので職種も違います。けれど、多くの人がロシア人と意思疎通が出来る。これは、現地のロシア人との交流があることはもちろんですが、ロシア語学校には日本人以外に韓国人や中国人等の外国人が多い事も関係しています。話す時は相手の母国語を理解するよりもロシア語を使い、分からない事は辞書で調べて見せたり、身ぶり手ぶりで伝える。母国語を使わず、相手に一生懸命に伝えようとする力は単語力や格変化のスピードアップなどにつながります。

 また、クラスの先生方は学生に対して質問をよくしてきます。しかし、答えは簡単だったとしても質問の意味が分からない時が多く、クラスの足を引っ張ってしまったとも思います。次回、ウラジオに行く時は基本の文法用語も覚えていきたいです。

ロシア語科2年 大野 陽華

 私達の1ヶ月間の留学は、何というかすごいものだったと思います。まず、初日。期待と不安で緊張しながら降り立ったウラジオ空港。来ているはずの迎えの人が来ていませんでした。大量のタクシーの客引きに囲まれながらも、ダメダメなロシア語を使って何とか空港で電話を借りたものの、日曜だったので大学はお休み。3人モメにモメた後、結局「危ないから乗るな」といわれていた白タクに初日から乗るハメになりました。テンションが既に3人とも下がりまくりの白タク車内。更に運転手さんは脇見運転+手離し運転+時速180㎞の猛スピードで夜の道を走り抜けました。しかも私は助手席だったので、もうどうにでもなれと思いました。それでも何とか寮に到着。タクシー運転手さんは自分で「俺はイイ奴だから乗っていけ」と言っていただけあって、やっぱりいい人でした。

 寮では函館校出身の先輩と寮のおばさんが出迎えてくれて、「迎えの人来なかったんですけど」とグチを言おうと思ったら、先輩に「あ~、ロシアではよくあることだよ~」と軽く言われて、正直ムカツキました。その後部屋に案内されて、思っていたよりキレイな部屋だったのでよかったなぁと思ったら、トイレが壊れていて水が流れなくて、もう死にたくなりました。しかも冷蔵庫の音も超うるさいし、隣の人もうるさいし、初日はすごく疲れていたにも関わらず、全く眠れませんでした。

 2日目には国際部の職員の方に「両替に連れて行ってくれ」と言ったのに連れて行ってもらえず、3人とも飲み水が無くてピンチになったり、3日目には初授業で「ここで待ってて」と違う教室に案内されて1時間誰も来なかったり、その他にも留学中には人生で初めてゴキブリに出会ったり、自分でトイレを修理させられたり、スーパーの店員の態度の悪さに驚いたりしながらも、何とか色々な人達に助けられながら毎日過ごしました。

  ロシア語学校の授業は楽しくてわかりやすい先生の授業のお陰でしっかり勉強する事ができたし、寮に住んでいる日本人の方々が皆本当にいい人で、すごくお世話になったし、私自身「人との出会いを大事にしよう」と思うきっかけにもなりました。

 留学前は1ヶ月なんてあっという間かなぁ、と思っていたのですが、実際は長かったです。それでも“あと○日!”という日めくりカレンダーを作って、自分達を励ましながら何とか頑張りました。そしてラスト1週間前はもう祭でした。最初の週は、「顔が死んでるね。」とよく言われていたのですが、最後の1週間は、「なんかすごい嬉しそうだね。」と度々言われました。初めはもうただ日本に帰りたくて仕方なかったのですが、それでも少しずつ、「もっとロシア語を話せたらよかったのに。そしたらもっと楽しめるのになぁ!」と思うようになっていきました。

 そして遂に迎えたラストの日。やっと終わった・・・という達成感に満ち溢れて「もう来ることもないかもしれない。」とウラジオ空港の風景を目に焼きつけて乗り込んだ飛行機はタイヤが故障していてウラジオ上空を約2時間旋回した後、再びウラジオ空港に胴体着陸(?)しました。旋回中に、非常口付近を開けるために席を移動した時は本当に死ぬかもしれないと思ったし、無事着陸した後は乗客から拍手と歓声と「機長さんありがとう!」の声が飛び、ロシア人の乗客が皆携帯で無事を知らせる連絡をとっているのを見たとき、自分が生きてることに心の底から感謝しました。後から冷静になって、「・・・ていうか最後の最後までこんなんかよ・・・orz」と思いましたが、4時間くらい遅れて到着した新潟空港に降り立った時、色々あったけども何とかやり遂げたという充実感でいっぱいでした。

 飛行機が遅れたせいで、乗るはずのJRにも乗れなかったし、ホテルを探して一泊しなければならなくなったのですが、そこでも日本語が通じるありがたさと、日本のサービス精神の素晴らしさをありありと感じました。

 今、一つひとつ思い出してみても、なんだかすごい体験をしたなぁと、思い出すだけで正直疲れます。だけど時間が経つにつれ、きっとこの留学も素敵な思い出になってくれると思います。とりあえず一生忘れられない、今までの人生で一番濃い4月でした。

「本校に入学して」

「この学校に入学してよかったこと」 ロシア語科1年 古屋 千尋

私は、この大学に入学して、一人一人の発言を大切にし個性を生かしてくれる授業に大変魅力を感じました。
今まで受けてきた日本スタイルの授業とは全く違い、自分の意見を自由に述べ合うことができるところがこの学校ならではの良さだと思います。

 はじめは、こんな人数の少ない学校でやっていけるのだろうかと不安でいっぱいでしたが、今では人数が少ないお陰で一人ひとり丁寧に教えていただけるので確実に力がついてくると思っています。

 この学校に入学してよかったことがもう一つあります。
 それは、外国人留学生と交流できることです。本校は、極東連邦総合大学の日本校なので本学から留学生がやってきます。

 今年、既に付属観光大学から6名の留学生がやってきて親しく交流できました。
 10月には、付属東洋学大学の日本学部で学ぶ学生が日本語と日本文化を学ぶために本校にやってくることになっています。異文化交流できるまたとない機会となると思うとワクワクします。

 また、同じ建物の中にHIF(北海道国際交流センター)が入っていて、日本語と日本文化を学ぶために留学生がやってきます。ロシア人のみならず多くの国々の学生と交流できるこの学校に入学できて本当に良かったと思っています。

 この経験をいかして世界を飛び回る仕事に就きたいと強く思っています。

「入学してから思ったこと」 ロシア語科1年 白山 季絵

この頃、私は人と違った事がしたいと思っていて、他の大学や専門学校にはない、ロシア人講師の多さにひかれ、この学校を選びました。

 入学式では7人という少ない新入生の数に驚きましたが、授業面では少人数ということで、発音や筆記等を細かく指導してもらう事ができ、とても効果的です。
 授業の内容が難しくなるにつれて、先生方の指導も厳しさが増してきています。けれどもどこか授業中は楽しい。それは先生方が個性的で、どの先生も温かみのある優しい人だからです。

 この学校に入って良かったこと・・・それは、少人数だからこそできることがあるということです。そして、ロシア人講師が多いという恵まれた環境で勉強できて毎日が楽しく、一日が過ぎていくのが早いです。

 これからも一日一日を大事にし、早くロシアのスペシャリストになりたいです。

「この学校に入学して」 ロシア地域学科1年 柴田 純

私は、偶然この学校を知った。
 新聞をめくり、楽しい話題はないかと探していたとき、この学校を紹介している記事が目にとまった。その後、オープンキャンパスに参加し、気がついたら入学していた。なんとなく面白そうだというふがいない動機での入学であり、ロシアといえば、せいぜい近くて大きい国であるといった程度のものであった。

  このような状態での入学であったので入学式では少々気後れした。「これが、ロシアか」という気持ちを強烈に持った。また、学生の数が少ない事は知っていたが、、自分のクラスメートが、これほど少ないとは想定外であった。
  でも、同時にチャンスだとも思った。一人一人に気を配ってもらえるのだから。 クラスメイトも最高。よくこんなに個性的な人が揃ったものだと思う。授業は楽しい。知らないことばかりで新鮮。いろいろな国からの留学生との交流も刺激的。すばらしいの一語に尽きる学校である。

 これからどうするかは、まだ具体的には定まってはいない。だからやりたい事が見つかったらすぐ行動に移せるよう準備を怠らないようにしようと思う。自分に甘えないように、そして時間を大切にというのが今の心境である。