学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.48 2006.7 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

函館の魅力としてのロシア/ロシア極東連邦総合大学函館校 事務局次長中村 勇人

 ズドラーストヴィチェ。この4月に極東大事務局に着任いたしました中村です。皆様どうぞよろしくお願いいたします。
 さて、最近、街の魅力を高め都市や地域を再生しようという試みが全国で行われています。地方の自立が求められるなかで、それぞれの都市は独自の個性を持たなければ今後の繁栄が望めない時代のように思います。
  多くの魅力を持つ函館ですが、我が国における日ロ交流の最初のページが開かれ、かつてたくさんのロシア人が居住していたという歴史的背景があり、現在もロシアの国立大学の分校、ロシア総領事館事務所、ロシアとの定期航空路などを有する函館にとって、ロシアとの交流は、全国に誇りうる極めて特徴的な個性になるのではないでしょうか。

 現在、函館校には先生方、そのご家族を含めて11人のロシア人がおり、総領事館事務所のご夫妻を含め、函館には小さなロシア社会があります。そして、日本全国から集まった学生がロシア語、ロシア文化を函館校で学び、市民向けの普及事業も盛んに行われています。かつて多くの外国人商人や外交官で賑わっていた頃の街並みは今でも函館にとって大きな魅力ですが、函館が将来も真に国際的な都市であり続けるためには、現代において国際的であることがとても重要です。

 一方、ロシアは日本にいちばん近い外国であり、ロシアに精通した人材を育て、お隣がどんな国か良く知ったうえで上手にお付き合いすることが、日ロ両国の関係発展のためにもたいへん有益なことと思います。
  このように、地域にとっても、国家にとっても大きな役割が期待される極東大学函館校のスタッフをつとめることができ、たいへん光栄に思います。函館校の発展と函館における日ロ交流の促進に微力ながら貢献できればと心から思っています。

学生からの投稿

『留学生活を終えて』 ロシア語科2年  荒木 梨馨

 2ヶ月間の留学を終え今の私の気持ちはなんともいえない複雑な感情が入り混じっている。海外初体験の私にとっては見るものすべてが新奇でもあり奇異でもあった。

 初めての外国がロシアという謎めいた国という事で、既にロシアへの留学、旅行経験のある方達の助言、私の元々のイメージを念頭に置き、あまり良いとはいえないイメージを持って留学に臨んだ。そのせいか学生寮、町並み、商店など、予想外にしっかりと整っていたため、私の間違った認識は1週間後には完全に払拭された。ただ道路のいたる所で見られる穴ぼこ、そこをゴミ箱の様に扱う人々、排気ガス、霧かと思ったほどの砂ぼこりは耐え難かった。おかげで私の持病のアレルギーは再発し、さらに更に目のかゆみと充血は帰国してからもしばらく続いた。

 授業に関していうと、先生方は皆、外国人に対しての教育のスペシャリストであることが身を持って分かった。新しい文法に入ってもロシア語の説明で十分理解できた。知らない単語は似た意味を持つ単語を列挙してくれどんな場面、状況によって使用するのかを話してくれ、ある程度は辞書をひかなくてもなんとなくのイメージをつかむ事ができた。しかし会話の授業は苦労の連続で文法はわかるのにそれを伴なった会話が作れず言いたいことを伝えられないもどかしさと自分に対するふがいなさで気持ちが不安定な時期もあった。
  日々成果が確認できるわけでもなく、単調な毎日の繰り返しに耐えることが求められ授業後は自学自習が基本なだけに能力アップを図ることができるか否かは自分の強固な意思が必要だと感じた(私はその戦いを制することは出来なかったが)。

 帰国が近づくにつれてウラジオを離れる寂しさは思いの外湧き上がってこなかった。美味しいロシア料理や素晴らしい建築物から離れることは、多少、後ろ髪引かれる思いはあったものの、宿題、予習、復習地獄からの開放感でむしろあと何日で帰れるんだと指折り数えていた程だった。帰国の準備も出発数時間前に慌しく一気に詰め込んだので浸る時間すらなかった。

  しかし、実際に日本に帰ってみて、ウラジオでの思い出の品を見た時、ドライブ中にウラジオで買ったお気に入りのCDを流し、ほっと一息ついた時、急にウラジオでの生活を思い出し、せつなくなり郷愁にも似た様な思いが私の心をよぎった。今回の留学はつらい時期もあったがその大変さを補って余りあるものになったと思う。異文化に触れて新しいことを学び、成長し、自分を改めて見つめなおす為には良い機会だったと思う。

ロシア語科2年  今成 愛

 ロシアでは色々なことを学ぶことができました。留学に行って本当に良かったと思います。
 授業はすべてロシア語で行われます。最初は先生の話していることが良く分かりませんでした。だから自分の考えを話すこともとても難しく、言いたいことを伝えられないことも何度もありました。しばらくすると先生の話していることが分かるようになり、話すことにも少しずつ慣れてきました。
  でもロシア語で会話するためにはもっと勉強と経験が必要だと実感しました。

 クラスの人はみんな親切で、最初の授業の時、教室のことや教科書のことなど、なにもわからない私のために教えてくれました。1ヶ月という短い間だったけれど、みんなと勉強ができて本当に良かったです。もう少し長くいれたらもっといろいろな話ができたと思うと1ヶ月で帰らなければいけなかったことが残念です。

 授業は午前で終わり、午後からは見学に出掛けました。ロシア人のガイドの女の子が日本語とロシア語で説明しながら、いろいろな場所を案内してくれました。予定されていた見学以外にも友達の家へ招待してくれたり、本当に良くしてくれました。そのおかげでとても楽しかったです。

  留学に行って、いろいろなことが分かりました。もっと勉強が必要だということ、いろいろな単語を知らなければいけないということ。そしてロシア語を話すのは楽しいという事。今、ロシアでお世話になったすべての人に感謝の気持ちで一杯です。いつかロシア語でスムーズに会話ができるように、今回の留学の経験を活かし勉強を続けて行こうと思います。

ロシア語科2年 小林 真実

 新潟から約1時間半という早さでウラジオに着き、まったく外国に来たという感じはしなかった。車はほとんど日本車で、多くが店の名前や住所など日本語がそのまま残っていて、ほんとうに日本にいるみたいだった。
  ただ、信号機がほとんどないのには驚いた。最初は道を渡るのが怖かったけど、留学の後半には慣れ、日本に帰国した時うっかりそのまま渡ってしまいそうになった。

  寮の部屋は想像していたよりずっとキレイで住み心地も良かった。ロシアで何よりも気に入ったのはテレビで、特に音楽チャンネルは暇さえあれば見ていた。この他には、祝日や週末にやるコンサートとかがすごく好きだった。ほんと気にいって、見られなくなるのが惜しくて、帰国の前日は一晩中つけていた。

  勉強などでいろいろ忙しくて、自炊はほとんどしなかった。ペリメニ(シベリア風餃子)をゆでたり、黒パンやカーシャ(おかゆ)を食べたりしていた。日本の商品も、お金さえあれば何でも手に入ったが、せっかくロシアにいるのだから、ロシア人がよく食べるものを食べるようにした。寮の食堂は、安くておいしくて良かった。
  途中、無性に日本の物が恋しくなったりもしたが、最後の日にはやっぱりもっといたいと思ったし、帰国後2日目にはもうウラジオでの生活がなつかしく、戻りたいと思っていた。お湯があって宿題がなければ、ロシアは最高だ。

  授業については、言いたいことが言えないことより、自分の意見がないことがつらかった。もっと日頃からいろんなことについて考えて、自分の言葉で言えるようにしなくては、と思った。日本文化はもちろんだが、最近のニュースや、過去・現在の国際関係とかを知っておいたほうがいいと思った。ヨーロッパやアメリカの人はすごく詳しいし、話題にするのが好きな人もいた。

『本学に入学して』 「入学してからこれまで」 ロシア語科1年 大野 陽華(北斗市出身)

 私の大学受験は出願校全校不合格という壮絶な形で幕を閉じるのではないかと、まさに藁にも縋る思いで極東大を受験しました。合格の二文字をやっと頂けた事が嬉しくて、何語でもやってやるぜー、と意気込んで入学しました。

 それから早くも2ヶ月余りが過ぎ、毎日の宿題と授業で学ぶ数々の知識に翻弄される日々に嫌気がさし、全てを投げ出したくなることもしばしば。クラスの方々のやる気みなぎる前向きな姿勢とロシア語の上達ぶりを羨ましく思いながらも、それでも私も頑張らなきゃなぁ、と初心を思い出しつつ今日も急な坂道を登り学校へ通います。
  早くロシア語を理解して楽しめる位になりたいです。

「坂の上の学び舎」 ロシア地域学科1年 佐藤 輪太郎(埼玉県本庄市出身)

今日も坂の上の校舎では、黒板にリズム良くチョークを刻む音が響く。先生に続いて学生は元気良くロシア語の文章を復唱している。

 時たま、学生の面白い間違いにクラス中がドッと沸くこともある。ふと、窓に目をやると気持ちよいスピードでロープウェイのゴンドラが登って行く。ハリストス正教会の鐘が深い意味が込められたかのように鳴り始める。

  新しい学生生活が始まって2ヶ月が過ぎようとしている。勉強がつらいこともある。けれど、博識な先生からひとすくいでも、ひとしずくでもよいから知識を吸収できたのならば幸いだ。八幡坂を登るように、一歩一歩、前進しようと思う。

「この学校に入ったきっかけと目標」 ロシア地域学科1年 山崎 公大(富山県高岡市出身)

この学校に入ったきっかけは、高校時代にウラジオストクへ行ったことだ。それまで2年間授業でロシア語を勉強していたので、自分のロシア語がどれだけ通用するのか確かめるのにちょうど良い機会だと思ったからだ。ロシアへ行ってみると、それまで学んできたロシア語がほとんど使うことができなかった。

 日本へ帰ってから、ロシアでほとんど話すことができなかったことをとても後悔した。そんな時にロシア語の教師に紹介されたのがこの学校だった。この学校での4年間で実際に使えるロシア語というものを学びたい。
  また、ロシア語だけなく、実践で使える貿易英語などのスキルを習得したい。