学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.46 2006.1 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

椅子は何性ですか?/ロシア極東連邦総合大学函館校 講師デルカーチ・フョードル

 

 去年、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の第三部が公開されるのを楽しみに待っていました。その英語版は『Return Of The King』と言い、ここで動詞のリターンはその位置づけによって自動的に名詞に変わります。
  ロシア語版『Возвращение короля』には、簡単で当然な訳「王様のお帰り」が読み取れると同時に、露訳の「お帰り」は十分荘重に響きます。日本公開にも期待しましたが、「その題名はきっと『お帰り』だけでは済まないだろうから、何と訳するのだろう」と思っていました。確かに、訳は違って『王の帰還』でした。

 私は前から「どうしてああではなく、こう言うのだろう。文体を作るメカニズムはいったいどのようなものなのか」と考え続けてきました。又、ロシア語を話すにはほぼ動詞を使わなくても済むのに、なぜ日本語ではそれが行われないのか?正直言って、それらの疑問に答えが見つかる期待もしていませんが、しばしば考えることがあります。
  学生時代、『this』じゃなくて『this one』、そして『that』じゃなくて『that one』と、英語の先生によく直されました。英語の冠詞の本当の役割はいったい何なのか、今もさっぱり分からないままです。ルールに従っていくしかないようですが、ルールを裏付ける根拠が見えなければ、全てはゲームに過ぎないはずです。一方、言語はもともと意味を伝えるために作られたはずです。その矛盾は、風車と戦うドンキホーテのようです。
  たぶん、この文章に新しい発想は特にないとは思いますが、ロシア語を習う…いや、学ぶ人には何か役立つものがあるかも知れません。

* * *

 日本語でよく使われる『こと』という言葉にぴったり合う直訳はロシア語には無いのです。その仲間の『もの』はありますが、あまり使われていません。それらの概念自体はロシア語にマッタクないとは言えませんが、その二つの違いをどのようにロシア語で表せばいいか、完全に理解しているとは思えません。

 さて、どうしてロシア人は「ものごと」に拘らないのでしょう。それについては、ロシア語の単語と文章の構成で一部だけ説明できます。まず、動詞や形容詞を名詞(あるいはその逆)に変えることがロシア語では可能です。日本語でも同じことが可能ですが、ロシア語に比べてあまり見られません。どうやら、動詞の活用形を変える方法だけでは何か足りないようです(『王の帰還』もその実例です)。確かに、表現が綺麗に響かない場合があります。

 例として、『甘いもの好きだ』という簡単な言葉を挙げて見ましょう。ロシア語にどう訳したらいいのでしょう?まあ、『Я люблю сладкие вещи』と言っても大丈夫です。文法的にも文句なしだし、意味もちゃんと通じます。まず、試験でも不合格にはなりません。ですが、ロシア語っぽくありません。―じゃあ、ロシア語っぽい言い方は?はい、『Я люблю сладкое』です。―いや、どうして二番目のほうが正しいの?―元々、そういう決まりだから。―ストップ!それは答えになっていないよ。『そういう決まり(習慣、伝統、文化など)だから』という答え方は、何も解説しないデマに過ぎないのだから、ルール違反と見なして止めようね。―よし、分かりました。じゃ、もう一度質問してください。―どうぞ。どうしてロシア語では「もの」を言わなくてもいいのですか?―ああ、分かりました。最初からそう聞けばよかったじゃないか。実は、ロシア語の形容詞は「モノの特徴」だけでなく「特徴をもつモノ」自体を示す品詞でもあります。したがって、「もの」や「こと」は形容詞の意味の中に元々含まれているのです。その為、形容詞は単独使用も可能で、「ロシア人」のことだって『Русский』つまり形容詞でしょう?―ええ、確かに。ところで、「甘い」はなぜ中性ですか?―それは、ロシア語の「中性」は男女の間というよりも、「性」のカテゴリーを当てはめにくいものを示すものだから。それで、「性」のことは別にどうでもいいような場合では「無性=中性」と考えればいいわけです。
     
  実は、ロシア語を深く見れば、中性形は意外とよく使われることに気付くはずです。例えば、上記の文を全部過去形に変えれば、『было』は驚くほど沢山出てくるでしょう。―しかし、どうしてロシア語はそんなにその「性別」に拘るの?あんなに難しいのに、意味はあまり無いのでしょう?―それは仕方がないね。伝統だから…。―おいおい、また「伝統」のはなしか?約束しただろう。―ああ、悪かった。しかし、それはとても難しい課題です。文法的な性別の考え方は大昔に生まれたもので、いつか言語の中から消えていくかも知れません。性別は大いに無意識に決まったものです。民族的な美感などもありますし…。しかも、民族によって性別の考え方が違います。例えば、ロシア語の『ウォッカ』は女性で、スペイン語では『el vodka』だからつまり男性に当たりますね。その考え方をよりよく理解するためには、森へ散歩に行って自分が原始人だと想像してみて下さい。森を歩いてみると、ほら、周りのものは全て生き物だ。樹も、石も、川の水もね。雪と風は何性でしょう?年が明けたら、函館山に登るにはいい機会だと思いませんか?

学生からの投稿

「留学を終えて」 ロシア地域学科3年 川畑真樹子

 今回の留学は、私にとってはいろんなことへの挑戦でした。先ず、私は、自宅学生なのでひとりで生活したことがないし、海外へ行くのも初めてで勿論留学も初めて。一人暮らしの経験の無い自分が、生活面を管理しながら、なおかつ勉強もするということは難しいことでした。

 勉強面でいうなら、私は苦労しました。
  最初に配属されたクラスが合わなかったので、1週間後に変更してもらいましたが、上手くレベルの調整ができませんでした。私にとっては難しかったのですが、変更したクラスの先生が、ここにいた方がいいと言ってくださったので、最後までそのクラスで授業を受けました。

 私の場合は、その日にやったことがさっぱりわからない日もあれば、それなりに理解できた日もありとばらつきがあり、勿論、わからない単語もたくさん出てきました。授業中の先生の説明で、どうしてもわからないときは露英辞典(私は、英語を忘れたくないので買いました)で調べました。それでもわからないときは露和辞典で調べました。単語を調べるだけで数時間という日もありました。ロシアに来て一番苦労したのはリスニングでした。函館にいるときは、先生がロシア人であっても、日本語での説明が行われるし、ゆっくり話して下さるのでさほど苦労は感じませんでしたが、ルースカヤ・シュコーラの先生の言ってることは、最初はさっぱりわかりませんでした。しかし、時間が経つにつれて自然と耳も追いついていき、自分なりの勘もはたらいてくるようになり、授業が面白くなりました。クラスメイトは、皆、話すのが好きで、向学心もあり、友好的で明るい人たちでした。長い時間ではありませんでしたが、彼らと一緒に勉強できたことは、私にとっては、とてもいい思い出となりました。

 今回の留学で「先入観」を持たないほうがいいことも知りました。例えば、ロシアは寒い、ロシアは怖い、ロシアは不便だなどという観念を持っている日本人はまだ多いと思います。先入観にとらわれる事により、自分から視野を狭めてしまい、肝心なところを見落としてしまうこともあると思われます。
  今回の留学では、勉強は勿論ですが、人間としての感性や品性の大切さを学びました。また、未知なる環境への適応力を知るうえでもまたとない機会となりました。できることなら、もう一度寮生活をしたいし授業も受けたいです。

ロシア地域学科3年 久田賢明

 私は、一昨年の4月から1ヶ月間ウラジオストクに留学した。だから今回の留学では不自由は全く無いだろうと思っていた。しかし、実際は甘くはなかった。勿論、留学中に何が必要になるか、どこに何が売っているか、どの様に生活していくか等ひとつひとつ調べる必要がなかったことは確かだ。でも、思ってもいなかったところに問題が出現した。
  寮内の私の部屋には、テレビ、電話、クローゼット、これらの全てが置かれていなかった。私は、すぐに管理人に説明した。返ってきた言葉は「Скоро будет」これを直訳すると「もうすぐ置かれる」ということになる。わたしは、管理人が話した言葉を「もうすぐ」と解釈し、早くて翌日、遅くとも一週間以内だろうと予想していた。だが、その予想は見事に外れ、全て揃ったのは留学2ヶ月目の後半。それまでは、テレビの映像は白黒、クローゼットは空きベッド、電話は他の人の部屋という生活を余儀なくされた。
  以前、アニケーエフ教頭先生が、この学報『ミリオン・ズビョースト』で、日本人とロシア人の時間感覚の差について語られた事があった。私はそれを思い出し、「あ、こういうことなんだ」と自らの経験により理解することができた。

 基本的には日本人は時間に敏感である。いや、神経質にまでなっているのかもしれない。しかし、ロシア人が時間に鈍感であるとは一方的に言い難い。なぜなら、私たち函館校の先生方は時間に厳しいからである。私は、今回の留学により、あらためてロシア人の時間感覚について深い興味を持った。

 話を留学に戻そう。Русская школа(ロシア語学校)では、文法、会話、ロシア史、そしてビデオを使った授業が行われた。勿論、授業は全てロシア語だけで行われた。私が入ったクラスは、当初日本人は私だけで、途中から日本人が入ってきた時ホッとした反面、邪魔にも感じた。総じて有意義な授業を受けることができたと思っている。
  授業は午前で終わるため、午後の予定を考えるのに苦労した。始めの1ヶ月は研修の一環として観光プログラムが付いていた。ほとんどが一昨年訪れた場所で、2度同じ物を見てもつまらないなと高を括っていた。しかし、それは大きな間違いだった。前回と今回とでは読めるロシア語の単語数が圧倒的に違っていて、それにより前回とは違った角度で見学できた。また、祭日等には、ДВГУ以外で日本語を学んでいる学生達と交流を持ったり、友達と映画館やビリヤードに行ったり、外で飲んだりもした。そして、ある日事件が起きた。
  私は友人たちとビリヤードに出かけ、そこでビールを1杯飲んで帰路についた。途中、私たちは警察官に呼び止められパスポートの提示を求められた。さらに警察官が一言「酒飲んだ?」と尋ねてきたので「はい、ビールを飲みました」と応えたところ、「じゃ、署まで行こうか」と言われ、眼が点になった。なんで酒を飲んだら捕まるのか?ビールは何のために存在するのか? 私たちは、警察官に尋ねたが、答えは、「法律で決まっているから」の一点張り。私たちは、仕方なく領事館に電話し、対応していただき、30分後ようやく解放された。私は、その時とても不快な感じがした。帰宅後、インターネットで調べたところ、1.アルコール度18%以上の飲み物を飲んで外出を禁ず。2.公共の場所での飲酒を禁ずと書かれていた。私たちは該当者ではなかったのだ。彼ら警察官は、単に小遣い欲しさに私たちを捕まえ、罰金を払わせようとしたとしか思えない。後から聞いた話だが、最近ロシアでは警察の腐敗が少なからずあり、それは低賃金に原因があるそうだ。

 今回の留学の中で経験したロシアの悪い点に触れたが、「もう一度ウラジオに行きたいか?」と聞かれれば、勿論「はい」と応える。しかし冬には行きたくない。冬は地獄そのものだ。
  私が経験した冬は、ロシア人にとってはまだ軽い冬だそうだが、-10℃が軽いと思える日本人は多くはいないだろう。ウラジオストクは風が強い。気温が-5℃であったとしても風によって-10℃に感じられる。耳と鼻は千切れそうなほど痛くなり、頬も凍りかける。10月末まで賑わっていたスポーツ場にも人はいなくなるし、風の強い日には街には人の姿はない。ウラジオの寒さを体験すると函館の寒さなどむしろ暖かく感じてしまう程である。
  今、帰国し思うことは、日本は「あたたかい」ということである。それは、気温だけでなく全てにおいてだ。母国というものがこんなにホッとできる場所と感じたのは初めてのことである。
3ヶ月間のロシア語漬けの生活。普通の人にはできない多くの体験をさせていただいた。この貴重な経験をこれからの生活の中で活かしていこうと思っている。

ロシア地域学科3年 前馬理慧

 ウラジオストクに着いたときは、「これからここで3ヶ月間生活するんだ。勉強、日常生活ともにきちんとできるかな」と不安でいっぱいでした。しかし、寮での生活が始まってからは不安はなくなりました。函館校からの仲間とは部屋が近く、同じ階に日本人が数人いたからです。
  私の部屋は日当たりもよく、お湯も後から出るようになり、なんの不満もありませんでした。難点はただ1つ。部屋が暖か過ぎたせいかゴキブリが出現し、毎日、ゴキブリとの闘いで必死でした。ゴキブリホイホイを持ってくればよかったといつも思いました。食事面で苦労したことと言えば、共同台所が改装修理のため自炊ができなかったことでした。食事は、食堂や外食で済ませました。毎回、同じ店(シャシリク店)に食べに行くので店員さんと仲良くなり、行く度にコミュニケーションを深めることができました。

 授業面では、何の問題もありませんでした。自分の力にあったクラスに入れていただいたので楽しく勉強できました。先生方もユニークな人たちだったので毎回授業が楽しみでした。
  今回のウラジオでの生活で、ロシア人は冗談が好きだなあとしみじみ思いました。午後の市内観光に付き添ってくれた青年アンドレイは、いつもジョークを言って楽しませてくれました。また、ロシア人は、自分の仕事を真剣にこなしながらも、何か楽しそうに取り組んでいるように思えました。
  ウラジオでの3ヶ月間は、毎日、新しい発見があり一日があっという間でした。私にとっては忘れられない留学となりました。

ロシア地域学科3年 渡邉晃久

 三ヶ月前の9月18日、私たちはウラジオストクに到着した。私は、その日のことを今でも昨日のことのように覚えている。
  夜、空港に着いてすぐに入国審査という名の洗礼を受けることになる。そこでは、私たちが通過するのに1時間半以上待たされた。 また、預けた手荷物の扱いを見て唖然とした。トラックにスーツケースを山積みにして運んでいるのだ。さらに、トラックから荷物が落ちることもあり、日本では考えられない光景だった。
  空港から車に乗ること40分程して学生寮に到着した。真っ先に確認したのは、お湯が出るかどうかだった。結果は・・・、出なかった。テレビも映らない。でも、今思えば、テレビ映りの悪いのは良いことだったのかもしれない。テレビを見ないことにより外国人と触れ合う時間が増えたからだ。
  学生寮には日本人、ロシア人は勿論、韓国人、中国人、アメリカ人、ナイジェリア人など多くの国の学生が生活していた。彼らと話すことによって、ロシアのことだけでなく様々な国のことを知ることができた。
  私は、彼ら外国人とつき合う中で、自分が母国のことについてよく知らないことに気付いた。知っているようで案外知らない。母国のことを知らないということは、最大の恥であることを実感した。私は、留学する後輩たちに、母国のことをしっかり学ぶことを薦めたい。

ロシア地域学科3年 松井唯寧

 今回の留学は、私にとって初めてのロシアだった。留学当初は、会話が苦手な私にとっては買い物すらままならない状況だった。体調不良だったせいもあり、これから続く3ヶ月間を思うと不安感で押し潰されそうだった。
  しかし、1ヶ月後には生活に慣れてきて、ロシアを満喫している自分がいた。授業について言えば、最初の頃は先生の言っていることが殆ど解らなかったが、耳が慣れ、単語量が増えるにつれ解るようになってきた。むしろ、後半になると、文法の授業などは簡単にすら思えるようになった。
  食料品はよく市場に買いに行った。寮の近くにはスーパーマーケットもあったが、市場の方が安く手に入れることができたからだ。あまりにもよく行くために、店員に顔を覚えられる程だった。
  寮に住んでいる他の留学生や日本語を学んでいるロシア人たちと交流の輪を拡げることができたことも大きな収穫だった。帰国の時期が近づくにつれ、ウラジオの街を離れること、そして彼らと別れることに寂しさが募ってきた。思えば、あっという間の3ヶ月間だった。今回の留学を経てロシア語のレベルは全体的に上がったように感じる。単語量はもちろん会話のレベルも少しではあるが上がったと思う。日本だけでの学習では決して解らないこともあった。留学は決してゴールではなく通過点に過ぎない。この留学での経験をもとにこれからも精進していきたい。

特別寄稿

「函館日ロ親善協会」の今後の発展を願って 函館日ロ親善協会理事 (株)陶陶亭商事代表取締役 加地律子

 去る7月1日、函館の姉妹都市であるウラジオストク市建都145周年に合せ、同市へチャーター便を飛ばす事となり、私も2度目の同市訪問の旅へとお誘いにより参加する事となりました。
  思い起しますと140周年に参加の時よりも更なる「関係強化につながれば」とメンバーの一人として期待を胸に行って参りました。
  日程は公式訪問団として7月1日より7月5日迄の4泊5日の旅でした。
  井上市長様、商工会議所会頭高野洋蔵様、同専務理事古川雅章様、同事務局次長酒井康次様、市議会議長福島恭二様とそれぞれのお立場からの参加でした。
  昨年このお話を実現させるべくウラジオ市よりウラジーミル・ニコラエフ市長が来函の折のスピーチを思い、各分野からの参加だった事、私も同行させていただきました。又行政の動きも準備にさぞかし多忙ではなかったかと存じます。
  当日の出発式は函館空港の国際線ロビーにて行われました。それから7月4日の「合同さよなら夕食会」そして帰函迄のウラジオストク市の細やかなお心配りには、各国からの招待されたお客様も含め、人を遇する気遣いは見習いたい事のみと云っても過言ではないと存じます。
  また親善協会会長倉崎様始め皆様と共に同行した街並みは著しい発展ぶりで街全体がとても美しくなった事を実感いたしました。
 この度4泊5日の日程を雨もものかは皆様元気で帰函でき、公式と民間団体との交流による関係強化もでき今後益々両市のための親善と発展、また当市としては一人でも多くの日ロ親善協会の会員増と課題は山積みし、皆様達と力を合せ、及ばず乍ら促進して参りたいと存じます。
  最後に「百聞は一見にしかず」を身をもって実感し関係の方々に心より深謝しペンを置きます。