学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.45 2005.10 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

いま想うこと/ロシア極東連邦総合大学函館校 講師 工藤久栄

 ロシア語の勉強を始めてから、早いもので8年以上の歳月が経った。その間、よく言われて来た事は「ロシア語をやっても仕事がない」、 「ロシアとの経済的結びつきがない」、「ロシアが良くなるにはまだまだ時間がかかる」、「英語、中国語の方が重要」などなど。

 しかしそう言うのであれば、「じゃあ、あなたは一体何をすれば絶対にいい、とおっしゃいますか?」と問いたくなる。
  そもそも、これを勉強して、覚えれば絶対にいい、などというものが果たして存在するのだろうか?どの道に進んでも、 その道ひとつひとつが本当に奥深く、ひと1人の一生を捧げ、その道に没頭したところで、それでも全然足りない。 人類が長い年月、英知を賭けて作り出してきたものばかり。当然の事だ。すべてが険しい道に見える。
 しかし、少なくともロシア語を勉強して、ロシアに行ってよかったと思っている。何もないよりいい。 「ロシア語を勉強しても・・・」と言う話は関係ない。損得では計りかねる。

 18、9歳から大学で何かを学び始めたとして、卒業する頃にはまだ、たったの22、3歳。かける時間も労力も足りていないのが本当のところ。 加えて言うなら、思いっきり若い。
 卒業後はそれぞれに事情が異なってくる。何もロシア語の勉強を続けられるという幸せ者ばかりではない。それでも4年間できる限り、 人事を尽くして、ロシア関係で就職し、さらに会社で仕事をしながらロシア語の研鑽に励む者もいる。
  就職しても最初はロシアに携われないと言うパターンもよく聞いた。それでも腐らず日々できる範囲内でロシア語を磨いている人達には 不思議と運が回って来る事が多い、ように見えるのは気のせいなのだろうか。

 語学を勉強していると「文法が苦手」、「聞き取りが苦手」、「話すのが苦手」と皆それぞれに弱点を持っているように見える。 でも、逆に「文法なら得意」、「聞き取りは結構わかる」、「話すのは大丈夫」とそれぞれが得意とする分野も同じく持ち合わせているようにも見える。 得意なものを1つでも持っているなら幸運だ。弱点は時間をかけてやっていればいつか克服できる、かも知れないし、できないかも知れない。 その人じゃないとわからない。 でも、そこまで思い詰めるほどの事でもなく、時間をかけて、苦労して、しっかりと覚えたものはその重みも完成度も違う。 それは意外と見ればすぐわかる。
  22歳の大学卒業で「はい、終了。お疲れ様でした」ではない。

 たとえロシア語を続けるにしろ、続けないにしろ先は長く、残された時間も多い。

学生からの投稿

「日ロ友好の船」 ロシア地域学科4年 茂木知佳

函館、快晴、最高気温26度・・・、
 6月末は例年こんなに暑かっただろうか。 朝の予報に安堵と不安が入り交じる複雑な気分だった。というのも、この日、6月29日は、日露通好条約締結150周年を記念して、ロシアのウラジオストクから、ロシア人青年69名、日本人学生33名、 その他関係者数十人を乗せた「友好の船」が、函館に入港することになっていて、極東大学の学生である私たちは、 彼らの函館観光ガイドをすることになっていたからである。

 函館市が寄港地の一つになり、函館の観光ガイドを私たち学生が行うことに決まってからは、週1回のペースでミーティングが開かれた。 7つの散策グループに分れて案内することになり、各グループともに、埠頭を発着点として、旧ロシア領事館、ハリストス正教会、 北方民族資料館を組み入れた散策ルートをどのように作り、どんな説明を行うかの検討、準備に多くの時間を費やした。準備を進めるにつれて、 不安は大きくなった。20人近いグループを、計画通りに案内できるのだろうか。しかも、安全に。私たちは、とにかく、 楽しんでいただきたいという思いで、散策ルートの下見を入念に繰り返すなど、必死の思いで準備した。

 当日は、予想した通り、計画通りには進まなかった。個人で行動したいという人、見学よりも買い物をしたいという人など、個人の要求をつぎつぎ出され、今回は、団体で行動することが求めれらていることを理解していただくのにずいぶんエネルギーを費やした。

 それでも、何とか午後5時に参加者を船に送り届けたときはホッとした。埠頭に着くころには、長い距離と暑さとで、皆、疲れ果て、 会話が途切れがちになってしまっていた。

 夜には船上レセプションがあり、散策を共にした仲間と、再び会うことができた。食事をしながら会話をしたり、船内を案内していただいたりと、 さらに交流を深めることができた。あっという間に過ぎた2時間であった。別れ際には、ロシアの方からも日本人からも、 「楽しかった、明日も一緒に行動してほしい」と言われた。準備も当日も大変であったが、その言葉が何よりも嬉しく、 疲れもどこかに飛んで行ってしまった。

「北方四島青少年交流事業」 ロシア地域学科4年  谷中めぐみ

私たち極東大函館校の5名は、北海道総務部北方領土対策本部の依頼で、平成17年度第3回北方四島青少年交流事業にボランティア通訳として 参加する機会を得ることができました。交流事業は、根室市郊外の廃校となった小学校の校舎を利用して作られた宿泊施設「夢原館」を拠点に、 7月15日から22日までの7日間の日程で行われました。

 朝起きて寝るまでロシア語という環境の中での生活は、昨年のウラジオストク留学以来であったので緊張の連続でした。しかし、行事の準備や 食事のお世話をしながら、全日程をロシア人の青少年と寝起きを共にできたことは、私にとって得難い経験でした。

 交流行事の主なものを挙げれば、根室市内散策、鉄道体験、パークゴルフ体験、プール体験、ボーリング大会、潮干狩り体験、 スポーツ交流(サッカー)、日本語学習、習字体験、生け花体験、ホームビジット、学校訪問、元島民の講話などで、 全日程ぎっしり行事が詰まっていました。

 この中で、特に印象に残ったのは、北方四島の未来を描こうという活動でした。 日本とロシアの青少年が7つの班に分れ、各班でお互いにアイディアを出し合い、意見を交換しながら北方四島の未来の絵を描くものでした。 私の班では、北海道の一部と北方四島の描かれた地図に、日ロ共同の学校、病院、交易のための港、日本とロシアが決勝戦を行うための サッカー競技場等が描きこまれました。
  この作業では、ロシアの子供達が積極的に意見を述べ、リードしました。彼らのアイディアで、海の環境を守るために日ロの学者が共同で 海底調査をする様子を描くことができました。

 このように、日ロの子供達が、北方四島の未来を共に考えるということは、とてもすばらしいことであると思いました。 その一方で、私は、北方四島の未来の絵を描く作業の中で、根室の街で見た「返せ、北方領土」という看板を思い出し、複雑な気持ちになりました。 未来を描いているロシアの子供達から、日本人と一緒にという思いが強く感じられただけに・・・。

 私は、今回の交流事業に参加して、北方四島問題の難しさに、あらためて気づきました。 今の自分には、解決のためにどうしたらよいのか検討もつきません。でも、この交流が、北方四島問題と真剣に向き合う契機となったことだけは事実です。

「色丹島訪問」 ロシア地域学科4年 板橋史展

7月中旬に、根室での北方四島青少年受け入れ事業で私たち極東大学から、5名が補助役として派遣されたことが契機で、私は今回使節団の一員として色丹島を訪れることができた。

 ウラジオストクへの語学留学や、サハリンへの個人的な訪問に続き、日本の領海を越えるのは三度目の機会。前回までとは違い、北方領土問題に直面するいい機会であった。今回の私達使節団のテーマは、"四島の住民と日本人との共生"ということで、小中学校訪問、ホームビジット、スポーツ交流、対話集会など盛りだくさんの二日間だった。また、同行者の中には元島民の3世の方もおり、彼らの気持ちも聞くことができ、とても有意義な時間を過ごす事ができた。

 もうひとつの目的、それは後継者の育成ということで我々若い世代が実際に経験し、それを後世に伝えるということ。そこで私が伝えたいのは、彼らは"隣人"であるということ。元島民にとって故郷であるのはもちろん、現在の四島の住人にとっても故郷である。

 しかし、元島民の墓参は、ビザなし訪問以外で行くことは現状では非常に難しい。納沙布岬から見える故郷を毎日のように目にしながら、たどり着くことはできない。この状況を打破するには、我々若い世代が日本側、四島側両方の気持ちを理解し、いかにして共生をしていくかを考える必要があるだろう。ただの綺麗ごとと言われるかもしれないが、私は、たとえ返還が叶わなくとも、隣人との共生は、近い将来実現されると信じている。

「函館・ウラジオストク友好の翼」参加印象記

ウラジオストクを訪問して 函館日ロ親善協会 西岡豊

7月1日チャーター便は2時間足らずでウラジオストク空港に到着しました。
 国内の移動と変わらない所要時間で到着したのにはあらためて互いが近いことを実感しました。私にとって今回が初めての訪ロでしたが、自分のロシア語の実力を試す絶好の機会となりました。
 到着後空港の駐車場を見て、「一体ここはどこ?」という錯覚に陥るくらい日本車の圧倒的な数にびっくりしました。
  空港から市内へ向かう途中でもトラックやバス以外の乗用車と商用車は日本車で、商用車の中には社名を冠したまま走っているものもあり、 思わず笑ってしまいました。市内に入り、個々の建物を見て再度びっくり。パリを彷彿とさせたからです。
 帝政ロシアとフランスの歴史的関係を再認識しました。
 午後9時頃でも外がまだ明るいのを見て夏時間を採用しているわけがよく理解できました。

  翌日は建都145周年の記念式典に参加。式の開始を待っているときに警備の警察官から話しかけられました。彼の問いかけに「函館から来た」と答えると「港町」と応じてくれました。こちらの市民にも函館の地名は浸透しているようでした。

 3日目の午前中は、潜水艦博物館やウラジオストク要塞を見学。さすが軍事大国だけあって要塞には沢山の武器が陳列されていました。
 午後はアルセーニエフ博物館を見学。先住民族の文化とアイヌのそれが類似していることに大変興味をおぼえました。
 夕食までホテルの部屋で一休みしようとしたところハプニング。椅子に腰掛けたとたん椅子がこわれ、床にひっくりかえってしまいました。 早速係員に椅子を取り替えるよう申し入れましたが、ロシア語の教科書に出てきた「椅子がこわれた」 というフレーズを実際に使う羽目になるとは夢にも思っていませんでした。
 夕食後ホテルの売店で土産の買い物。ここでも店員との会話に挑戦しました。私のロシア語に「ハラショー」と言ってくれたのでついつい予算以上の買い物をしてしまいました。

 4日目の午前は極東大学への表敬訪問と構内での記念植樹、午後はアムール湾クルージングと盛沢山の行事をこなしました。 船内の絢爛豪華なロシア料理とウオツカに大満足。食後船上から釣りをしましたが、私の釣果はゼロ。なかには大漁の人もいました。
 ヒュンダイホテルでのさよならパーティーの後極東大学の交流会に参加。極東大学の学生たちが日本の歌を唄ったり、
ダンスを披露したりと私たちを歓待してくれました。

 4泊5日の短い訪問でしたが、私には充実した日々でした。かつての閉鎖的な軍事都市が開放され、国際都市に変貌している様をこの目で確かめることができたことと私のロシア語が通じたことに大満足しております。

Впервые во Владивостоке, впервые в России 事務局 大渡涼子

極東大学に勤めて苦節5年、「函館・ウラジオストク友好の翼」の一員として、はじめてロシアに行く機会を得た。
 函館発着のチャーター便であったが、ウラジオストク航空の機材を使用したため、函館空港で飛行機に乗り込んだ途端、そこはもうロシアであった。

 ロシアのことは散々聞いていた。ウラジオストク航空の飛行機は着陸時、つまり飛行機が前のめりになると座席の背もたれがバタバタと前に倒れる。 こんな状況では緊急時、逃げ遅れかねない。離着陸時にうんざりするほど居住まいを正される日本の飛行機では考えられないことである。 また、暖房や給湯を行政が管理しているロシアのこと、一般家庭では夏場はお湯が出ないと聞いていたが、ホテルのシャワーにしても時間や部屋によって 水しか出ないこともある。トイレの便座がない。こんなことを目の当たりにしても、何も驚くことはない。むしろ話に聞いていたよりはましだと思ったが、 ロシアも急激に変化しているらしかった。

 そんな悪い話をたびたび聞かされるものだから、函館校の学生の中には留学実習が近づくと、なんとか行かずにすまないものかと逡巡する者もいる。 しかし、それでも1ヶ月なり3ヶ月なりをロシアで過ごしてくると、ほとんどの学生は行ってよかった、楽しかった、また行きたいなどと言い、 たくましくなって帰ってくる。そしてロシアやロシア語に対する興味を深めたりするのである。

  今回はじめての訪問で、その学生の気持ちがようやくわかった。楽しいのである。日本のスーパーやコンビニと違い、自分でロシア語で頼まなければ品物も手に取れないし、買うこともできない。だから身振り手ぶりをまじえながらも必死で話す。 そしてそれが通じたときの喜び、と同時に伝わらない悔しさもまた、次へのバネとなる。
 また、盛りだくさんな行事の中で、現地で活躍する函館校の卒業生や函館に留学していたロシア人学生と交流の時間を持つことができた。

 留学生のひとりは今回現地の観光会社に通訳ガイドのアルバイトとして雇われ、我々の観光のサポートをしてくれた。
 また別なひとりは我々のところまで会いに来てくれ、たまたま同行していたホストファミリーの方と再会、ともに函館のことを懐かしんだ。 日頃、帰国後何の連絡もよこさない、恩知らずと不評のロシア人留学生も、決して函館のことを忘れているわけではない、 ただそういう習慣がないだけなのだ。もちろんあまり好ましいことではないが、その思いは確認することができた。

 私がロシアに行くと言ったとき、「ロシアなど頼まれても行きたくない」、「ロシアなんて、何にも物がないのでしょう」 などと残念なことを言う人もいた。しかし、それは日本人の無知、傲慢である。お祭りの最中ということもあったが、 実際のウラジオストクは若者であふれ、港は往来する船で活気づいている。お店でもたいていの物は売っている。 果たしてこの活気が函館にはあるだろうか。

第8回はこだてロシアまつり

ロシアってどんな国?等々、皆様の問いかけに全てお答えすることはできませんが、私たちが手がけるこのまつりにお出でいただければ、ロシアを身近に感じていただけると思います 。
 今年も、ロシア料理レストランやステージ発表等々、盛り沢山の催しを準備しております。
 皆様のご来場をお待ちいたします。

○ 日 時:平成17年11月12日(土)
   10:00〜15:00
○ 予定されている催し物:
   ・ロシア料理レストラン
   ・喫茶店  ・体験コーナー
   ・キオスク ・ステージ発表
   ・人形劇  ・チェスコーナー