学報 "МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

学報"МИЛЛИОН ЗВЕЗД"

No.39 2004.4 "Миллион звезд" ミリオン・ズビョースト/百万の星

昔の思い出/ロシア極東連邦総合大学函館校 助教授 イリイナ・タチアナ

90年代初め、私はウラジオストクの旅行会社で働いていました。当時はペレストロイカのはしりで、それによってロシア人の生活は大きく変わってしまいました。街中の商店には商品がほとんどなくなりましたが、国境が開かれ、外国との行き来が自由になりました。

 教員、医師、事務員の給料はとても低く、それだけで生活するのは不可能でした。中国に行くことで一家の経済状態を良くしようと、休日になると(彼女達は平日は別の仕事を持っている)多くの女性が中国へ買い物に行くようになりました。スカート、シャツ、バッグなどを買い、その商品をウラジオストクで2倍の値段で売るのです。
 ウラジオストクから中国国境までは乗り物に乗っても数時間かかります。一番近い中国の町は綏芬河(ソーフェンホ)です。私たち、旅行会社の社員は、ロシア人旅行者を中国へ連れて行かなければなりませんでした。綏芬河の町は当時、小さくて汚い田舎でした。私は住民の不潔さと貧しさに驚かされました。中国人は掘っ立て小屋で物を売り、そこで寝泊りもしていたのです。

 中国行きはとても大変な仕事だったので、職場ではまるで戦争へ行くときのように私たちを送り出しました。貧しい中国人に物を盗まれたり、ホテルでは「前のお客さんはロシア人だったから大丈夫」と言われ、シーツ交換をしてもらえないので、自分達でシーツを持参したりしました。
 列車には会社専用の車両があったので、他の乗客が入ってくることはできませんでした。
 ある日、綏芬河で私たちは自分達の車両に乗り込もうとしました。通路いっぱいに荷物が置いてあったので、私は中国人に、自分の荷物を持ってこの車両から出て行くように言いました。すると、彼はナイフを取り出して、私を脅し始めたのです。私はツアー客に個室に入って鍵をかけるよう大声で叫び、私自身も個室に逃げ込みました。列車がロシア側の国境の町に着いたとき、私は警察に通報し、中国人は逮捕されました。
 こんなふうにして私たちの中国行きは数年間続きました。

 今では綏芬河は快適なホテルやレストラン、美容室などのある美しい町になりました。そして、中国の品物を売っていた多くのロシア人旅行者は豊かになり、自分の店を持つようになりました。
 国境が開かれ、ロシア人が自由に外国に行けるようになった、あの大変だったけれど、おもしろかった時期を思い出すのが私は好きなのです。

ロシア語市民講座のお知らせ

今年も5月10日(月)よりロシア語市民講座が始まります。
 入門・初級・中級・上級の4コースがあり、各コースとも定員は10名です。
毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日)午後6時30分から8時まで、前期12回24,000円、中期12回24,000円、後期10回20,000円の全34回68,000円ですが、学生の方は割引もあります。
 本校所定用紙で4月30日(金)までお申し込みください。
 詳しくは本校事務局までお問い合せください。